今ではステップファザー となった私だが、若い頃は登校拒否をしたり、長年ひきこもったりとかなり酷い人生を送ってきた。
そんな私も、人の親になって初めて気付いたことがたくさんある。その中でも大きな心境の変化を書いていきたい。
親に愛されていない子供達
突然だが、私は30を超えるまで、自分の親に愛されていると思ったことは一度もなかった。
なぜかはわからない。放任主義だった教育もあるのかもしれない。とにかく、愛されている、という実感はなかったし疑問にも思わなかった。
ステップファザーになった時に初めて疑問に感じた。
私はなぜ愛されてないと思っているんだ?
私には上に姉が二人、兄が一人いる。そこで皆にも聞いてみることにした。
一番上の長女は言う。
「愛されてるとか考えたことない。ずっとお前たちの面倒みるので大変だった。そんなことを考えるのは暇だからだろ」
二番目の次女は言う。
「考えたことないけど、愛されていると思ったことはないね。自分に生きてる価値があるとも思ってないよ」
そして三番目の長男は言う
「いやー、愛されてると思ったことないよ(失笑)」
最後に末っ子の次男である私はこうだ。
「親に愛されているとは思っていないし、実際愛してないでしょ?」
これが私たち四人の結論だった。全員30を超えた、いい歳した大人の私たちは、親に愛されているという実感をもつことはなかったのだ。
普通の家庭?
ここで言っておきたいのは、私達家族は色々と問題を抱えてきたのは確かだが、皆、割と仲がいい。
かなりいいというわけではないものの、一部例外を除いて家族として悪い関係ではなかったはずだ。
幼少期からの教育も基本は放任主義だったが、小遣いももらってたし、やりたいことはやらせてもらっていたし、遊びに遊んだし、まあ細かいことは言わずにのびのびとやらせてくれていた。
それに、愛情がなければそこまでしないだろうと思うこともある。
例えば私なんか中学から登校拒否でそのままずるずる24までひきこもってる。兄も小学生から登校拒否で、30超えた今も引きこもっている。
兄は兄で頑張っているし好きな類の人間なので今さら非難する気もないのだが、 20年近くも衣食住に困らず、ひきこもりを続けられる兄の面倒をみているのは親だ。
それは愛じゃなくてなんだ?
どうでもいい他人にそこまでしないだろう。少なからず、情があるのだ。それを愛情と呼ぶかどうかは人によるかもしれないが、親だからこその行動だろう。
そしてそんな兄ですら愛されていないと感じているのだ。
実際に愛されているのか確認してみた
家族へ聞き回って考えた結果、これは根深い問題だと判断した。そこで最終手段として、実際に母に聞いてみることにした。
「お母さんは、私を愛しているのか?」
最初は「何言ってるのあんた」と苦笑いしてごまかす母だったが、これは重要な問題なのだ。今後の人生に関わる案件だ。
しっかりと返答を聞かねばならないとしつこく食い下がった。当時私は既に30を超えたおっさんだったが、これは聞いておくべき答えなのだ。
そしてその結果、
「”愛してる”に決まってるじゃないの、バカじゃないのあんた」
という言葉を引き出すことに成功したのである。
その時、ぱーっと心が明るくなるのを感じた。親から好きだとか愛してるなんて一度も言われたことがなかったのだ。
だからこそ、嫌われてはないだろうが愛されてもないだろうと感じていた私は、普通にとても喜びを感じたのだ。30を超えても嬉しいものは嬉しいのだ。
この件は、兄や姉にも伝えなければならない!!
そう感じた末っ子の私は、母親と姉や兄がいる機会を見計らい、同様の話題を何度も繰り返した。
その度に呆れたように母は応じてくれ、
「だから愛してるって言ってるでしょ!!(怒)」
と一度キレられるも、しっかり姉や兄にも届けることができた。いい仕事をする末っ子だな。
愛されていると知って
これを聞いたからといって兄や姉の何かが変わるわけではないかもしれない。
ただ私は変わった。
父は既に他界してしまって話せないのが残念だが、もう少し早くこういう話もできていたらよかったね。
そして、この件から気づくことがあった。それは、
親が子供を愛していると行動でいくら示しても、子供が愛されていると感じるわけではない!
ということだ。
ある研究では、虐待を受けるような生活をしない限り、子供の人格形成に親はほとんど影響しないというものがある。生まれつきの性格や学校、また友人関係がメインで、親はおまけのようなもの、だそうだ。
だが、例え虐待でないにしても、親に愛されていないと感じていることは人生に多大な影響を与えるのではないか?
まあ広い定義で言えば私の親はネグレクトだったのかもしれないが。
愛することから始めよう
そして私も大人になって、愛する家族ができた。その今だからこそ言えること。
それは親に愛される必要なんてない、ということだ。こんなおっさんになってまで、親からの愛を求める必要はない。
愛されていなくても、いくらでも生きていける。何とでもなる。
親に愛されていようが愛されていまいが、私には私にできることをやるしかないのだ。
それでも子供の頃の私がそう考えることは難しいだろう。実際に親に愛されていなければ生きていけないのだから。
我が実家の長男はひきこもり、次男もひきこもり。お世辞にも教育が成功したとは言えない。その教訓は、息子である私が進化させていかなければならない。
今の私は子供たちをハグし、一緒に風呂に入り、一緒に公園に行き、寝る前には大好きだよと恥ずかしげもなく言う。私が親にしてもらわなかったことをやっている。
行動だけでなく、言葉でも示すようにしている。
それで全てが上手くいくわけではないだろう。愛情不足でグレるかもしれない。だが上で書いた通り、親が与える影響なんてほんのわずかなのだ。
だからこそ、
「ぼくたちは親に愛されていないんだ!」
と子供たちに感じさせ、彼らの人生の邪魔になることだけはしたくない。
子供達に愛される必要はない。親に愛される必要もない。ただ、私は子供達を愛そうと思う。
それが、自分の親から学んだ親の基本姿勢なのである。
おすすめ関連記事