つい先日のこと、娘と息子と3人での送迎帰りの車内での出来事だ。
いつも通り息子があーだこーだと話していることに適当に相槌を打っていたのだが、少し私が間違ったことを言ってしまったらしい。
「ちげぇ!!」
そう大声で5歳児に言われて普通にむかついたという話をしよう。超どうでもよさそうな記事だな。
そうでもないと思ったが死ぬほどむかつく
体調不良も影響を及ぼしているが、なんとなく「お友達の○○君って*組だよね?」と聞いただけにも関わらず、
「ちげぇ!」と声を張り上げて言われた私は普通にむかついた。クソ野郎だなこいつは、無視してやろうかとイライラし始めた。
そしてこのイライラは止まらない。息子が最近やたら歌う「そつえんのうた」という奴を一緒に歌ったら、私が歌詞を間違えたらしい。
すると息子が言うんだよ。
「ちがうだろ!!」
とね。かわいい感じじゃないよ。別に怒っている感じでもないよ。ただ大声で言うのだ。
悪意もないし単純に間違っただけでここまで言われないといけないのか、ふざけんなと怒りはピークに達しつつあった。
しかも私はまだ子供達と接する時間も多い方のお父さんだから、冷静に考えられている方だと思う。
昭和の父ならこう言うね。
「親に向かってなんだその口の利き方は!?」
鉄拳制裁すらあったかもしれない。子供の生意気な言い方は時代が変わっても不滅だぜ。
無言になる父
この程度でむかついても仕方がない、これは私の問題だと自分に言い聞かせながら車を運転しているが、どうにもイライラがとまらない。
その後も「今日は何曜日?」と聞かれたので「知ってるでしょ」と答えたらこう言うんだぜ。
「僕は知ってるけど、パパが知らないと思って聞いているんだよ」
口を開けばイライラしている私の神経を逆なでするようなことしか言わないため、ひっさびさにぶちぎれた。
怒っても別に何もしないぞ。無言モードを発動し、無視することにしただけ。
それでも以前なら全てを放り投げて妻にお願いしたが、無視しながらも一緒に風呂に入るくらいはやってもいい。成長したな。
風呂上がりに考える
風呂に入りながらもむかつくなーイライラすんなーとずっと考えていた。私はどうするべきなのだろうか。
息子のこれらの発言全般は、私目線で見ると未熟でお粗末なコミュニケーションである。大人なら即座に嫌われ者になるだろう。
でも別にいいのだ。息子が好きなように発言し、それで周りに嫌われるのならまったく構わない。好きにすればいい。
嫌われるのが嫌なら話し方を改善すればいいし、嫌われてでも好きに発言したいなら今のままでいい。
結局、私がどう反応するかというのは私の問題で、息子にはなんの関係もない。ここで息子にイライラをぶつけるのはあまりに大人気ないと言える。
そんな考えもあるし、あとはまあ、私たち親の言葉遣いが悪いというのもある。
私は子供達にお前とも言わないしこいつとも言わない。「〜してもらってもいい?」などとかなり言葉には気を使っている。
それでも無意識に「〜だろ」とか、「早く〜してこい」などの命令形は出てしまうのだ。
これは完全に息子と娘を軽んじての言葉使いなので、息子も当然のように親に使っているのだろう。息子にとっては親は対等な存在なのだしね。
色々と考えた結果、むかつきながらも少し子供達と話し合ってみることにした。
相手を軽んじた言葉は使わない約束
風呂上がりにドライヤーをかけながら、息子に話す。
パパは間違っただけなのに、息子の言い方が乱暴でかなりむかついたこと、そして私はそのおかげで気分が悪くイライラしていること。
でも、私も息子と娘に同じような言葉を使うので、それは仕方のないことであること。親が使って子供だけ使っちゃダメな言葉など存在しないということ。
今後は私も妻も、「お前」とか、「〜だろ!」「〜しろ」といった言葉は使わないようにすること。
だから、子供達も同じように「ちげぇ!」とか「〜だろ!」とかは使わないようにやってほしいということ。家族だから、対等な言葉遣いをしていきたいということ。
そう話したよ。
娘はまるで興味がなかったけれども、息子はいいよと言っていた。その後まだ帰宅前の妻に電話して、言葉遣いを気をつけようと話をして、終わり。
できるだけ幼いうちに考えよう
そんな感じでイライラは1時間も経たずに収まり、今後は家族皆で対等な言葉遣いをしていこうということで落ち着いた。
以前の私ならイライラで風呂も入れずに妻の帰宅を待ち、妻が帰ってきたら実家に逃走コースの問題だが、成長したもんだな!
そしてこのような親子の言葉遣いの問題は、子供達が大きくなればなるほどに難しくなっていくと思う。
逆に社会人くらいになれば丸くなる気もするけども、中高生になってクソ生意気な発言をされても笑顔でいられる自信がない。
とはいえ、どんな言葉遣いをするか決めるのは子供達自身だ。今回のような話し合いはできたとしても、その後どうするか決めるのは親ではないのだ。
親としても、日頃から子供達にどう接していくかは非常に重要なポイントであるな。
あーひっさびさにイライラしたな。