ステップファザーになって3年近く経つとんぼである、ごきげんよう。
受容の精神を学んでいると、いかに自分が子供達にしがみつき、理想を押し付けていたのかと気づくことが多い。そんな話をしたい。
子供達の自由への反発
最初は愛情のかけらも持っていなかった子供達も、数年も経てばすっかり家族になってしまった。愛情はあるだろうし、元気に育って欲しいと願っている。
結婚前から、皆自分が好きなように生きたらいいというふわーっとした思想があるので、子供達には割と寛大に接してきた。
子供達の失敗や、ミス、悪ふざけで怒ることはない。体調さえよければ、基本的に笑って済ませるし、よほどのことでなければ一声かけてスルーする。
と思っていたのだが、気づいたら子供達をかなりギチギチに縛っていたようだ。
先日、息子がクリスマスにSwitchが欲しいと言ってきた。ゲームはいい。ただ問題は、Switchはテレビでもできるし、携帯ゲーム機としても利用可能なこと。
自分専用のゲームを買い与えた場合の生活や脳への影響など、本質的な問題もある。それを飛び越して、私がもっとも嫌だったのはただ一つ。
息子が在宅時や外出中に、一人だけ自由にゲームをするのは許せない!
おそらく、やるべきこともすべてやって他に何もやることがなかったとしても、息子が一人で自由にゲームをするのは許せない。
あまりこの思いに共感できる人はいないのではないかな。なぜこんな思考に至るのだろうか。
私自身、引きこもり経験が長く心に闇を抱えているのだろう。他者からの拒絶に、過剰な反応を示す傾向がある。
そしてどうやら、息子が自由に振る舞い、家族を抜きにして好きに遊ぶ姿を見ることが、私への拒絶だと感じているようなのだ。
というか一人で好きにYouTubeを見るのが許せないのだ。本を読むのはいい。勉強するのもいい。でもネットだけは許されない。
朝に一人だけ早起きして息子がYouTube見ようとすると、一気に怒りが跳ね上がって目が覚めたりする。ネットしすぎると依存症になるという理由で止めるならまだいいがそうじゃない。
家族がいて、私もいるのに!なんでお前は一人でゲームしたりYouTube見ようとしてるんだ!?その選択はおかしくないか!?一人だけの世界で楽しむなんておかしくないか!?
こんな感じ。ただ一応、息子を自由に好きなようにさせたい思いも確かにある。その裏で、息子がネットやゲームに没頭するのが許せないのもある。
板挟みで、心が疲れてしまったのです。
価値観を押し付けている
思えば父となってから、子供達がいる前でスマホで動画を見たりゲームをすることはまずない。外食にいっても、公園にいっても、スマホをぽちぽち触ることはしない。
メールや睡眠の質のチェックくらいで、子供達がいる前でスマホに夢中にならないように意識している。
なぜこんなことをやっているのかといえば、子供達に愛情を示したいからに他ならない。拒絶されたと感じて欲しくない。スマホに夢中で子供達の相手をしなかったら、傷つくだろう。
そんな思いから無意識にやっている行為なのだが。
疑問なのは、一人でスマホやゲーム、YouTube見るのは絶対にありえないと怒りを覚えるのに、一人で本を読むことに対して嫌悪感を抱かないのはなぜだろう?
一人でのネットやゲームはだめで、一人で読書はOK。勉強もOK、おもちゃ遊びもOKなのはなぜだろう。私も、家族の前で一人で集中して本を読んだりするのはなぜだろう。
そう考えていくうちに、気づいてしまった。
子供達が私と同じ価値観で行動を取らないことに怒りを覚えていたのではないか?
あまりにネットやゲームに没頭する子供達の態度に拒絶を感じていたのも確かだが、家族はこうあるべきという価値観を押し付けていた可能性が高い。
”べき”の三重丸とか、アンガーマネジメントで学んだのにね。
受容の精神を育てることは課題の分離に繋がる
最後に一つ、心に響いた作者不明の言葉を紹介したい。
手放すことは、相手に愛を伝える手段の一つである。
これまで、子供達に理想を押し付け、家族の概念を強制していた節がある。少しおかしいなとは感じつつも、どうすればいいのかわからなかった。
暫定な答えとしては、手放すことではないかと思う。子供達の考えや、理想、行動、思想など、すべてを手放し、受け入れることが必要なのだ。
押し付けてばかりいたが、手放すことも愛である。私とは違う考えで、異なる理想を持って生きる子供達を、積極的に受け入れていく。
何よりこやつらは、十数年後には家を出ていくのだ。好きな友達や恋人を見つけ、結婚し、親なんて二の次で自立していくのである。
それなのに、親が子供にしがみついてどうする。親も親で、成長しなければならない。
受容の精神を育てよう。受け入れる器が大きくなっていけば、アドラーの課題の分離も自然にできるようになるだろうさ。
だからといって自制心の育っていない子供に、無制限にゲームを渡す気にはならんのだけども。
少しずつ少しずつ、ルールを決めながら、悪影響が出ない範囲で毎日楽しめるようなツールとして利用できるようにしたい。
子供達の行為をすべて受け入れられるなら、それはそれは幸せな毎日が手に入るぞ。