長男(小6)の勉強を見ながらこれを書くとんぼである、ごきげんよう。
今はテストをさせているので、終わり次第呼びにくるだろう。最近はこのスタイルが定着していて、少し余裕があったりする。
朝も少しだけ一緒に勉強したんで本当はもうやりたくない、というか眠い。
ブログ休みたい。休もう。そうだ、休みにしよう!
本日のブログはお休みです
とりあえず何でこんなに疲れているのかくらいは書いておこう。
……といったスタイルでたまにお休みブログを書くけど、どうせ書くんだったらお休みとか言わなきゃいいのにね。
ただよく考えてみたら、お休みブログと通常ブログは結構違う。
こんなんしょーもないただの育児ブログかと思うなかれ、私の中には明確に記事の合格ラインがある。心の中に編集者がいるのだ。誤字脱字多いけど。
今日更新するブログはこの内容で書きたいが、読み物として成立しそうか、過去に書いたネタじゃないか……などと考える。
平たく言えば読む価値があるものになりそうかをジャッジした上で、合格しないと書き始めない。
それが今日みたいに疲れた日には、心の編集者がなかなかGOサインを出さない。あれもダメ、これもダメ、この話もつまらん、読む価値なし。
特に重たいテーマなんて絶対無理だ。
たとえば今の私は、現代社会において人と自然をどのようなグラデーションで織り交ぜていくかについてよく考えている。
我々はどうしたって人間なんで、決して自然100がいいとは思わない。
窮屈さが増す人間社会で生活しながらも、自然と調和しつつ自らの理想を具現化する生き方というのかな、そういうのを模索してるわけだが……
テーマが重たくてな、誰が読むんだ感もすごいし数時間かかりそうなんで書きたくない。
あーじゃあもう書くことないじゃん……って時に出てくるのがお休みブログである。今書いてるこれ。
お休みなんで頭の中の編集者もお休みしてる。読み物としてどうとかそんなことは一切気にしていない。ただ頭の中を垂れ流すだけ。誰も読まないもんとして書いてる。
だから書けるわけだよ。だって読む価値ないよこれ。
つまり気を張らずに書いた日記って感じだよね実際は。たまにサイレントお休み記事もあるけどさ。
本日のブログはお休みです
というわけで本日のブログはお休みである。
自然の中に身を置くことをより強く意識し始めたことにより、子供たちと山に行きまくって運動量が爆増して疲れているんだと思う。
こんなに眠いなんてなかなかない。頭が全然回らん。
とりあえず明日も余裕があれば山に行くつもりなので、さっさと寝たい……の前に、少し本読んでから寝る。理想を追求すると決めたのでやれることはやろう。
たまのお休みブログありがたいわ。本当に面白いくらいに指が動く。
ではまた明日。
ここまで読んでいただき感謝。
↓のウサギをポチすると、さらにとんぼが喜びます。