察してしまったとんぼである、ごきげんよう。
今となっては娘=暴力となってしまったが、最近二人暮らしをして一つの答えを得る。
誰も言わないけど、これ二次障がいだろう。
娘の暴力は何のせい?
娘の暴力が出始めたのは6歳になってから。5歳でてんかんが悪化して、薬が増えて、薬を調整するたびに暴力が出るようになった。
特に酷かったのがエクセグランといった薬や、イーケプラを追加したとき。人が変わったかのように攻撃的になり、奇声をあげることも増えた。
担当医の話では、薬によって人格が変わった例をいくつも見ているとのこと。抗てんかん薬は脳に作用する薬がメイン。人格が変わっても別におかしな話ではない。
娘はてんかんによる体調不良もある。抗てんかん薬の副作用もある。もちろん本人の特性もあるし成長もある。
さまざまな要因が複雑に絡み合ってはいるものの、暴力的な行為は薬の影響がもっとも大きい。
そう思っていた。
しかし娘と二人暮らしをして、娘のこだわりを受け入て、娘にすべてを合わせて生活していると気づくことがある。
娘の暴力って二次障がいそのものじゃないかと。
確かに最初の暴力は薬の副作用によるイライラが原因だったかもしれん。
でも我々家族は娘の特性に合わせて生活してこなかった。娘に最大限合わせることはなく、公平に家族の一員として扱っていた。
直すべきところは直せ。人が嫌がることはするな。暴力はもってのほかである。
我々にとっては至極当然の、社会で生活していく上で最低限のことを身につけてもらおうと頑張ってきた。実際に身につけられたことも多い。
しかし、我々目線の最低限のことすら娘にとっては相当な苦痛を伴って実行しているのでは?日々の生活が、とんでもない苦痛にまみれているのでは?
自宅では常に緊張とストレスに苛まれ、それを表現する手段として暴力が常態化してしまった説。
つまりは周りが理解に乏しい劣悪な環境により発現した、二次障がいではないか。
暴力が常態化した今ですら、ストレスが溢れ出るようなことがなければ娘が暴力に走ることはない。最近は日中に攻撃受けてない。
お風呂も歯磨きも薬も、娘が自分からやってもいいとアピールするまで、ひたすら待っている。待って待って待っている。
焦らなくても心配しなくても、やりたくないことを強制されない環境を作ろうと努力している。
そうすると、怒らない。叩かない。自分のタイミングで素直にやってくれたりする。
うーむ。
暴力を矯正するというより、いつか娘が心から人を信頼できた時に、わざわざ暴力に訴える必要がなくなるんじゃないか??と。
アドラーっぽい。
生活は誰に合わせているの?
何でこんなことを書いてるかと言えば、こちらの本を読んだから。まだ途中だが。
子供が発達障がい+知的障がい+自閉症という、我が娘とそっくりな子供と過ごして色々と学んだお母さんが書いている本。(そういえば我が娘も自閉症スペクトラムである)
様々な療育施設を利用すると、それぞれに大きな違いがあったと書いてある。
このお子さんは、スーパーのトイレにあるジェットタオル(強い風が出る機械)の大きな音がすっごい苦手なんだって。
ある療育施設では、嫌なジェットタオルの音をとにかく経験させて克服させる手法を取るそうな。自宅にもジェットタオルを導入する徹底っぷり。
それで乗り越えられる子も中にはいるらしい。スパルタですね。
でも著者の子供はどうやっても無理で、別の療育施設にいくと逆に注意されたという。
ジェットタオルなんてなくても生活は困らないし、こんなん無理矢理聞かせていたら将来的に二次障がいなる。他人がジェットタオルを使う環境が無理なら、人がいない障がい者用トイレを使えばいいと。
……この話にびびっときまして。
ブオオオオオ!という音だから嫌悪感がイメージしやすいけれど、障がい児にとってはこれと同等の嫌なことが生活にちりばめられているのだ。
うちの娘で言えば、ドアの開閉がそう。我々から見たら大したことない。こんなん嫌がる意味もわからん。理解もできん。だから軽視してしまう。
でも娘にとってはダメなんだ。嫌で嫌でたまらないのだ。
それなのに家族は当たり前のようにドアを開閉する。怒ったら怒るなとプレッシャーをかけられる。
こんなん続いたらそりゃ二次障がいになるよなって。
一般的とは言い難いこだわりがあるから、せめて最低限社会と調和した生活ができるようにと、無理解に矯正してしまうのは自然なコースとも言えるが……
恥ずかしながら、うちがそうなんだ。娘が嫌がることも手を替え品を替え、何とかいろんな戦略を練って最終的にはやってもらうのがうちのやり方。
今までは注意しまくっていたしね。
目の前でドアを開けるだけで体当たりしてくる娘に、こんなことで怒らないでと注意もするし。息子の勉強の邪魔をしたら注意するし。座ってる息子の頭を叩いたら注意する。
しかし娘は大切な何かが奪われたから怒っている。奪い返す方法がわからないから、攻撃するしかない。そして誰にも理解されない。
家族が理解してくれないんだから暴力が悪化して当然。娘に合わせるのではなく、家族に合わせた生活を送らされていたのだ。本当に申し訳ない。
結論として、我々が悪い。
ちなみに、学校もデイも担当医もケアマネも、誰からも二次障がいだなんて言われたことない。
二次障がいという言葉に親を責めるニュアンスも含まれているから、簡単に口にしていいものでもないのかもしれん。
どちらにせよ、我々のやり方は良くなかったよね。抗てんかん薬やてんかんの影響がゼロとは言わんけどさ。
成長を気長に待て
でもほら、別に新しいことに挑戦させるのはいいじゃないか。
親や家族の都合で、子供の成長スケジュールを勝手に決めてしまうからおかしくなるんであって、本人が嫌がらない分野はどんどんさせたらいい。
嫌がることも、タイミング次第でやってくれることもある。
実際めんどくさいよ。サポートするのは親だし、娘に合わせて生活してたら二度手間三度手間も増える。
それでも、娘がもっとも気持ちよく行動できるタイミングにこちらが合わせることで快くやってくれることも多い。
娘は変えられないが、変えられることは山ほどある。こちらの考え方、対応、声かけ、娘の周りの環境などなど、あらゆる条件を娘に合わせて変えられる。
こうして娘が安心して生活できたら、ストレスも減って緊張も減って、心に余裕ができた分で新しいことに挑戦したくなるかもしれない。
ストレスフリーの環境ですくすくと成長して、気づいたら特定のこだわりが綺麗さっぱり消えているかもしれない。
というわけで、娘という存在を最大限に尊重していきましょうというありきたりな結論で終わりにする。
……障がいは受け入れられたけど日常的なこだわりは受け入れられてなかったという、何とも詰めの甘い話であるな。
娘に弟がいたのが多分一番大きいかな。何もかも娘に合わせるやり方は、弟から見れば不公平以外の何物でもないじゃないか。
息子に責任の一端を背負わせ、それを埋め合わせする勇気がなかった。情けない話である。
ここまで読んでいただき感謝。
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