ステップファザーにできること

重度知的+発達障害の娘と、二人のやんちゃ息子の父によるステップファミリーの話

解釈が変わることで世界の見え方が変わるのが好きな話

眠たいとんぼである、ごきげんよう。

 

昨晩というか今朝は娘が午前2時に起きてきてて、そこからずっと起きてる。次男坊がお弁当会だったんで頑張って作ったやつ。

ほとんど寝てない朝、というハンデ込みで評価してほしい弁当。

 

さて、漫画紹介の皮を被った自分語り会。頭は回ってないから誰も読まなくていいやつ。

 

◆家族の紹介

好きな漫画たち

最近はアートに興味を持ち始めたこの私。今さらどうしたと言われかねないが、興味がなかったわけではない。自分にはまず無理だと切り捨てていただけ。

 

まあ私がいうアートというのはどちらかと言えば、アートより芸術といった方が伝わりやすいかもしれない。何かを表現するもの全般のこと。

 

興味があったことがわかる好きな漫画たちを紹介しようか。

 

まずは以前にも紹介したアクタージュ。

 

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原作が逮捕されてしまって打ち切りとなった演技漫画。自分の過去の体験から体の記憶や感情を引っ張り出してくる女子高生の成長物語。

 

時代劇のエキストラ役にて。他者を切り捨てる武士を周りで見つめるだけの町民役なのに、どうしても助けたくて飛び出してしまう。体が勝手に動いてしまってNG連発する。

 

しかし時代を考えれば、武士に逆うことで一族郎党皆殺しもありうることに気づく。

 

家族を守るためには、文字通り他人は切り捨てるしかない……そう考えると傍観者として見殺しにすることができた。

 

そうか、自分にはこんな残酷な一面もあったのか……とか。

 

演技指導をしてくれる演出のじいちゃんが死にかけていて、演出として死ぬまでの様子を隣でしっかり見届けることになるとか。

 

普通とはなんぞや?とか。

 

すっごい好きだったんだこの漫画。二度と再開することはないだろうけど、漫画の中ではトップ3には入るかもしれない。

 

次は先日も軽く書いたあかね噺。

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落語なんで芸術というか芸事というか。こちらも主人公が女子高生の成長物語。

 

落語の技術の話も面白いんだけど……どちらかと言えば任(にん)の話が好きだ。

 

任というのは、その人だからこそ滲み出る空気というか性格というか。

 

よくお笑い芸人が「ダウンタウンになりたかった」みたいなこと言うでしょう?あれは完全に任を無視した発想で、いずれどこかで自分と向き合う必要が出てきたはずだ。

 

あかね噺も何というか自分と向き合う話が多い。自分と向き合い、過去と向き合い、恩師と向き合い、弱い自分を知り、強い自分も知る。

 

そうやって成長していく物語。あかねが成長すると落語の世界も広がっていくのが面白い。ジャンプ漫画なんで演出もかっこいい。

 

もう一つ、最近読んだばかりの漫画。ブルーピリオド。

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高2まで他人にあわせてきた高校生が、一枚の絵との出会いから絵を描き始めて芸大を目指し、作家を目指す話。

 

何度もボロボロ泣いてしまうくらいには琴線に触れる言葉が多かった。少しずつ"自分"を肯定していくような。任の話に似てるね。

 

漫画読んだだけでわかった風なことは言えないが、絵画を描くというよりどれだけ深く潜れるかというか、どれだけウソがない自分を表現できるかというか。

 

多分色んな形がアートにはあるんだろうけど、何となく自分もできそうと思ってしまうのは完成度の高い漫画だからでしょうね。

 

一番びびっときたのはなんだろう。友人を亡くして立ち直れない仲間に向かって放たれた言葉かな?

 

「なんで立ち直らなくちゃいけないの?その悲しみを一生背負って生きてもいいんじゃないの?」

 

私の思想とも合致してる、のもあるんだけど……何というのかなぁ。考え方に唯一の正解なんてないことを何度も教えてくれるというか。

 

主人公が"自分に見えてる世界"を肯定していく感じもええね。

 

競争社会でめっちゃ大変そうだけど、アーティストとしての自分と社会的な成功を求める自分の葛藤は多分みんなあるだろうし。

 

……といった三作あたり。あとは左利きのエレンとか、昔読んだ漫画で言えばプライベートアクトレスも好きだったかな。漫画に育てられてるんで。

解釈を変えると世界が変わる

私が好きなこの作品たちの共通点ってなんだろう?と考えてみまして。

 

何となくだけど、解釈を変えて見える世界を変えることにあるんじゃないかなーとあたりをつけた。

 

自分の解釈であったり、他者の解釈であったり、過去や肩書き、親子の関係、夫婦の関係、子供との関係、友人との関係、師匠との関係、憧れの人との関係、言葉、概念、思想、好き嫌い……etc

 

過去に何度も経験があるのだけど、解釈が変わると見える世界が変わるんだよ。多分誰しもあると思う。

 

有名どころで言えば、電車で走り回っている男の子がいて、それを注意しないお母さんがいる話

 

なんで母親が注意しないんだとイライラしてたけど、実は旦那さんが亡くなったばかりで途方にくれていたことを知ると……みたいな。

 

解釈が変わったことで見える世界が変わった、と言えるでしょう?

 

上の例は単発だけど、もっとこう世界全体に波及するような解釈の変化ってのもあったりする。

 

私でいうならば、たとえば"私はネグレクトを受けていた"とか。ネグレクト経験者かどうかで、自分に対する評価が一変する。それに伴ってこれまでの行動への評価も変わる。

 

愛するウサギが亡くなった時に、ウサギは死んで世界の一部になったと解釈した。すると今まで何も感じなかった風の心地よさが変わった。

 

わかります?この感じ。別にどう解釈してもいいんだよ。それが私の世界だから。

 

弱い自分はダメなのか、あれはネグレクトだったのか、子育てを放棄した両親は悪なのか、今の社会は"ふつう"なのか、うちの子供も"ふつう"なのか、幸せとは何か、お金とは何か、家族とは何か。

 

我々は無意識にあらゆる解釈がなされた世界で生きていて、その解釈が変わることでその人の見える世界が変わる。

 

でもここは私にしか見えない世界だから。

 

別に誰かに教えたいとは思わないけど、もし解釈のズレで苦しんでいる人がいたら話したいとは思うだろう。

 

見えた世界が美しかったり面白かったら、誰かに伝えてもいいと思うかもしれない。自分の中に衝撃的な発見があったらそれは何かで表現しないと気が済まないかもしれない。

 

だからブログ書き続けてるんだろうさ。後付けだけど。

 

多分これは日常で誰にでも起きることで、特に芸術畑の人が強く意識する機会が多いと思われる。作品と向き合いながら自分と世界に向き合うから。

 

だから……私はアートに興味があると冒頭で書いたけど、別に出力方法は何でもいい。見える世界を表現したいだけで、伝えたい人に伝わればいいだけだから。

 

音楽でも絵画でも落語でも小説でもダンスでもブログでもなんでも。

 

まあ、向き不向きはあるし目的にもよるし、それまで歩いてきた人生にもよるかな。

 

どちらかと言えば、私は"言葉"が好きかもしれない。

養老孟司が好きな理由

とりとめもないブログを書いてしまったが、最後に最近私がよく名前をあげる養老孟司氏について、この人の本を読み漁ったのは下記の一文が理由である。(原文ママではない)

 

本当の読書とは、読み終えたあとに見える世界が変わるもの。

 

あ、この人が言ってること当たってるわとビビッときた。そうなんだよ。別に自己の探求とか世界について考察せずとも、本を読んで世界が変わることはある。

 

単に知識を得るだけじゃなくて、世界を一変させることが読書なんだよ。

 

というか本じゃなくてもいい。ふとした会話、テレビ番組の一コマ、読み聴かせている絵本。あらゆる体験が解釈を変え、世界を変えるきっかけになる。

 

だからこうやって自分の見える世界を作り替えていく?というとちょっと違うな、気づいたら見える世界が変わってるような。

 

そういう変化が私は好きなんですよ、という話。

 

だからそうだなぁ。狭い世界で窮屈に生きてる人がいるとすれば、もっと世界は広がるし深くなるよと。いくらでも変容するんだよと教えてあげたいんだけど。

 

私なら何をどうやってそれを伝えるか、というところ。まあ、答えは出てるんだけど。

 

やるだけやってみたい。もちろん、現実とのバランスを取りつつね。

 

お前の世界も狭くて浅いだろというツッコミはなしでたのんます。

 

ここまで読んでいただき感謝。

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