朝から送迎大変だったとんぼである、ごきげんよう。
次男坊(2歳)は色々対応間違えて怒らせてしまう。
娘(特別支援学校/中2)はだいぶ情緒は安定してきたものの、送迎時に手をつないでたら手の甲にある私のかさぶたが気になるようで剥がしてきた。
そのかさぶた自体、娘につけられたものだから。ちょうど手を繋いだら娘の指が自然にあたる位置に傷があるから引っ掻きやすいのだろう。痛かった。
さて、今日も今日とて忙しいので思想の話でお茶を濁す。
理想主義者でありたい
自らの生き方について考えることがたまにある。最近も活動的な生活が続けられているので、きっと今のやり方が私に合ってるんだろうなと思う。
それを一言で表現すれば、理想を諦めないことである。
もともと自分のことを理想主義者なんて思ってなかったのだが、気づけば理想を追求しててよくわからない人生を歩んでいる。
本当になぜ自分がこんな生活を送っているのかわからない。私が子連れの妻と結婚した時に、さっさと離婚すると思った人もいただろう。
そんなわけない。そもそも諦める気がゼロなんだから。
こんな感じなんで、理想を追求する生き方こそ求めていたものなのだろうとは思うのだが……完璧主義がダメなのは理解した。
理想は持ちつつも、決して完璧主義に陥らないこと。完璧な世界なんて存在しないし、自分以外の世界が思い通りにならない現実もある。
さらに自分の心身も思い通りに動かないケースもある。疲れて睡眠不足で理想を追求したら結局はダメになる。
理想通りの生活だからと言って家族関係や人間関係のストレスがなくなるわけじゃなし。心身がボロボロでは理想を語るエネルギーすらなくなってしまう。
また自分の理想を追い求めた結果、視野が狭くなってしまうことも往々にしてある。
子供たちのケアに力を入れ過ぎた結果、自分の体のケアをサボってしまったり。逆に自分のやりたいことに注力して子供たちをなおざりにしてしまうとか。
どれもこれも完璧にはできない。理想はあれど、現実的に厳しいことなんていくらでもあるのだ。自分の限界を見定め、理想と現実のバランスをうまく調整せねばならない。
完璧主義に陥らず、現実を見据えつつ理想を追求し続ける。
これだな。私にはこの道しかないと思う。
幸せとは何か
みたいな考えって誰かが過去に提唱してそうなもんだが……と思って調べてみたら、宮﨑駿監督がおんなじようなこと言ってたらしい。ちょっと嬉しい。
ただ、理想を失くさずに生きるって相当苦しい生き方になると思う。理想の世界が具現化されるなんてことはまずない。
ほら、宮崎監督を見てごらんなさい。80超えて気が狂いそうになりながらアニメ作ってた。
だからなんだろう。
一般的に言われる幸せだけが本当に唯一の幸せか?というのはある。もがき苦しむ生の中にも幸せはあるんじゃなかろうか。
カムパネルラじゃないけどさ、"ほんとうのさいわい"というのはきっと人それぞれの形があるのだと思う。
理想を追求して追求して苦しんで死ぬ。そんな"ほんとうのさいわい"もありだな。
と、最近考えてる。
まあその中にも一時の幸福感を感じることはある。そういうのを糧にしながら、現実を見据えて調整しながら理想を追求し続ける。
死ぬまでね。そういう人生にしたい。
あまり現実では言わない方がいいかもしれないなこれ。なんかめんどうくさそうだし。
ここまで読んでいただき感謝。
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