自分を育てた親も、そのまた親から育てられ子育てを学んできたのだ

自分が子育てをするようになると、色々な場面で両親のことを思い出す。子供がルールを守らなかった時、好き勝手に遊んでいる時、トイレを出て手を洗わない時など。

 

「あの時あんな風にしてたな」

「父はこんなこと言ってたな」

 

だからといって同じようにはしないが、子供と接する際の基本ベースは親譲りではないだろうか。そこで気になるのが一つ。 

 

自分の親が子供の頃は、両親とどういう関わり方をしていたのか。

 

これを知ることは今後子育てをする上での参考になるだろう。

 

一般論をあげつらうつもりは一切ない。

 

自分にとって最初に教育の指針となる親。その親は両親とどういう関係だったのか?というテーマで、私の両親の生まれを紹介しながら書いていきたい。

親に捨てられた父

2017年に他界した私の父が生まれたのは戦後間もないころ。娘が一人いた子連れの祖母と祖父は結婚、そして父が生まれた。

 

その後、祖父は戦死。祖母は子供達と三人で暮らすようになる。

 

戦後はとても苦しい時期で、祖母は二人の子供を見ることができなかった。父を親戚の家に預けて娘と二人で失踪したそうだ。そう、

 

父は5歳の時、親に捨てられたのだ。

 

それからはずっと親戚の家を転々としていたという。

 

仕事を手伝うが給料がもらえなかったり、親戚の子供たちにいじめられたりとなかなかに辛い青春時代を送ったようである。

 

親との関係性どころではない。父は捨てられたのだ。

 

親から捨てられてほとんど親の愛情を知らない父が、子供との接し方などわかるはずもない。

8人の兄弟の中で3女として生まれた母

1950年代に生まれた母。当時は子供が5人以上いるのが珍しいことではなく、うちの母も例に漏れずに子供が8人という大家族で育っている。

 

今でも母がよくいうことがある。

 

「若い頃はとにかく働いて早く家を出たかった。あんたたちみたいに実家に残ろうという考えが理解できない」

 

話を聞けば、自分の弁当を毎日作っていたとか、弟たちの子守・洗濯・料理や家畜の世話までとにかく忙しく手伝いを多くやっていたという。

 

母の実家はあまりに大人数すぎて親の目が届いてなかったのだ。男兄弟が殴り合いのひどい喧嘩をしていたのをよく覚えているらしい。

そんな両親が行った教育とは

そんな二人の両親が子供、我々に行なった教育を簡単に言えば、放置である。

 

ご飯を食べさせてくれたり学校にも行かせてくれた。お小遣いもくれたし誕生日プレゼントもくれた。

 

こちらの記事でも詳しく書いている。

www.rabbitonbo.com

 

 

普通に、それなりに育てられたと思っていた私たち兄弟四人の全員が思っていた。

 

「自分は親に愛されていない」

 

それは休日に一緒に出かけた記憶がほとんどないからか、ひきこもった時やぐれかけた時に真剣に向き合ってくれなかったからか。 

 

そこで、一つ疑問に思ったことがあったので、母に「お母さんは、両親に愛されていると思っていたのか?」と聞いてみたところ、

 

「忙しかったからね、愛されてるとかそんな暇はなかったよ。あまり話もしなかった」

 

そんな返答がもらえた。

 

つまり、私は両親に愛されていると感じたことはなかったし、その母も両親に愛されているとは感じていなかったのだ。

 

悲しいかな。子供が愛情を感じてないという教育は、次の世代にも受け継がれてしまったのである。

 

父は既に他界してしまって聞くことはできないが……まあ聞くまでもないだろう。

それでも精一杯頑張った両親

愛されていない愛されていないと子供のようなことばかり書いている私だが、別に両親を非難したいわけではない。

 

私は四人兄弟の末っ子だ。無計画に子供を産んだもんだな!とも思わなくもないが、無計画に産んでくれなきゃ私は存在しなかったのである。

 

そして四人も子供がいるとかなり家計を圧迫しただろう。特にエリート街道を進んできた両親でもなかったし、お金の不安が我が家には強かったように思う。

 

四人を食わせるだけでも精一杯、さっさと就職して出ていってくれるかと思ったら、長男次男ともにひきこもり。親戚の前に顔も出さず隠れてひきこもり。

 

「ゆうすけー!!おりてこい!」

 

なんてコピペネタだってリアルに経験している。

 

当時の私は親戚の前に顔を出すのが嫌で嫌で消えてしまいたかったが、親だって苦痛だったろう。地獄だったろう。

 

そして私が小・中学生の頃には両親ともに朝から晩まで働き、時には夜勤もしていた。母は夜勤をやりすぎて居眠りで事故を起こしている。顔と膝を潰す大怪我で、一歩間違えれば即死だった。

 

それくらい金銭的には困っていたはずだ。非難なんて、とてもする気にはなれない。何よりひきこもってた私が親の文句など言えた立場ではない。

親だって普通の人間だ

私が受けた教育のことを放置だと一言で済ませたが、両親はただ子供たちとの接し方がわからなかっただけなのだ。

 

自分の親と真剣に向き合った経験がない私の両親もまた、子供たちと真剣に向き合う方法がわからなかったのだろう。

 

子供達との向き合い方がわからず放置してたら息子たちはひきこもりになり、それでも向き合い方がわからないからもう放置するしかないのだ。

 

実際、うちの兄は30超えていまだに放置されている。もはや親が出る幕ではないが、これが子供と向き合えなかった代償かもしれない。

 

だが、何をどうしていいかわからず、子供と真剣に向き合うのが怖かったんだろうと、今も怖いんだろうと、今はわかるようになった。大人になって、親になってわかる。

 

親も人間なのだ。

 

怖いこともある。向き合いたくないこともある。できないこともある。

 

兄が10歳の頃に登校拒否を始めて、母親がどうしていいかわからず困っていたのをよく覚えている。本気で怒鳴ったこともない、叩いたこともない母が、もうどうしていいかわからずに兄にビンタをしていた。

 

あの当時の私は「学校行かないんだからビンタくらい仕方ないよ」と思っていたが、今思えばあのビンタは、もうどうしようもなくて追い詰められた母親の苦渋の決断だったんだろう。

 

どうしていいかわからない。でも親として何かをしなければならない。でも何をしていいか…そんな葛藤の中で、正しいかわからなくてもやるしかないのだ。

 

子供を心配してなかったわけでもないだろう。向き合うことはできなかったとしても、ちゃんと考えて、悩んでいたのだろう。

 

そしてそれが届かないのが、子供なんだろう。

これからどうするか

以上、親が受けた教育について書いてきた。

 

親だって、その両親の関わり方によって強く影響を受けていることを知った。そして当然私も親の影響を強く受けている。自分でもわかる。

 

”子供とどう接していいかわからないから怖い”

 

結婚当初はずっとそう思っていた。子供と目を合わせるのが怖かった。何を話していいのかわからないからだ。

 

何も考えなければ、誰だって「親がこうしていたからこうする」とか「親にされたことがないからわからない」といった思考停止に陥ってしまう。

 

自分が幼少期に経験した親との関係は、無意識のうちに代々受け継がれていくのだろう。

 

だが、自分の子供たちのためにも、悪しき習慣はここで断たねばならない。

 

そのためには知識が必要だ。私みたいな凡夫が、一度の人生で気付けることなんて雀の涙程度である。色々な経験を経た上で、本を読み、他者の知恵を借り、そしてその知識を吟味して自分で考える。

 

そうやって、自分の中での”教育論”というものを確立していかなければならないだろう。

 

親の教育に左右されることなく、常識に左右されることなく、自分で考え、自分で判断する。日頃からこの姿勢をもたなければ、簡単に親の教育をなぞることになってしまう。

 

普通に疲れてしまうこともあるけども、最良でなくてもいいから自分で納得のいく教育をしていきたい。

 

そして、育ててくれた親の何がよくて何が悪かったのか、改めて自分の頭で考えてみる。それは今後、子供と接する時に活きてくるはずだ。

 

そして考え過ぎて常識はずれの子育てをしている私であるぞ。 

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最後に、こんな駄文を書ける年齢まで五体満足で育ててくれた親には感謝しかない。

 

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