私はこのブログで度々、「子供が親に愛されている感覚が大事」だと書いている。
それは私が二人の子供の父となって初めて、自分が「親に愛されていない」と感じていることに気付いたことから始まっている。
そして面白いことに、私の姉も兄も、誰も親に愛されているとは思っていなかった。
さて、そんな親に愛されていないと感じていた我々兄弟の末路と共に、親に愛されていないことが子供に与える影響を書いていきたい。
長女の暴言
それはある日のこと、実家にて母や長女と一緒に子供たちの話をしていた。
私はまだステップファザーとなって間もなく、子育てについての知識も経験も全くない。ただ妻の方針に従っているだけのお父さんだった。
そこで話になったのが、お菓子やお小遣いの話だ。
うちではあまりお菓子を積極的にあげていないし、またスマホを渡してYoutubeを見せることもなかった。
すると長女から指摘されたのだ。
「お前のとこ制限多すぎるな、お小遣いもあげないの?」
そう聞かれたので、もう少し大きくなったら考えると答えた時の姉の発言だ。
お前の子供達、万引きするだろうな。
その言葉に私は絶句した。
え、何それ。何でそんなこと言われなきゃいけないんだ。
姉が言うにはこうだ。
子供の頃から制限ばかりでお小遣いもなかった子供は万引きなど犯罪に走る。お前達の子供もそうなるだろう。
ふむ。
って納得できるかあぁ!!
と怒りに怒った記憶がある。
子供はなぜ万引きをするのか
そんなことがあって、
なぜ子供が犯罪に走るのか?
ということを私は徹底的に調べ始めたのである。その過程で読んだ本にはこんなものもあった。
刑務所の受刑者たちが更生するための授業をやっている人が書いた本だ。
犯罪を犯した人たちは、なぜこのようなことをしてしまったのか。最初はどういったことから始まったのか。
そんな受刑者達との授業を経て得られた経験が書かれている。
この著者が言うには、受刑者に共通することの一つに家族の問題があるという。例えば虐待であったり、片親で忙しく相手をしてもらえなかったり。
そして親の愛情を感じなかった子供は万引きやタバコなどの軽い問題行動を始め、それでも親に無視されると窃盗や覚せい剤などエスカレートして取り返しのつかないことになってしまうそう。
また受刑者の中には、”自分の家庭は普通だった”という人が多いが、よくよく思い出してもらうと”普通ではない”ことがあるそうだ。
この本を読んでいた時は「自分のことなんだからわかるだろ(笑)」と思っていた。だが、私も同じなのだ。
”自分の家庭は普通だった”と思っていた私だが、実際親は借金漬け。
親は夜勤が多く朝も子供達だけだから学校休みまくったり、夜も遅くまで遊びまわったりとあげればキリがないほどに普通ではなかった。
その影響か知らないが、私は10年くらい引きこもっていた。兄も20年以上、今もひきこもっている。
長女はシングルマザーで実家に頼りきり、ネグレクト傾向があるため子供は母がほぼ見ている。次女は次女で自身のことを「生きてる価値がない」と言う。
皆30歳を超えたが、おそらく全員がまだ子供のままの4人である。
今思えば、昔から私たち兄弟は問題行動ばかりやっていた。姉も私もタバコを吸っていたし、学生時代に夜に帰ってこないなんてザラにあった。
一歩間違ったら、ひきこもりなんてかわいいもんじゃなく何か犯罪に手を染めていたのかもしれない。
子供の問題行動
ではそれを踏まえて、今の私の見解を述べたい。
なぜ子供は犯罪に走るのか?
確かに極端に制限すれば物欲で万引きなどをするかもしれないが、それはまた別の話。
今回言いたいことは、まず親からの愛情を感じなければ子供は小さな問題行動に走るということ。
それはもっと愛してほしいからか、怒られるとしても注目してほしいからか。
子供の問題行動についてはアドラーがとてもわかりやすいので一度読んでみることをおすすめする。
私も一つの例をあげよう。
うちの息子の保育園に二人の兄弟がいた。やんちゃを通り越して乱暴であり、いつもうちの息子は泣かされていた。
子供同士のことなので特に気にしていなかったのだが、昨年のおゆうぎ会。
白のワイシャツで来るように指定があったのだが、その兄弟だけが真っ黒なTシャツを着ていてとても目立っていた。
親からすればただシャツを持たせ忘れただけかもしれないが、子供に与える影響は計り知れない。
「周りの友達は白いワイシャツなのに、何で自分達だけ」
そう思うのは至極当然と言えるだろう。
聞けば両親は離婚し、引き取ったママは彼氏と住み始め子供達を邪魔者のように部屋に追いやっているとか。
このような状況であれば、この子達が保育園で荒れるのも納得である。愛されていないと感じていて、もっと僕たちを見てくれと叫んでいるのだ。
こんな例をあげればキリがない。
この子供達を放置し続ければ中学になればいわゆる不良になるかもしれないし、大人になればひきこもりや何か犯罪に走るかもしれない。
だがそのどれもが最初は、やんちゃ坊主レベルの小さな問題行動だったはずなのである。
これからどうするか
親が子供の問題行動をキャッチできずに向き合うことができなければ、最終的には万引きどころではない大きな過ちを犯すことになるだろう。
それでも、グレたとしても万引きをしたとしても何か大きな問題を起こしたとしても、それで親子の関係が切れるわけではない。
子供達が道を外れたり、何か過ちをおかしてしまうことに恐怖を覚えてしまう自分がいることも確かだ。
そこで思う。子供達が何か間違えれば、道を外れれば愛せない。そんな態度では子供達は愛されていると実感できないのではないか?
グレようが犯罪に走ろうが、どんな人生を歩もうが愛しているという姿勢を貫くことが大事なんじゃないか。
それが姉の暴言からたどり着いた、私の結論である。
息子をかばいまくっていた高畑淳子は叩かれていたが、子供が世界から嫌われたとしても味方でいようという覚悟を感じる。これは素直にすごいことだ。
それと、誤解がないようにもう一つ。
”普通の家庭を作れなかった親”が子供を愛していないか?といえばそうではないのだ。
ただ、子供には行動と態度と言動で示さねば伝わらないのである。
親の思いと子供の受け取り方は違うこと。これもとても重要であるな。
だからこそ私は「君達を愛しているよ」と言葉でも行動でも子供達に全力で伝えようと決めている、という話であった。
あと、子育てに口を出す時は言葉に気をつけようね、ということも付け加えて今日は終わりにしよう。