ステップファザーにできること

重度知的+発達障害の娘と、二人のやんちゃ息子の父によるステップファミリーの話

自分を愛おしく感じても、親に感謝するのは高い壁がある話

長男(小5)と勉強して疲れたとんぼである、ごきげんよう。

 

いや、もともと疲れてたのかな。娘ともドライブ行った直後だし、長男の態度にイラつくというよりもともと疲れてたっぽい。

 

早く休みたいところではあるが、一つ書いておきたいことがある。

 

◆家族の紹介

ネグレクトを自覚して

最近、私がネグレクトを受けていたのではないか?と何度か書いた。

 

子供目線のフィルタを通して親を見てたもんで今まで気づけなかったが、どうも怪しい子供時代。典型的な育児放棄感もある。

 

その詳細は過去記事を読んでもらうとして、ネグレクトに気づいたことで自分への評価がガラッと変わる。

 

私は親という頼れる存在がいない中でも必死に頑張ってきたんだな、よく生き延びてきたもんだ。

 

ゴミだと思っていた自分が愛おしく感じるくらいには、見える世界が変わった。これはすごいことである。

 

胸の中に暖かい火が燃えている感覚というのかな、何もやっていないのに満たされるというか。無意識のセルフネグレクトが止まったのだろう。

 

これ、過去に何度かあった感覚だ。おそらく「決して私だけが悪いわけではなかった」との見方に変わったからまた出てきたのかな。

 

自分を赦せたからこその感覚やね。長く続くといいんだけど。

ハードルが高い

じゃあ親に対する感情はどうだろう?と問われれば、複雑である。

 

ネグレクトに気づく前と後では、親への感情はまた違うものになっている。

 

今では何であそこまで子供たちを放置したのかと怒りも湧いてくるし、逃げ回って親の問題を子供に背負わせていたのもムカついてくる。

 

一方、親の生まれ育った環境や置かれていた状況を考慮すると、ある種仕方なしというか、情状酌量の余地があるというか。

 

親を責めてもなぁ、という思いも確かにあって。

 

まあ気持ちの整理に多少の時間は必要だろう。自分の過去も改めて一つずつ再解釈した方がよさそうだし、ゆっくりやっていこうかなと思って。

 

そんな中、一冊の本を読んだ。

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"親捨て"を目指そうという本。捨てる、というよりは、親に捉われずに生きていくためのワークを教えてくれる。

 

親にやられて嫌だったことを客観的に紙に書くとか、親への恨みつらみを書くとか、親がいたことで得られたことを書くとか。

 

それなりに面白そうなワークだなと思っていたのだが、最終的に目指すところが親への感謝だという。

 

親に心から感謝できたら親捨て完了。そこからは自分の人生を歩める。

 

……

 

……

 

はぁ!?感謝するわけないだろ!!気持ち悪い!!

 

 

 

自分でも驚くほどに、こんな感情がぶわああっと出てきてしまった。まさか自分が親にここまでの感情を抱くことがあるとは思わなんだ。

 

上で書いたとおり、親には親の事情がある。だから親がネグレクト的な育児をしてしまったことを責めるつもりはない。謝ってほしいとも思わないし復讐する気もない。

 

何というか、親と一線を引くようなイメージだったのだが……まさか自分から"感謝"のアプローチをしようなどとは思わない。

 

なぜ私が感謝するのか、意味不明だろ。さすがにきついな。感謝しろて、虫が良いとはこういうことを言う。

子はかすがい

この気持ち悪さ、嫌悪感は過去に何度も味わったことがある。長男(小5)に対する感情に近い。

 

お前からの愛を感じないのに、なぜ私が愛さないといかんのじゃ!!

 

これ。

 

ただ長男は私の子供だから。どれだけきつくても乗り越えていこうと思える。しっかし両親はな、何が何でも乗り越えたいとは思えない。

 

別に放置で良くないか、この問題を乗り越える必要なくないか。

 

そう思うんだけど……でも少し引っかかってはいる。

 

過去を再評価して自分のことが愛おしいと思えても、やはり親へのわだかまりは残っている状態なのだろう。わだかまりがなければ感謝くらいできるはずだから。

 

ここを根こそぎ解決しないと、回り回って子供たちに悪影響を及ぼす可能性が高い。

 

子供たちのことを考えたら、歯を食いしばってでも親に感謝する方向で考えた方がいいのではないか。

 

まあわかっちゃいるんだよ。

 

五体満足でここまで生きてこられたことは感謝すべきことだし、私がひきこもりから社会復帰した時の母親は打って変わってやたらと世話をしてくれた。

 

幼少期も育児放棄という一面だけでなく、親が親なりにやってくれたことも多くあるし、ネグレクト期間に得られたものもたくさんある。

 

たとえば、いつも親はいなかった代わりに膨大な漫画とゲームに囲まれて育った。あの作品たちが今では私の一部だとなっている。

 

ひきこもり時代に社会から隔絶されて右に倣えができなくなったからこそ、人と違う生き方を選べたとも言える。ひきこもってなかったら今の生活は絶対にしてない。

 

要はそれらに感謝したいと思えるかどうかという、心の問題だよね。親に感謝したいと思えるかどうか。したいと思えるならできるし、したくないならできない。

 

ここを乗り越えたいと思えるか。

 

……うーん。

 

まぁ仕方がないな。子供たちとの関係性で病むことが多いのは、この親との関係性も大きく影響してるはずだから。

 

ここ攻略せんと話が進まないだろうなと直感でわかる。

 

しゃーなし、感謝のワークやるか。涙ぼろぼろ流して「ありがとう」と言えるまでやりますよはいはい。

 

気持ち悪くて寒気がするけど、今の自分の思考が偏ってるのもわかる。所詮はどの角度から物事を見るかの話ではないか。

 

人生まだまだ奥が深いな。

 

ここまで読んでいただき感謝。

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