きつすぎるとんぼである、ごきげんよう。
昨晩の娘(特別支援学校/中2)は1時に起きて、お漏らしからの着替えからのまたおしっこしての……
とかやってると完全に覚醒して、しかも風邪ひいてるみたいで発作も多くて寝るわけもなく。2日連続深夜からのドライブになってしまった。きっつい。眠すぎて死ぬ。
こんな日に限って、色々あって娘も次男坊(2歳)も休みになって何がなんだかわからんけどブログだけは書く。眠いから夢物語で。
頭が回ってないから本気にしないでほしい。
娘の障害
長男(小6)について考えた結果、長男には私とは全然違う快適な空間があることを理解した。
この場面なら当たり前のように抱くだろうと想定してた感情を、長男は抱かない可能性がある。たとえば家族揃って映画見てないと寂しいとかそういうの。
私と長男では見えている世界が違う。これこそがまさにスペクトラムだと上の記事で書いた。
でね、この考えの先には娘(特別支援学校/中2)もいるわけだよ。なぜなら娘は自閉症スペクトラムだとすでに診断を受けているから。
重度の知的障害とも診断されているため、正直その傾向はあまりわからんのだが……
強いて言えば、まだ娘が幼児期の頃。妻とばぁばの2人で接しているのに、ばぁばだけは完全無視。まるで存在しないかのような態度だったという。
6~7歳の頃は私もよく感じたかな。ランドセルを渡したら手に取ってぶんなげるとか、弁当を渡したらぶん投げるとか、その時の目がとんでもなく怖かった。
今はだいぶ緩和されたんだけどね。それでもたまにある。
あまり会話しないんでアスペルガー傾向を感じることもないし、刺激に敏感すぎて箱に入るとかイヤーマフが必要ということもない。
どちらかといえば触覚かな?不必要に触れられるのはすごく嫌がる。
あとは長男が依存しがちなテレビやYouTubeにも、娘は驚くほどに熱中しない。その辺の子供と比べても明らかに興味がない。いつでもどこでも一瞬でやめられる。
きっと、私とも長男とも見えてる世界が違うんだろうな。
細く長くって
娘は幼稚園までは地元の幼稚園に通い、小学校に上がってから特別支援学校に入った。先生もいい人たちばかりでプロだし、娘にはあっているように思えた。
デイも遊びがメインでいい。体調にはムラがあるものの、毎日それなりに楽しんでいるようではある。
妻はいう。娘には人と触れ合ってほしいと。結局親は死んでしまうのだから、他者と過ごすことに慣れていかなければならないと。
だから学生を終えたら少しずつショートステイの利用を増やしていくなりして、25歳くらいまでには完全に長期入所に移行しよう、親がいなくなってもいいように。
……という話でこれまで妻との合意がとれていた。でも今は少し思うわけだよ。
これはね、理想論のお花畑だから話半分に聴いてほしい。
娘にとって、他者と触れ合うことってストレスの方が勝つんじゃないかって。正直人間そんなに好きじゃなさそうなんだ。だって勝手に動くし、自分の思い通りにできないし。
そこにある物を動かされるだけで、ドアの開閉だけで嫌になる娘である。基本的に我慢してるだけで他人と同じ空間で快適だとはとても思えない。
人がいればいるほどに社会的なルールが多くなる。学校もデイも狭いし、将来的に施設に入っても基本は屋内で過ごす。
今考えてみたら、学校にて教室で過ごさせることも引っかかるというか。わざわざ制服に着替えて、カバンの整頓させて、たまに文字の練習したりして。
この何もかもが娘にとってストレスで、本当に娘に必要な支援かな?とは思うわけだよ。
いやもちろん、他者と交わって社会で生きていける子たちにはすごくいいのかもしれない。これらが大きなストレスにならず、今後大きく役に立つ子もいるだろう。
ただ、才能の目を積む考え方かもしれないが……おそらく娘は働けない。就労支援B型も無理だと思う。体調も安定しないし、指示も通らないことが多い。
現状を見る限り、身支度すら完全自立することはなさそう。働くという概念も理解できない印象である。
働くどころか遊ぶことも難しくて、デイではいつも誰かが遊んでるの見てることが多いそうな。自宅でもそう。
私が思うに……何もしないのが娘にとっての幸せでは?と。
何もしないと言っても、できれば快適な自然の中で、動物とかに囲まれて、ぼけーっと1日過ごすのが娘にとっての幸せなんじゃないかと。
今は毎日学校やデイで過ごして、18歳になったら今度は生活介護で、きっと死ぬまでそんな感じ。
サポートもしてもらえるし、命も守ってもらえるし、仲間もいるし悪いこっちゃない。
とんでもなくお世話になってるし有難いしいいことだらけなんだけど、娘には多分ずっと大きなストレスがある。
生まれてから死ぬまで、本当に解放される時間がないのではないか。ずっと窮屈な時間を過ごすことになるのではないか。
でも現実問題、親は先に死んでしまう可能性が高い上に、このルートを外れたら面倒見てくれる人がいない。
仮に娘にとって快適な空間を作れたとしても、そこは国の支援の範囲外。
親が独自に作って、親がメインで対応するしかなくなる。しかも親は先に死ぬ。死んだ後はどうするんだ問題ももちろんある。
それでも……親が生存してる期間だけでものびのびと過ごせたのなら、最後の期間だけ厳しい人生になってもそれはそれでありなのではないか。
親が生きてる間だけでも心地よい時間を過ごす割り切り人生、それもありではないか。
うん、書きながら現実的ではないとは思っているよ。ただ頭に浮かんでしまっただけ。学校やデイを貶める気もない。
娘があるがままで過ごせる空間ってどんなんじゃろなぁと思ってしまっただけ。
理想は牧場
色々考えた結果、娘が過ごす環境の最適解は牧場である。
牛や馬や鳥がいて、畑があって、木々があって、木陰があって、広い土地があって。
無理に仕事をさせる必要はない。そこにいるだけでいい。ただただその空間で周りを眺めながらほろほろして1日を過ごす。
親は仕事をしながら遠巻きに娘を見守り、たまに簡単な仕事を手伝ってもらったり、一緒に食事を摂ったりする。
これならのんびり過ごせそうじゃない?
地面は土だからてんかんで倒れてもそう大怪我はしないだろうし、お漏らししても地面だし、ほろほろ歩いても走っても物投げても食事をこぼしても誰にも迷惑をかけない。
現代社会で生きていくために、きっちりとした動きをさせようとするから娘は障害者なのだ。
自然に囲まれた広くて自由な空間なら、娘は障害者ではない。ただその空間を楽しんでるだけの存在となる。
どうこの話。お花畑でしょう?
もちろん現実的な話ではないし、急に牧場ってなんやねんいくら金がかかるねんと思われるだろう。
私も思いついた時に一瞬テンション上がって、すぐに下がった。たとえ金があったとしても、人生のすべてを賭けたとしてもこんな牧場が作れるかは疑わしい。
でもなんかさ、引きこもりの子とか、自閉症の子とか、そういう人たちがふわーっと来れてぼけーっとできる自然と動物に囲まれたら広い空間あったらいいよなーって。
まぁ金金金やな。金が必要だわ。牧場経営だってどう見てもめちゃくちゃ難易度高いだろうし。現実に寄せれば牧場ではなくて、大きな畑かな?
あとは午前中だけでも一緒に畑に行く時間を作って、午後は介護施設を利用するとか、まあ現実に寄せればこういう感じになっていくかな。
……あ、そうか。
自分の子供にとって幸せな場所、ってのを考えた結果、子供のために親が福祉施設なんかを立ち上げたりするのか。
そうかそうか、そうなのか。確かに、事業にしてしまえば親が亡きあとも続いていく可能性が出てくるか。
とんでもない愛と勇気と行動力だ。すごすぎるな。
私の場合はそれが牧場経営だと……あ、無理だこれ。戯言はこれくらいにしとこ。
ここまで読んでいただき感謝。
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