ステップファザーにできること

発達障害の娘とやんちゃ息子の父によるステップファミリーの話

お盆の季節なので亡き父を偲んで思い出を語り懐かしむ会

お盆があまり好きじゃないとんぼである、ごきげんよう。

 

なぜ好きじゃないかといえば、あっさい関係の親戚と顔をあわせて膨大なエネルギーを消費するからに他ならない。

 

だが、お盆の本質ってそういうことではないはずだ。故人が帰ってくるといわれているが、要は故人を偲ぶ日なのではないか。

 

あまりこういう機会もないので、久々に亡き父について書いていきたい。

子供との関係性

父は親に捨てられた人。戦後生まれで親戚に揉まれて育ち、親からの愛情をほとんど知らなかったようだ。

 

そんな父が四人の子供を授かっているのだから、さぞかし苦労したことだろう。

 

父親は朝から晩まで働いて、マイホーム建てて、子供も数人作るのが当たり前。

 

今と違ってこれが常識の時代。常識だからってそれが簡単なわけがないし、その難易度が高すぎる。

 

父の給料はかなり安かったはずなのに、親戚に頭を下げながらもこのすべてを達成している。時代が違うとはいえ恐るべきことだ。中卒だったんだぜ。

 

親戚からの圧もすごかったようだし、子供達が四人いるし。相当に苦労したことはいうまでもないだろう。

 

私が子供の頃に父に遊んでもらった記憶がほとんどないのも、父の状況を考えれば仕方がないとすら思う。

 

毎日ビール飲んで、タバコ吸ってなきゃやってられなかったのかも。

 

私が知らない父の顔があったんだろうね。今の私みたいに、子供には話さないことも見せない顔も。

 

私が大人になってからは本音で話してくれてたのかなぁ。いずれ息子や娘が大人になったら、わかるかもしれない。楽しみにしたい。

子供の送迎ばかり

何もしてくれないと書いたが、父は私たち子供のために結構な時間を割いてくれていた。

 

一緒に遊ぶこともないし、どこかに遊びに連れていってくれたこともほとんどない。ゲームもしたことないし、遊んだ記憶が本当にない。

 

ただ車もなく移動手段もない我々兄弟は、毎週のように父親に送迎をお願いしていた。

 

子供の頃はゲームショップや遠い楽器店に行きたいと平日の夜から送迎してもらって、駐車場で1時間近くまってもらうとか。大人になっても飲み会の送迎を行き帰りお願いするとか。

 

私だけじゃなく、長女も次女も長男もみんな父に送迎をお願いしていた。電車やバスを利用すりゃいいのに、父を頼っていた。

 

たまーに嫌そうな顔をすることもあったけど、なんだかんだで必ず送迎してくれる。私だったらぶちぎれるかもしれん。

 

ありがたいことで、父なりに子供達に何かしてあげようと考えてくれていたんだろう。それが当たり前だと思ってたんだから、子供ってのは恩知らずですわ。

考えなくていい

最近よく思い出すのが父との会話だ。以前から親戚との付き合いをどうしようとか、仕事のこととか、道で迷うんじゃないかと心配性だった私。

 

「どうしようかな」

 

そう言って考えるのが癖だった。10代のころも、20代のころも、ずっと「どうしようかな」とばかり言っていた。今もそう変わらない。

 

そんな時、毎度のように苦笑いしながら父に言われていたことがある。

 

「またお前は考えてるのか。どうしようとか考えなくていい!」

 

そして毎回のように私は反論した。

 

「待って!考えるのは大事でしょ!?これからどうするか決めないとどうするの!?」

 

父は何も考えずに行動するタイプで私とは正反対。こんな性格だったから、数百万の借金を背負ってる逃げ回っている時も心の病にならなかったんじゃないかな。

 

今なら、父の言いたいことがわからんでもない。

 

やるべきことが決まっていることをうだうだ考えたり、自分には変えられないことばかり考えて不安になってばかり。

 

考えるべきところは考える。考える必要がないところはとりあえずやってみる。

 

父が本当にそう言いたかったのはわからんけどさ、父には私が無駄なことで考えているようにみえたんだろう。

 

うつ病になってしまった現状、父の助言は正しかったということさね。

思い出も消えていくけれど

父が亡くなってから2年半がたつ。

 

今こうやって色々と思い出してみて、悲しい現実を直視しなければならないと思い知らされている。

 

父との思い出が、どんどん消えていってしまっているのだ。

 

父の笑顔は思い出せるのに、細かい話した内容はうっすらとぼやけて思い出すことができない。

 

もう新しい思い出は作ることができない。記憶は少しずつ消えて、私の思い込みで少しずつ上書きされていくのだろう。

 

寂しいけれど、仕方ない。思い出せなくなっても、きっと何か残してくれたものがあるだろうさ。

 

私もいずれ死ぬのだ。すべての悲しみを引き連れて前に進みたい。