まだまだ人の評価、顔色を気にしすぎるとんぼである。ごきげんよう。
これまで無意識に、娘の学校の先生と顔をあわせないようにしていたようだ。なんでこんなに嫌なんだろう。
それが少しわかった、失敗を成長に活かした話である。
前回の失敗談
今からおよそ半年前。日中に妻からの連絡があり、学校にいる娘のてんかん発作が頻発しているためお迎えにいってほしいとのこと。
家庭訪問にて、自宅で仕事しているのでいつでも迎えに行けますよ!と自信満々に豪語した直後でもあるので、そりゃいくよ。
ただ当時の私は心身ともにやられており、お迎えにいくのがいやでたまらない。娘の発作なんて日常茶飯事レベルなんだから、そんなに急いで迎えにいく必要もないだろうと判断。
15分ほどだらだらした後にのそのそと家を出て、学校についたら癖で車を駐車場の隅っこに停めて、ゆっくりと保健室へ向かった。
その時に、あとどれくらいで着くのかと急かすような電話もあり。なんでこんなに急いでいるんだろうと訝ったりもした。
その理由は、保健室で会った娘を見て理解する。授業中に何度もてんかん発作が起き、私が迎えたころには数分起きに発作が頻発していた。
歩くことすらままならないレベルで、救急車呼ぶかどうか検討している状況。
妻との連携も微妙だったこともあり、まさかここまで大事とも思っておらず。凄まじく場違いな、何も考えていない呑気な父親が登場した形になった。
これは結構きいたぞ。娘が大変なのに、こいつ何やってんだ感が半端ない。
状況がわからんので娘を歩かせようとして先生に注意され、担任の先生に駐車場まで見送ってもらったら車がめちゃくちゃ遠いという。
いやぁ、あれはやばい。結局娘は自宅で寝かせて問題なかったとはいえ、わかりやすいくらいの失敗談である。
失敗を次に生かす
そんなことがあって、お迎えが遅かった私は緊急時の娘のお迎えは行かないことになった。先生からも、もう少し早く来られないかと言われたので仕方ない。
自業自得とはいえ、役立たずの烙印を押された気がして、先生方に顔を合わせるのが嫌になってしまったのだろう。
それがつい最近、久しぶりに娘がてんかん発作が続いているので迎えにこいとの連絡が。しかも義母はダウンしており、私しかいない。
前回と同じ失敗をしてなるものか!!
妻から連絡があった直後にすぐに着替えて、即座に車にのって学校へ向かった。車も玄関に一番近い場所に車をとめて、走って保健室まで行く。
結局連絡がきてから十数分で保健室について、娘の発作もあまり大したことなさそうで一安心。きびきびと現状を聞いて、ささーっと車に娘をのせて帰りましたとさ。
よし、失敗を成長に活かすことに成功したな!
自分のことしか考えてないお父さん
ここまで書いて自分で気づいているぞ。あぁこいつ、自分の評価や周りからの目しか気にしてない。娘のことなんて何も考えてないって。
正解だよ。今はまだそういう人間である。
娘の発作の具合も確かに気になるけども、それよりも私の心の平穏を、ぼろぼろの評価を取り戻す方が私にとって重要なようだ。
ただ、今はまだ、というのを忘れちゃいけない。
人の目を気にして、他者の評価で一喜一憂して、自分を認めてもらうために必死なのが今の自分だ。これを否定しても仕方ない。
否定されたと感じた時の心の傷つき具合が異常だからか、物心ついたころからの人目を気にしすぎる癖である。
これも訓練によってなんとかします。それに今回は、娘を早めに自宅に連れ帰って安静に寝かせられたという事実があるから良しとしよう。
焦らず少しずつ修正していきましょう。