ステップファザーにできること

発達障害の娘とやんちゃ息子の父によるステップファミリーの話

10年ひきこもった私がシングルマザーとの結婚を決断した理由

ここでは、10年ひきこもった私がどのような経緯でシングルマザーの妻との結婚を決断したのかを書いていきたい。

 

どう見ても茨の道であろうステップファザーに自ら突っ込んで行く人間はどんな奴なのか、私の半生を振り返りながら紹介する長い長い自分語りである。

ひきこもった10〜20代

私は割と重度のひきこもりだった。中学生から登校拒否を始めて高校は通信制へ。

 

高校とは言っても週に一度の授業に出るのとレポートをやるだけでほとんどひきこもり。バイトをする気もなかった。

 

「この人生なんとかせねば!」

 

と一発逆転を狙った私は大学受験をするも失敗し、適当に就職するも何の目的もなく生きる意味もない私は仕事を半年も経たずにバックれて辞めた。

 

そこからは完全なひきこもりニートになり、その後5年続いた。

 

10代までは地元の友達と遊んだりもしたが、20代にもなると周りも就職したり大学に行ったりと顔を会わすのも辛くなった。

 

気づいたら友達もゼロ。ずっとひきこもっていた。

 

そこで私の人生は終わっててもおかしくなかっただろう。何度も自殺を考えていた。

 

どんな死に方をすれば苦しまず家族に迷惑をかけないか真剣に考えたこともあった。 

ひきこもり時代の生活や思考とは

そんな私の生きがいはインターネットだった。

 

当時インターネットの規制はほとんど進んでおらず、Youtubeやニコニコ動画なんてのは違法動画が溢れていた。

 

あらゆるバラエティやドラマ、アニメに映画まで何でも見放題だったしそれを見ることも合法の時代だった。

 

ひきこもりだった私は夕方から活動を始め、夜明けまでひたすら動画を見たりネットサーフィンをして家族が起きる明け方に寝るという生活を繰り返していた。

 

ひきこもりが大体同じような生活になるのは、家族の声が部屋の外から聞こえると気が狂いそうになるからだと私は思う。

 

私は何も考えたくなかった。何かを見ていなければ、何かに集中していなければ、心が壊れてしまいそうだったのだ。

 

そんな苦しみの時間、インターネットがなければ私はどうなっていたかわからない。

ひきこもり時代に得たこと

ひきこもっていた時代は全て無駄だったわけではない。

 

遠回りだったかもしれないが、ひきこもりだったからこそ得られたものもあった。

 

まず、ひきこもりながらもインターネットを通じて世間の常識や世間の人が普通何をどう感じているのか知ることができた。世間といっても2chのことだが。

 

少し偏ってはいたが、それは世間知らずの私にとってとても大きな成長だった。

 

また毎日ニュースからアニメまで様々な動画や掲示板を見て行く中で、私の価値観が大きく変わったことが二つある。

 

一つ目は、自分の利益にならないのに、他人を思いやれる人間が存在すること。

 

当時の私はどうせいいこと言ってる奴も明らかな善人も全ては金のためだろと思っていた。自分のためにならないことをやる人間なんているわけないと本気で思っていた。

 

だが現実には、金でしか動かない人間もいるが金では決して動かない人間だっている。

 

ある日偶然見たニュース番組で涙を流すある人を見てそのことを知った。

 

実際はその人が本当に他人のために涙を流したのかは知らないが、私はその映像を見た時に心が震えたのだ。

 

「おい、まじか。こいつ人のために泣いてるぞ」

 

私は人を信じることができなかっただけなのかもしれない。

 

それをきっかけに世の中には本当に色んな人がいるのだと気付いた。

 

金のために動く人が大多数であったとして、自分が思うままに生きている人もいるんだと知った。

 

そしてもう一つひきこもり時代に学んだことがある。

 

剣も魔法も使えないし異世界の住人にはなれないが、生き様だけは真似ることができる

 

くだらねーと思うかもしれないが私はこの厨二感が好きである。

 

現実世界の私が「海賊王」を目指すのは馬鹿げているが、その生き様や意思の強さは真似ることができるはずなのだ。

 

影分身の術は使えないが「総理大臣になるってばよ!」と政界を目指したっていいはずなのだ。

 

誰からどう思われようが世間からどう言われようが自分が生きたいように生きてもいいし、アニメや映画の中でかっこいいなーと思える人間のように生きることだってできると気付いたのである。

 

この二つの価値観は、今でも私の心に根付いている。

ひきこもりの現実は甘くない

だが現実の私はひきこもりだ。当時の思いを一言で言えば、

 

つまらねークソみたいな人生だな。

 

勇気を出せばきっとなりたい人になれるだろう。やりたいこともできるだろう。それなのに私はひきこもっている。

 

こんなに世界がつまらない。私の人生はつまらない。何かしたくても怖くて動けない。何がしたいかもわからない。つまらない。

 

つまらないつまらないつまらないつまらない。

 

それが私だった。

 

だが何とかしたいと思ったのだ。何とか、まずはこのひきこもり生活から脱出せねばならない。働く必要があるかどうかはわからないが、今のままじゃダメなのはわかる。

 

だが面接が怖いのだ。履歴書なんて空白しかない。職歴もない。

 

怖くて怖くて時間だけが過ぎていく。どうしようと迷っている間も歳をとる。

 

八方塞がりでただただ立ち止まっていたそんな時に、ちょうど姉から声をかけられた。

 

早朝の短時間バイトのお誘いだ。姉が働くスーパーでほとんどコネ。

 

これはとてもいい話だった。早朝なら知り合いにも会わないだろうし、品出しがメインという話。

 

ひきこもりの社会復帰にとってこれほどうまい話はなかった。

 

それでも怖くて仕方なかったのだが、

 

どうせこのままひきこもって死ぬなら、色々やってみてから死ぬか。

 

そう考えることにして、バイトの話を受けることに決めた。

 

面接も適当に済まされ、なんとか地元のスーパーへ潜り込むことに成功。

 

無事に社会復帰を果たした。それがもう25歳になる頃だ。

とにかく世間に適応するために働く日々 

それからは地獄の日々が続いた。

 

ひきこもりが長すぎると空気は読めないし滑舌は悪いし色白でガリガリだしでもう目も当てられない。

 

古株のパートのおばちゃんに”私が正しいと思ったこと”を意見しまくって、普通に嫌われて無視されたりもした。

 

人よりも不安が強かったので研修時に質問しまくったら呆れられ質問しても無視されたりもした。

 

だがやることはやった。紹介してくれた姉に迷惑をかけないように頑張ったし一度も仕事は休まなかった。

 

それから1年近く過ぎた頃、私は短時間のバイト生活で満足するようになっていた。

 

ゲームもパソコンも買えた。ひきこもり時代に欲しかったものはほとんど手に入った。

 

特に夢もなければやりたいこともないし社会復帰のリハビリ中だしこんなもんだろ?と惰性の日々を続けていた。

父の余命宣告を受けた日

そんなある日だ。元気だった私の父が突然倒れ、病院へ運ばれた。よくある話だ。

 

「末期ガンで余命は2〜3年、全身に転移しています。今後どうするか家族で相談してください」

 

父親以外の家族が呼び出されて担当医師にそう告げられた。大腸ガンのレベル4。いわゆる余命宣告だ。

 

その後父は抗がん剤治療を頑張って7年生き昨年他界した。

 

死んでしまった日も悲しく涙したが、あの宣告を受けた日ほど私が泣いて後悔した日はない。

 

今でも思い出せる。

 

私は今まで一体何をやっていたんだ?こんな20年以上も面倒を見てもらったくせに長年ひきこもりニートをしくさって、迷惑ばっかりかけて恩を仇で返すクソ野郎じゃないか。

 

それが少し外に出て4時間バイトして満足してるって?バカ言ってんじゃねーよ、お前が何も恩返しできないうちに父親は死んでしまうわ。何やってんだよ、本当にクズだな。

 

泣いたね。ありゃ泣いたわ。

 

あんなに後悔することはもう二度とないようにしたい。

 

今思い出しても涙が出る。あんなに悔しくて悲しいことはないし、あんなに自分を責めたこともない。私はただただ自分の馬鹿さ加減にうんざりし、後悔した。

 親孝行とはなんぞや?

それからは現状に満足するのをやめて、何とか父が誇れる息子になろうとできることをやろうとした。

 

私はまだまだできるはずだと、まだ何かできることがあるはずだ、こんなつまらない人生では誰も納得しないし私も納得しないぞと。

 

スーパーのバイトはしっかりと理由を告げてやめ、特にやりたいこともなかった私はとりあえずの一歩としてフルタイムの仕事に移ることにした。

 

その仕事はコールセンターである。

 

ひきこもり上がりの私にはまさに地獄だったが、とりあえずマナーや人との会話など私に足りないものが身につくだろうと考えた。

 

そしてそこで出会った友人達との中で自分のやりたいことを見つけたり、その夢を実現するためにはどうしたらいいかと仕事を変えながら色々試して、それは今も続いている。

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ここまで色々書いたが、何か重要なことを決める時に私の指針になるものがある。

 

それは、自分が納得できないつまらない人生送るなんてまっぴらごめんだということ。

 

絶対につまらない人生なんて送りたくないのだ。それじゃ生きてる意味がないのだ。

 

大変でもいい、辛くてもいい。私がかっこいいと納得できると思った選択をしたいのだ。

 

そうでなきゃひきこもりから脱出した意味がない。

 

私が自由にやりたいことをやって満足する人生を送る、それこそが親孝行じゃないか。

子連れの妻と出会って

そしてある時出会った女性に惚れてたまたま子供が二人いた。

 

長女は発達障害でどんな成長を遂げるか予測は不可能という状況にあった。

 

結婚するかどうかという決断に頭を悩ませた時。私の答えはこれだ。

 

の妻と子供達とステップファミリーになれば多くの地獄を味わい苦労もするだろうが、一緒に成長して全てを乗り越えた私の人生は輝いてるんじゃないか?

 

むしろその方が面白い人生送れるかもしれない。ここで結婚しないのは死ぬ時に絶対に後悔するだろう。

 

というわけで長々と書いてきたが、シングルマザーの妻との結婚を決断した理由は簡単だ。

 

もともと子供が好きでもないし子供達を愛する自信に溢れていたわけでもないし、パパに憧れていたわけでもない。

 

ただこの女性と結婚した方がより面白い人生が送れると思ったのだ。

 

だからこそ今の私がある、というわけだな。

父が亡くなる前の最初で最後の親孝行

父親が死ぬ前に結婚は間に合わなかったが妻も子供も紹介できた。紹介する前は付き合ってるのが子持ちということで反対されるかと思っていたが、

 

「お前が選んだんだから大丈夫だろ、おお、よかったな」

 

と満面の笑みを浮かべて父は喜んでくれた。

 

最良の息子ではなかっただろうが、私にできる限りの最大限の努力をしたはずだ。

 

結婚だけが人生ではないし正解でもないが、それがいいと自分で判断して決断できた私を誇っている。

 

父もそう思ってくれてたらいいなと思う。

ただの自分語りだったでしょう?

ここまで読んでくれた人は多分いないのではないかな。 本当にただの自分語りだ。

 

あの長い長い地獄のひきこもり期間があったからこそ今の私があるし、あのひきこもり生活がなければきっと私はステップファザーにはなっていなかっただろう。

 

だが今の自分が私は好きなのは確かである。

 

まーどうせ死ぬんだ。地獄を見ながら苦労をしながら、やりたいようにやれたらそれで満足じゃ。

 

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