「迷い」と「決断」は、多かれ少なかれ人生にはつきものだ。
私が真っ先に思い浮かぶのは、末期ガンの父の最期を自宅で看取ったこと。そして、子連れの妻と結婚したこと。
30年も生きていれば、それなりに迷いもしたし人生を左右する決断もしてきた。そのどれも、私は後悔はしていない。
別に、大したことはない話だ。
ひきこもりは一度死んだようなもの
中学生のころに不登校になり、24までだらだらとひきこもり続けた私はもはや社会的には死んだようなものだった。
学生時代の友人とは顔も会わせられないし、職歴もなければ学歴もない。死にたいと思いながら過ごす毎日。
テレビやネットで見る人たちは輝いていて、自分の今置かれている状況はあまりにもつまらない。でも、一歩外に出ることに吐き気がするほどの恐怖に襲われる。
当時持っていた唯一の願望は、心の底から笑える人生を送りたいということ。
このままひきこもってたら、このまま死ぬだけ。どうせ死ぬなら、やれることを最大限やってから死んでも遅くない。
もがきにもがいて何とか社会復帰に成功するが、ひきこもりが社会復帰したからといって何かが変わるわけではない。自分に自信もなく、存在することすら恥ずかしく、何のために生きているのかもわからない。
少しずつ行動を積み上げて自分を認めながら、今自分にできることに集中していた。振り返れば、ただそれだけの日々である。
末期ガンの父とその最期と
ひきこもりから脱出して一年後、父は癌となった。末期ガンで、レベル4で、余命2-3年だという。
その時の後悔は、言葉では言い表せない。長年ひきこもり続けて、親に迷惑ばかりかけ、何の恩も返していないのに父はもうすぐ死ぬと言う。
こんなバカな話あるだろうか。何もしてこなかった自分が情けなくて、ゴミみたいに思えて、一人でずっと泣いていた。
後悔して泣いて。せめて自分で自分を誇れるように生きようと決意した。私にできる親孝行なんてそれしかない。
そして、「迷い」があったのは父の看取りだ。
最期に動けなくなった父を、病院から自宅に帰すべきなのか。帰りたいという父と、病院が安心だという母と姉。
家族とケンカしながらも、私は自分が正しいと思うことを全力で遂行した。つまり、父の意思を最優先にするのだ。
そこに迷いがなかったか?
そんなことはない。父を自宅に帰そうと言い出して、家族を説得してまわるのだ。自宅に帰して最期がどうなるかもわからない。迷わないわけがない。
今でもあの選択が正しかったかなんてわからない。父が自宅で最期を迎えられてよかったと思ってくれたらいいなぁと、ただそれだけ。
自分が後悔したくなかっただけだ。
子連れの彼女と出会って
父が他界する前に出会った女性には、二人の子供がいた。少し前までひきこもりだった私に子供なんて無理だ。恋愛対象に入るわけがない。
でも、気付いたらその女性を好きになっていて、気付いたら”子供達も一緒に愛したい”と思うようになっていた。
ただ、上の娘は発達障害だという。下の息子は健常児だが、血の繋がらない親子関係がどうなるか何もわからない。
そりゃ迷う。何をどうすれば親になれるのか、果たして私にその能力があるのか?
わからないことだらけだが、私の人生の指針は決まっている。
自分を誇れる選択をすることだ。
妻も愛そう。もちろん、血の繋がらない娘も息子も愛そう。
そんな簡単なことではない。簡単なことではないからこそ、それを乗り越えた先には”誇れる人生”が待っているはずだ。
死ぬ前の父に子連れの女性と結婚することを告げたら、とても楽しそうに笑っていた。あの笑顔が見られただけで、割と満足していたりする。
死ぬ時にその選択を後悔しないか
今では子連れの妻と結婚して、家族四人でケンカしながら暮らしている。最近は日常に追い詰められて、まさかのメンタルがやられたようで体も動かない日が出てきた。
それでも私は、この子供達も妻も生涯愛し続けようと決めている。たとえ愛されなくても、私は愛し続ける努力をするだろう。
別にどんな選択だって構わない。私がそれがいいと決めたことなら、ただその道を進むだけ。
結局は、”自分が死ぬ時に、この人生に納得できるか?自分を誇って死ねるか?”ということ。
この一点さえ見失わなければ、これからも道に迷うことはないだろう。
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