ステップファザーにできること

発達障害の娘とやんちゃ息子の父によるステップファミリーの話

愛した猫の死を通して、死のどうしようもなさを知った死生観の話

価値観には色々とあるが、その中でも死についての考えを書きたい。

 

死生観というものは本当に人それぞれで面白い。

 

死とは何か、本気で考えたことがあるだろうか?

 

私はある。

 

それは、愛していた猫が死んでしまった時だ。

 

私がまだひきこもっていた頃に、夜にみゃーみゃーという声が外から聞こえてきた。

 

気になった私は声の主を探しに行き、駐車中の車体の底に入り込んでいた子猫を見つけた。

 

それから面倒を見るようになり、家族として暮らしたのである。

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穏やかで臆病なはちわれ猫だった。

 

だが保護してから5年経った頃、悪性リンパ腫に。

 

発覚した頃には手の施しようがなく、それから一月経たない頃。母と姉が見守る中、私の腕の中で死んだ。

 

病気だとわかった時も死んでしまった時も、ただただ寂しいと感じていた。

 

そしてその時の私はふわーっと、なんとなくこう思っていた。

 

死んでもどこかにいるんだろうな。

 

それは死後の世界の話が溢れているからか、死んだあとも見守ってるよなんてフィクションが山ほどあるからか。

 

虹の橋という話も有名らしい。ペットが死ぬと虹の橋のふもとで飼い主が来るのを待っていて、飼い主が死んだら一緒に虹の橋を渡り天国に行くそうだ。

 

猫が死んだあとに、寂しさからそんな話を調べたりした。

 

だがそんな話を読みながらも、私は薄々気づいていた。

 

何でこんなに悲しいんだろうって。何で私はこんなに寂しいんだろうって。

 

それは、”死”のどうしようもなさを私が無意識に理解していたからなのだろう。

 

もうどこにもいない。

 

そのことに気付いた私は発狂した。一人で泣き叫んだ。

 

今まで向き合うことのなかった ”死”という概念を、心から理解したのはその時だ。

 

もうどこにもいないし、私を見守ってくれていることもないし、会うこともできなければ何かを伝えることもできない。

 

もうどうしようもないのだ。死んでしまったら、終わりなのだ。このどうしようもなさこそが”死”なのだ。

 

葬式をすれば、お墓を作れば、供養をすれば、そこに何か意味があるのだと思っていた。

 

だがそれら全ては死んだ者のためではなく、残された者のためにしていることだった。

 

一週間くらい泣いていたか。とにかく夜になると、私は信じられないくらいに泣いて泣いて泣いた。

 

そんな、死のどうしようもなさを痛感した愛猫の死であった。

 

ばーっと書いたが、この考えがおかしいと思う人も勿論いるだろう。

 

死生観は人それぞれだ。

 

常識的に言えばたかがペットにこんなこと考えるかね!?という人もいるかもしれない。

 

だが私にとっては、30年生きた中でこんなに身近で愛していた存在が死ぬなんて初めての経験だった。正に家族だったのだ。

 

その悲しみから築き上げた、私独自の死生観であり人と同じである必要はないだろう。

 

そしてあれから数年経った今も同じ考えではない。この死生観も日々変わっている。

 

悲しみにくれていた当時は、

 

地獄も天国もあの世なんて絶対に存在しない!何も残らない!

 

と思っていた。だがそれは違うのではないか?

 

地獄も天国も存在するかどうか”わからない”のだ。

 

絶対あるとか絶対ないと言い切る必要もないし、そもそも決められるものではない。

 

今は、死後の世界があったらいいね、幽霊が存在するなら嬉しいね、というスタンスに落ち着いた。

 

そして死んでしまった猫も元々は地球や宇宙の一部なんじゃないか。

 

私も死んだら地球に帰るし、地球が太陽に飲み込まれれば宇宙に帰る。そしてまた星になったり宇宙を漂ったり、それなら寂しくないのではないかとも思ったりする。

 

とにかく、わからないことだらけだ。わからないことだらけだけど、わかっていることもある。

 

それは、一緒にいた時間が確かにあったことだ。

 

もう死んでしまいどこにもいないかもしれない。二度と会うことはできないのかもしれない。

 

でも確かに、一緒に過ごした時間があったのだ。

 

その時間が”あった”という、それだけで私は嬉しく思う。

 

何億何十億年と続いているだろうこの時間の中で、こんな広い世界の中で、ひとときでも一緒に時を過ごせたことを私はとても嬉しく思う。

 

悲しみは今も消えないが、それだけで十分かもなーと今は思ってたりする。

 

これが今の私の結論かな。

 

そんな、愛する猫から学んだ死生観の話であった。

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