以前からある恐怖に悩んでいるとんぼである、ごきげんよう。
まぁ聞いてくれ。しょーもない話なんだが、怖いんだよ。メールを開くのが怖いんだ。なぜこんなに怖いのか、考えていこうじゃないか。
子育てについて相談メールを送ったら
一週間近く前の話になる。子育てについての悩みを相談できる窓口に、匿名でメールを送ってみた。勉強したボランティアの方が対応してくれるという。
子育てに悩んでいるのは確かなのだ。娘にも叩かれるし、本当にむかついて仕方がない時もある。今朝も弁当が入ったカバンを玄関に叩きつけられて、怒りメーターが振り切ったりもした。
自分なりのストレス解消法を遂行しているとはいえ、こういった窓口に相談してみるのも悪くない。私には見えないものもあるだろうさ。
でだ。つい先ほど、メールの返信があったんだ。1日に何度もメールをチェックするほどに楽しみにしていた返信があったんだよ。
それなのに、メールがきていることがわかった途端に、楽しみが恐怖に変わった。中身を見たいのに、メールが開けない。
怖い。
怖くて怖くて、メールの中身を確認することができない。もしかしたら有益な情報が書いてるかもしれない。毒にも薬にもならないことが書かれているかもしれない。
どちらにせよ、相談への返事が書かれているのだ。なにも怖がることなんてない。噛みつきゃしないだろうさ、タップしたらすぐ見られる。
でも開けないの。怖くてたまらないの。
ということで、何がそこまで怖いのか、ブログを書きながら分析していきたい。不安症のくせに、実に前向きな態度だと思わないか?
仕事の時と同じ感覚
この感覚はあれだ。半年前までは朝起きてまず仕事のメールを確認していたのだが、それの時と同じ。毎日毎日、なにか言われてるんじゃないかとメールを見るのが怖くてたまらなかった。
何か私は間違えたのではないか?責められているのではないか?
そんな不安で怖くてたまらない。何か言われて傷ついてしまうんじゃないかという恐怖でメールを確認できない。
あの時とまったく同じ感覚。相談の返信を見るのが怖い。おそらく、私が責められてるかもしれないからだろう。
私は完璧な人ではないし、良き父親でもない。子供達にここまでイライラしている私が、まともな親であるはずがない。クソ野郎もいいところだ。
このブログでよく書いているじゃないか。私はこんなに頑張っていると。妻にも良く冗談で、私みたいな人はいないぞと言っている。
そう言いながらも、心のどこかでわかっているのだ。このままではだめで、これでは誰も認めてくれるはずがないと。
誰かに批判されただけで脆く崩れ去ってしまうほどの、ゴミみたいな自信しかない。
自信がないから、私はこんなにやっているんだと声を荒げているのだ。周りの人たちが認めてくれなければ、私は心細くて死んでしまう。否定されたら死んでしまう。
怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い。
うむ。だいたいこんな感じだな。そこそこいい線いってるんじゃないか?
何も自分で決められない
こんなこと分析してないでさっさとメールみろよ!と紳士淑女のみなさんはお怒りかもしれない。
だが、怖くて開けないから仕方ないじゃないか。めちゃくちゃ怖いんだよ。わかってほしい、この気持ち。
大切なのは、これからどうするかだ。怖くて重要なメールが開けないなんて、どう見ても乗り越えないといけない壁なのだから。
問題があるとすれば、自分に自信がないこと。そして他人の目を異常に気にしてしまうことかな。
私は私だ。他人の評価なんて関係がない。私の人生は私が決める。
そう思えたらどんなに楽か。何より、私自身も良しとしていないのだから、自信なんてあるはずもない。
自分は正しくないかもしれない。この判断は間違っているかもしれない。正解がわからない。怖い、否定されるかもしれない。傷つくかもしれない。
そう無意識に感じ取ると、もう何もできなくなる。体が思う通りに動かなくなる。そんな臆病者なのだから。
それなのにやりたいことやろうとしてるんだから勇気があるとも言えるが、心を病んでしまっては元も子もない。組み分け帽子をかぶったら、きっとグリフィンドールと叫ばれることだろうさ。
さて、どうすっかな。妻に先にメール確認してもらって、傷つかないことがわかれば読めなくもないかもしれん。よし、それでいこう。