娘の成長を促したいとんぼである、ごきげんよう。
娘は発達障がいで知的な遅れもあるため、少なからず生活にはサポートが必要。トイレも食事も着替えも、サポートすべき部分はある。
とはいえ、何でも親がサポートすることで成長を阻害してしまう懸念もあるのだ。
夕食を食べなくなった娘
ここ数週間ほど、夕食を出しても娘がスムーズに食べてくれないことが多くなった。
めちゃくちゃ元気な時はぱくぱく自分で食べることもなくはない。それでも半分食べたら皿ごと妻に渡して介助を促す。
食事中に立ち上がって周りをうろうろ。妻の隣に立って押したり、膝の上に座って介助してもらおうとする行動が目立つ。
娘はもう23kgを超えている9歳だ。体もでかい。妻も、こんな重たい娘を膝の上に乗せて食事を介助するのがきつくなってきている。
体が小さかったらまだ介助しやすいはずだけど……もう大きいんだよねぇ。
体調が悪いなら、一人で食べる元気もないならと妻が介助してきたことが悪いとは言わないが、娘が夕食を自分で食べることが少なくなってきたのが問題だ。
昨日も食事を出したのに、皿を押しのけて絵本を開いて読んでいた。もはや自分の力で食べようという気がない。
食べる気がないくせに、妻が介助をしないと怒り出す。
今日も食事があるのに、すぐに席を離れて妻の後ろをうろうろして介助されるのを待っている。
ふーむ。
妻と私の対応の違い
私は比較的親切な父親だと自負している。それでも子供たちには、自分でできることは自分でやってもらいたい。
怒っても叩かれても、何か嫌な顔をされたとしても、自分の力でできることは自分でやってほしい。できないなら手伝うよ、そんなスタンス。
だから娘が自分でご飯を食べないなら、別に構わない。「そこまでお腹がすいていないんだね、じゃあ片付けようね」となる。
片付けて娘が怒るなら「じゃあ食べたらいいじゃない、はいどうぞ」。介助はしない。自分で食べてもらおう。
逆に妻は、怒ったり注意したりするけども、結局介助してしまうタイプ。
娘が皿を弾いて飛ばして、自分で食べないと拒否して、妻に体当たりして腕を振り回して叩いても、怒りながら介助する。
一口食べたら娘はあっち行ったりこっち行ったり、集中もしないし、一口食べる度に妻を押したりするけど、それでも最後まで介助する。
どっちがいいか、正解はわからん。でも、娘は学習してしまったようである。
「何をやっても、ママは最後には介助してくれる」
私は好かんのじゃ。9歳だからとかお姉ちゃんだからとかじゃなくて、自分でできるんだから自分でやれよと思ってしまう。
最近明らかに自分でご飯を食べる気がなくなってきてるから、見ててイライラする。何やられても最終的に介助する妻にも、口を出してしまいそうになる。
妻の気持ちもわかるんだけどねぇ。
少し話し合ってみた
そんなわけで、何となく妻と話してみた。あまり娘に介助しないほうがいいんじゃないかと。夕食は介助してもらうのが当たり前だと学習してしまってるっぽいぞと。
さらに、近々娘のお風呂担当も妻になりそうだ。
お風呂上がりの着替えも、娘は一人でできる。たとえグズったとしても、叩かれたとしても、自分で着替えるはずだから介助をする必要はないと。
そりゃ手伝ってと言われたら手伝いたくもなるだろうし、叩くほどの拒否されたら介助もしたくなるだろう。手伝わないことは心苦しいかもしれない。
でも、娘は一人でできるから。それを続けていくことで、自分でやるのが当たり前だと学習してくれるはずだから。
娘に何を学習してほしいのか。今一度考える必要があるのではないか。
ここまで読んでいただき感謝。
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