先日は妻が仕事の関係で帰りが遅く、子供たちと三人だけで夜を過ごした。
特に問題なくスムーズに進み、20時には歯磨きをして寝ることに。
娘は寝室に入って5分で寝たが息子がなかなか寝付かず、ずっと話しかけてくるので無視を決め込むと静かになった。
やっと寝たかと思ったら、
「パパァ……」
と泣きそうな声で私を呼ぶ息子。
「さっき地獄の話しなければよかった……怖くて眠れない」
ま、まじか!!!
これドラマとかでよくある例のやつじゃん!
と色めきだつ私だが息子が眠らなきゃ私も眠れない。何とかせねばならない。
そもそもなぜこんなことになったのか。
それはある日の夕方、子供たちと一緒に帰宅すると玄関に小さなクモを見つけたのが発端だ。
「クモには優しくして」
と何も考えずに息子に言うと
「何で?ねぇ何でクモに優しくするの?」
そう食いつかれてしまったのだ。
益虫(えきちゅう)というワードが思い出せなかった私は、仕方なく芥川龍之介の「蜘蛛の糸」の話を展開した。
「もし君が地獄に落ちた時、クモの糸が空から降りてきて登ったら天国にいけるんだよ。でも下からゾンビみたいな人間や鬼が糸を登ってきたらどうする?重くて糸が切れるよ、ねえ、どうするの?」
そんな話をして遊んでいた。
それから時折思い出したように地獄の話を私に聞いてくるようになった。
だが私は子供騙しはあまり好きではない。
地獄の話をする度に、地獄も天国もあるかどうか誰にもわからないから考えても無駄だと、死んでから考えた方がいいのではないかと言うが、息子はそんな現実的な話は聞きたくないのだ。
ある晩地獄について何度目かの質問をされたので、観念して一般的な地獄について説明することにした。
地獄では鬼が大きな棒を持って人を叩いて怒っている。怖い鬼だ。
針がたくさんある山を「痛い痛い」と血を流しながら皆んな歩かされているよ。
痛くて苦しいけど逃げられない、それが地獄なのさ。
4歳児に恐怖を味あわせてやろうと本気の低い声で演出したりした。
だが息子は「地獄には誰が住んでるの?」とか「蜘蛛の糸を鬼が掴んでたら退治する!」などと怖がる様子もなく興味津々だったので、
「でも鬼にも家族がいるかもしれないよ、妻も子供いるかもしれないよ、君に退治されたら子供も妻も悲しむけど君はどうするの」
と哲学的な問いに切り替えたりとか、まあよくある親子のコミュニケーションである。
息子も楽しんでいる様子で私は満足していた。
そして「怖くて眠れない」と言い出したのがその晩のことだ。
怖かったんかい!!!
子供のリアクションではわからんもんだ。調子に乗り過ぎた。
針の山を「痛い痛い」と言いながら歩く人たちの反応までリアルに再現したのがダメだったのか。
鬼を退治するという息子に、殺された鬼の息子の演技をしてみせたのがダメだったのか。
わからない。わからないが怖くて眠れないという息子にいつもの感じで「地獄なんて存在しないんだよ、それは空想の産物だよ」みたいなことを言ってもややこしくなるのは私にもわかった。
早く寝かせるにはどうすべきか?悩んだ私は、いつもなら絶対にしない夢のような話をした。
「大丈夫!君が地獄に行ったら私が助けに行くよ!一緒にタケコプターつけてぴゅーっと天国まで飛んで行こう!」
「鬼も一緒に天国にいったらいいじゃん!天国には妻も私も姉もみんないるよ、天国でアイス食いながら戦隊モノ見ようぜ!」
とかなんとか、ほんっとうに子供騙しとしか言いようがない話を10分ほど繰り広げると息子は安心して眠りについた。
話している最中に息子の恐怖が薄れていくのがはっきりわかった。
こんな子供騙しに意味なんてねーよ!と思っていたが、こんな話でも子供は安堵し恐怖が薄れるのだと、役に立つことがあるのだと知った。
しょーもない話ではあるが、
うわーパパやってんなー。
と息子に話している間にひしひしと実感していた。
「もしもし、あたしメリーさん。今あなたの後ろにいるの!」なんて怖い話を何度しかけてもケラケラ笑う息子も、怖いものがあるのだね。
そんなある晩のお話でした。
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