生き方が見えてきたとんぼである、ごきげんよう。
生き方、と言ってもベストな答えは人それぞれだから万人に当てはまる答えとは言わない。私が置かれている環境で考えられる最適解。
まあそれも価値観次第なんだけども。
一応は人生の指針がざっくり決まったので記しておく。
お金という名の呪縛
成人してからというもの、ずっとお金に縛られてきた。働いて金を稼がないといけない。お金がないと生きていけない。金を稼ぐ奴が偉い。
結婚してからもお金に縛られ続けている。
家計の赤字に悩まされ、マイホーム建設費用に悩まされ、子供たちの将来の学費に悩まされ、30年以上先の老後資金にまで悩まされ、きっと死ぬまでお金に悩まされる。
お金お金お金。どこまでいっても必要なのは金ばかり。だからこそ節約に力を入れてるしポイ活もするしファイナンシャルプランナーの資格も取得した。
ただ色々と本を読んでいくと、あまりに金を信頼しすぎなんじゃないか?と感じるようになった。
今この日本がとても安定した状況とは言えない。ものすごい勢いで円安に触れたと思ったら、これまた数十円レベルで円高に。そしてまた今も円安に。
格差は広がり、世界情勢も怪しい。
年金だって将来的にどれだけ削られるかわかったもんじゃない。物価の上がり方もどの程度まで政府がコントロールできるのか未知数だ。
だからこそ将来のためにと積み立て投資を始めたはいいものの……その投資も怪しいもんだよなと最近感じつつある。
何度暴落しても、世界経済は右肩上がりに発展し続けるという前提があるからこそ投資をしてるんだけど、次回に壮大な暴落をしたら何十年と戻ってこない可能性もある。
たとえば私が生きている間には戻ってこない可能性もなくはない。何もかも過去と同じようにいくわけではない。
新NISAやってないやつは負け組みたいな声もネットでは聞くけれど、そんなに安易に喜べるほど絶対的なものではないだろう。
金はあればあるほどいいのは間違いないが、安心安全な老後を確実に暮らすための金を用意するのは相当難しいと感じてる。
自給自足で自立を目指す道
一方、食の安全や地球環境のこと、将来のリスクヘッジを考えると、自給自足的な生活を送るのはありだなと思うようになった。
その中でもやってみたいと感じる筆頭が農業である。
商売としての農業ではなく、自分達家族が食べられる分の野菜くらい作れたら大満足。主食の米は大変でも、サツマイモならそこそこに作れそうだし。
農業について調べていくと、こういう本を書いてる人を見つけた。
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家族全員でほぼ完全自給自足スタイルの生活をしてる方。テレビでも紹介されたことがあるらしい。
畑やら鶏(ウコッケイ)はもちろん、電気は太陽光だし薪ストーブで料理をしたりしてる。初期の頃は地面を掘って井戸を作ろうと奮闘してた話もある。
これ夫婦二人きりならまだしも、子供二人いるってんだから信じられない。
月の支出は5万円ほどだそう。この方は本の出版もしてるしブログも書いてるし、ラジオも出てたりおそらくは自給自足コンサル的な仕事もしてるんじゃないかな。
きっと生涯にわたってそこで自給自足生活を続けられると思う。
さて、この本を読んだ上で私もこういう生活に少なからず憧れを持ったわけだが、じっくり考えてみると不可能という結論になる。
というか我が家では無理だ。娘がいるからというのも大きいが、結局は金の問題かな。
金がある、稼げる親は自給自足でも何でも好きにしたらいいが、子供たちには子供たちの人生があるから。それらをサポートするために最低限の金がいる。
自給自足も素晴らしい。人間の本質はそこにあるかもしれない。しかし子供たちには外の世界もどんどん経験させたい。
もちろん自給自足+外の世界を経験することの両立は可能だろう。しかしそうなると支出が増えてしまう。
塾に行かずに親が家庭教師をするのも自給自足と書いてあった気がするが、それもウチじゃ無理だ。
娘の睡眠の質のためには夜間のエアコンも必須で、太陽光+蓄電池は高くつきそうだしドライブも多いからガソリン代も高い。
まあそれぞれ家庭の事情があるから、できる範囲で自給自足をする、ということになっていくんだけど。
半自給自足という結論
といったことを考えていった時に、我が家の最適解をひらめく。
妻は資本主義社会で必要な金を稼ぎ、私が自給自足的な道を歩む。これは非常に効果の高いリスクヘッジになるのではないか?
お金を稼いで預金や投資するだけでは将来の不安はなかなか消えないし、自給自足だけではお金が足りない可能性が高く将来の不安が消えることもない。
この両方を夫婦でアプローチしていくのは、非常にバランスがとれてていいんじゃなかろうか。
冒頭でも書いた通り、我が家の最適解だからと重ねて前置きしつつ。
まず妻が今働いてる会社は非常に良いところ。仕事内容は妻の理念と一致している。働くことで社会に貢献できるし、妻の満足感も高いように見える。
何より休みやすくブラックじゃない。少し遠い(片道1時間)ことが難点なくらい。
そして無職の私は何でもできる環境なので、あらゆる手を使って自給自足生活に近づけていく。つまりはとにかく支出を減らすことを私の仕事と考える。
たとえば農業をして野菜を作り、釣りで魚を釣るのもわかりやすい手段。
それだけじゃなくて家計簿を徹底的に極めること、家計をコントロールし節約に力を入れること、ポイ活も続けることなども、資本主義社会における自給自足と定義してもいいかもしれない。
節約した金は投資信託だけに投資するのではなく、自給自足に必要な初期投資に使うという考え方もある。
たとえば私の移動手段としてバイクを買うのはどうだろう。車の数倍燃費がいいために、長い目で見ると安く済む可能性が高い。
太陽光パネル+安い蓄電池を自宅に取り入れるのも、いずれは検討してもいいかもしれない。
とりあえず妻のおじさんから畑を借りる予定だけど、途中もし良さげな土地を見つけたらローンでもいいから買うのも十分にありだ。
またこういった経験を何かしらネットで発信することで、社会貢献もできるし少なからず金が得られる可能性もある。何より外界とのつながりはあった方がいい。
といったことをこの先何十年も続けていけば、もっとさまざまなアイディアが出てくるだろうし、気づけば自給自足のプロになっているはずだ。
妻が定年で仕事をやめる時には、妻が稼いでくれたお金と、少ない支出で暮らせる生活の土台ができている。
理想としては、将来的に減りに減った年金だけでもやっていけるような生活。これなら老後何千万も必要ない。
うむ、解決だな。
足るを知る生活
例えば老後の夫婦生活として、朝起きたら二人で畑に行って、畑で二人で弁当食べてお茶飲んで、天気がいい日には海に行って釣りをして。
自宅では金のかからない芸術的な娯楽(絵画や楽器等)を楽しんで、風呂に入ってご飯を食べた後は夜の星を見にいく。
どう?自然をフルに使った、金のかからない素敵な老後に見えなくもない。
健康寿命も長そうだし、暇があれば耳からオーディオブックも聞けるので常に脳みそと知識もアップデートし続けられる。まず認知症にはならんだろう。
まあ夫婦が常に一緒にいる必要はないんだけどね。お互いにいい感じの距離感を探りつつも、こういう老後の構築が可能なのは良くないかい?
そうなると最大の難関は子供たちの学費かな。これさえ乗り越えれば何とかなるはずだ。
よし、早々に足るを知る人生に切り替えていこう。そして循環し続ける世界を心地良く過ぎ去っていきたい。
ここまで読んでいただき感謝。
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