子供たちのことや自分のことはよく書くが、あまり妻のことには触れていないこのブログ。一度書いたのがこれ。
あまり個人的な話を書いてもなと控えていたが、オナラのことしか書いていないのもあんまりだな。
妻の話はとても面白くて、初めて妻の離婚話や元旦那の話を聞いた時は「この人すごいな、今よく笑ってんな」と驚いたものだ。
今回はそんな妻との夫婦関係について書いていきたい。
とは言っても結婚してたかだが一年半、付き合っている期間を含めても三年程度だ。
まだまだこれからの二人で、何十年も連れ添っている夫婦と比べたらヒヨッコもいいところ。
だがそんな私たちでも、それなりに山を越えてやってきたつもりだ。
数えきれないほど喧嘩もしている。
私たちの喧嘩はこうだ。
怒鳴り合いはしない。ただお互いに目を見なくなり、笑わなくなり、上っ面の会話しかしなくなるというもの。
それでも子供もいるし、家族だから家にはいる。
無視をするわけにもいかず、お互いに壁を作って本音を話さないという実に微妙な空間である。
そんな喧嘩を、何度繰り返しただろうか。
夜に子供達をお風呂に入れる担当が私になった時。
娘の病院受診やリハビリ付き添いを初めてお願いされた時。
私が子供たちよりも姪っ子をかわいがった時。
私が仕事をしたいからもっと時間をくれと言い出した時。
妻が仕事で夜に帰りが遅い日が週に3日あった時。
書けばキリがないほどに私たちは喧嘩をしている。
だがこれだけは胸を張って言いたい。
私たちは全ての喧嘩をなあなあで終わらせることはしてこなかった。
確かに喧嘩から数日経てば、「もう喧嘩を蒸し返さなくてもいいかな」と思うことがある。
「ムカつくが仕方ない。気に入らないけどやるよ」
そう妥協しようとしたこともある。
だが、こんな風に妥協したりうやむやにしておくとモヤモヤして仕方がないのだ。
モヤモヤするというか、
全然面白くないのだ。
お互いどちらかが納得できていない、妥協した状態での夫婦関係は本当に面白くない。
私が妥協するのは面白くない。妻が妥協しているのも面白くない。
お互いに納得した上で物事を進めていかなければ、家族として相手を信頼することができないだろう。
「何もしないくせに」
「こんなにやってるのに」
お互いにそう思いながら過ごす生活は、何も面白くないのだから。
いつかのテレビで、ある女優が恋愛についてこう語っていた。
「若かったらいいけど、喧嘩は疲れてしまうからもうイヤ」
確かに喧嘩は疲れる。
だが、喧嘩をすることでお互いに考えるきっかけになることもある。
怒る時、それはきっと「自分の大切な何かが脅かされている」時だ。
だが、その脅かされている大切な何かは本当に大切なものか?
それを考えなければならない。
何が私にとっての正解か?
自分を優先するのか、家族を優先するのか、仕事を優先するのか。
それらを一人で考えている時、いつも答えは単純で正解はだいたい決まっている。
大抵は自分のことしか考えておらず、保身に走っていたり、恥をかくのを恐れていたり、人からの評価に怯えていたり、相手の状況を考えていなかったり。
それはお互いに同じようだ。
私は初めてのことにチャレンジし失敗すること強く恐れている。
妻は仕事関係での評価が落ちることを強く恐れている。
他にも気づくことはたくさんある。
こんな風に、喧嘩をきっかけにして自分の考えのおかしさに気付くことができる。
自分が本来大事にすべきことをないがしろにしていることに気付くことができる。
二人共が真剣に自分と向き合い、相手と向き合い、何が大切かを考えた上で話し合い、今後の行動を決める。
その姿勢なら「喧嘩すればするほど仲がいい」夫婦になれるんじゃないか?
喧嘩を重ねるごとに、私はなんとなくそう感じるようになっている。
喧嘩は疲れるが、喧嘩をしなければ気づかなかったことも数多くあるのだから。
そんな結婚一年半目の、ひよっこ夫婦の話である。
ちなみに私たち夫婦は昨日も喧嘩して今日も喧嘩した。
いや、お前らケンカしすぎだろ
という感もあるが、お互いに納得した上での落とし所を探るのは早くなってきている気がする。
成長したな。
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