ステップファザーにできること

重度知的+発達障害の娘と、二人のやんちゃ息子の父によるステップファミリーの話

死んだらいいと思ってた過去の自分をゆるしつつある話

久々に長男(小5)とうまく過ごせたとんぼである、ごきげんよう。

 

本日は娘のショートステイの日。一月は失敗続きで毎回面白くない日になっていたのだが、今回はそれなりに楽しめた。みんなで映画見て笑えていい日である。

 

さて、過去の自分を赦せそうな気配がする。

 

◆家族の紹介

生きる価値なし

最近はトラウマ関連の書籍を読み漁っている。

 

その結果、私は親からネグレクトを受けていたのではないかと気づく。ネグレクトをした親もその子供も自覚がないことが多いというが、まさにその典型だと思われる。

 

父親は朝早くから仕事、夕方は近くの実家に逃げ帰るとか、飲みに行って泥酔して帰ってくるとか。借金こしらえて借金取りから逃げ回ってたり。

 

母親は家計がボロボロなので夜勤の仕事をして、朝は子供たちが学校行ったあとにしか帰ってこず、夕方は寝てて夜は仕事でいない。

 

親の事情を鑑みれば両親も相当辛かったはず。ただ事実として、残された我々子供たちは完全に放置されていた。やりたい放題の無法地帯である。

 

食事を与えないとか風呂にいれないとかそういう系のネグレクトではない。わかりやすくいうと金と食事だけ与えた上での育児放棄という感じ。

 

10代の子供たちが普通に家の中でタバコを吸ってたし、私は自宅を溜まり場にしていたし、中学からは当たり前のように友達の家で朝まで過ごしてた。

 

中学〜高校あたりからは姉も全然家に帰ってこなくなってた。夜に姉がいないのは当たり前だったし、私も14〜15歳以降は夜ほとんど家にいなかったような。

 

何をやっても親から怒られることはなかった。

 

私が学校で問題を起こして、親を学校に呼び出されて。先生から親もろとも説教を受けた。

 

その後に親から何かしら叱られるのではないか?とビクビクしたが、家に帰っても親はその件を完全にスルー。叱られるどころか何も言われない。

 

何をやっても咎められることもない。

 

子供は何も知らないから、誰かがちゃんと教えてあげないといけないのだろう。そうしないとどんどん行動はエスカレートし無法地帯となる。

 

でもまあ人間としては未熟者の非常識の馬鹿なので、社会に適応できずに私はひきこもりになったという話。

 

数年前に、姉が母親に向かって「今さら母親ヅラすんな」と怒っていたのを思い出す。

 

その時はそこまで言うかね??とドン引きしたもんだが、今ならわかるかな。姉ほど親の頼りなさを身近で見てきた人はいないはずだから。

私はゴミなのか

ここに書けない話もいくつか思いつくのだけど……これは武勇伝ではなくて、心から恥じている過去なんだよ。

 

当時を思い出して本当に死にたくなる。ゴミだなと、死んだらいいのにって思うし、実際に口から出てしまう。死ね!とか一人で呟いてしまう。

 

ずっと自分を許せなくて、ひきこもってた時も、ひきこもりから脱出した時も、その後もずっとずっと自分は生きてる価値のない人間だと思ってる。

 

それでも認知行動療法やらで少しずつなんとか思考を矯正して、考えを改めてはいたんだよ。

 

あれは若気のいたりだから。当時の私は馬鹿だったから仕方がない。世間知らずで常識知らずで、人に痛みもしらない子供だった……とか。

 

そう考えてはいたんだけど、今回トラウマについて考えた結果、気づく。

 

親は何をやっていたの?

 

至る所に親が介入すべきポイントが見つかるのに、そのどれにも親は関わってこない。親子としてのまっとうなコミュニケーションをしてる場面がまったく思い出せない。

 

父はタバコ吸って酒飲んでテレビ見てる姿。母は疲れて寝てる姿ばかりだ。忙しさとか金がないとか、そういうのを免罪符にして子供から逃げてたんじゃないか?

 

厳しいが、そう言わざるをえないほどに親は我々子供たちに向き合おうとはしなかった。

 

嫌な記憶はあるぞ。

 

中学で不登校になってしまった私は、何とか人生の軌道修正をしなければと高校受験の勉強を始めた。独学で。

 

でも勉強方法なんてわからん。まったく集中もできない。どうしたものか、全然集中できない!!と母に言ってみたら、こう返ってきた。

 

「馬鹿だからじゃないの?」

 

あれはまいったなぁ。

 

他、私が完全にひきこもりになった時、母は毎日のように部屋に来ていた。

 

「いつ働くの?」「あんたなら働けるよ」「これからどうするの」「働いてほしい」

 

こんなことばかり言われていた気がする。

 

これも正直今思えば……ちょっとな。向き合うってそういうことでもない気がするし、はっきり言えば逆効果でしかなかった。

 

「あの子(兄)は無理だけどあんたなら働けるよ」

 

とか、そういう兄を見限った発言もあまり好きになれなかった。

 

そしてそういう親の関わり方に、今まで私はなんの疑問も持たなかった。ネグレクト傾向あるよね、でも忙しかったから仕方がないよね、と思ってた。

 

でもどうだろう。果たして私が過去に社会から弾き出されてひきこもったのは、本当に私だけのせいだったのだろうか。

 

私が馬鹿で非常識で空気の読めないゴミだったからこんなことになったのか?それは若気の至りだから仕方がないのか?

 

いやーどうも違う気がする。

 

ちゃんと我々と向き合って、常識や人の気持ちを教えてくれる人間が存在しなかったのだ。愛されているなどとはまったく感じなかった。

 

これ本当に私だけが悪いか?私だけのせいか?若気の至りのせいか?

 

いやいや、環境の影響が強すぎるだろう。これどう見ても私だけのせいじゃないよ。

 

……もちろん、私にまったく非がないとは言わんよ。悪いのは悪い。そこは反省して2度と同じことはしないようにしたい。

 

ただそれが私だけのせいではなかったという、その事実が私の心を救ってくれそう。

誰も悪くない

ここ数日はこんなことばかり考えていて、今まで怖かった姉を見る目が変わった。

 

親が親として機能していない家庭において、一番上の姉という重圧は相当なものだったのだろう。教育なんて何も知らない子供の姉が、ほとんど親の代わりをしていたのだ。

 

そりゃグレるわ。リアルなヤングケアラーが私の姉だった。

 

どう見ても親が悪い。

 

……と言いきれないのもこの話の難しいところだ。

 

私の恥だと思っていた過去は、私だけが悪いわけではない。ということはつまり親が子供たちと向き合えなかったのも、決して親だけが悪いとはならない。

 

親にはその親がいて、おそらくはまともな愛情を受けてこなかっただろう。そんな親がまともな教育をできるわけがない。

 

じゃあその親の親はどうだったんだろう?じゃあまたその親の親の親は?

 

江戸から明治、大正、昭和平成と時代は急激に変化し、価値観も生活も何もかも様変わりする中で、安定した育児をできた親がどれだけいるというのか。

 

まぁ……この辺は長くなりそうなんで置いとくとして。

 

私はそこまで過去の自分を恥ずかしいものとして捉えなくてもいいのかなとも思ったし、姉もすごく頑張ってくれていたという見方に変わる。

 

むしろ我々4人兄弟は、厳しい現実を生き延びた戦友ではないかと。よくもまあここまで生き延びたきたなと。

 

今はひきこもってほとんど連絡がとれなくなってしまった兄にも、いつか手紙でも書いてみたいね。

 

親への感情はもう少し整理に時間がかかるかな。私も親になって、子育てがきついのはわかるんだよ。

 

当時はネットもなくて情報も少ないし、絶対に子供(特に男の子)を産まないといけない圧もすごかったらしいし。

 

今の価値観では測れないものがあったはずだ。まあだからといって……というのはあるけどさ。

 

ここまで読んでいただき感謝。

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