ルールを作りつつも罪悪感が止まらないとんぼである、ごきげんよう。
あなたと私がいれば社会の成立、そこにはルールが生まれる。当然、我が家の中にもルールが必要だ。それがなければ共存できない。
んだけど、罪悪感を抱いてしまう問題を考えたい。
テレビへの憎悪は少し落ち着いたが
以前は息子が好き勝手にテレビを見ると許せない!という怒りを持っていた。
でもそれも少し落ち着いて、テレビを少し見たからと言って何かが変わるわけでもないと意識を切り替えた。YouTubeをたまに1~2時間多く見たところで何も変わらんだろうと。
さらに我が家の暗黙のルールとして、テレビは1日3時間までにしよう!的なものがある。私が言い出したもので厳密には守られていないものの、長時間見ないようになっている。
それ以上見ると健康リスクが懸念されるからだし、脳が中毒に似た状態になりかねない。できれば、長くとも3時間までにしてほしい。
このルールの正統性は論理的に説明できる。できるんだけど、こういう制限がかけられている子供たちを見るとどうしても罪悪感を抱いてしまう。
「本当は一番テレビが見たいはずなのに、ルールを守って別のことをしている」
「ご飯食べてる時はテレビ消してるけど、本当はテレビつけたまま食べたいんだろうな」
とか。テレビを制限したい!という自分がいる一方で、テレビを制限するのはかわいそう!という自分もいる。
・テレビは長時間見るべきではない
・子供たちには好きなことをやって自由にすごしてほしい
この二つの理想が正面からぶつかり合っている。これもテレビに対する嫌悪感の一つだと思われる。
どっちに転んでも地獄なんだよ、テレビって。本当にこの世から消えてほしい。
ゴールコンフリクトを考える
このような理想がぶつかりあう状態をゴールコンフリクトと呼ぶらしい。ゴール(目標)がコンフリクト(衝突)していることで、不安や焦りを生む要因になるらしいから早めに解決したい。
では、どうするか、少し考えてみた結果をお伝えする。
まず上記した二つの理想がぶつかり合っていると感じているのは、私の思い込みによるものだと推定される。
つまり、「テレビを制限する」と「子供たちが好きなことをやって自由に過ごす」の二つはぶつかることなく両立することができる。
テレビを制限しつつ、子供たちが好きなことをして自由気ままに楽しむことは可能なのだ。
テレビがなければ、ゲームがなければ絶対に楽しい時間が過ごせないわけではない。YouTubeが世界から消えても、それより面白い物はどこかにあるはずだ。
受動的ではなく、能動的に楽しめる娯楽も山ほどある。芸術、スポーツ、勉強、化学、ビジネス、なんでもいい。
むしろ少しの隙間時間もなくテレビを見続けることで、このような興味・関心の芽も摘んでしまうのではないか。子供たちがもっとも楽しめるのがテレビだけ、というのがそもそもの思い込みなんじゃないか。
そんな結論に至ったのである。
じゃあどうするか?
娘はテレビがなければお絵かきもするし絵本も読む。むしろEテレがついてることで安心感を得ているだけで、なければないでスンとしている。
気になるのは息子で、テレビがなければ退屈だ、暇だ、何をしていいかわからないという。
私が罪悪感を抱くのは、明らかに息子の方だ。「テレビがないオレには何もない」と素直にアピールしてきているのだから。
今後はテレビがない息子には様々なチャレンジをさせてみるのもいいかもしれない。
いつもは頼まないお手伝いをお願いしてみるのもいいだろうし、能動的に楽しめそうな、何かやりたいことがないか聞いてプレゼントするのもいいだろう。
基本的に退屈なのは夜の時間なので、自宅で静かにできるような、そして何より楽しくて集中できるようなものを探っていこう。
一番何がやりたいかと聞いても、YouTubeとゲームしか出てこない。それ以外では思いつかないという。
6歳児だから仕方がないのかもしれないが、世界が狭いと言わざるをえない。それ以外の選択肢を示してこれなかった私の責任も大きい。
まぁ……プロゲーマーやYouTuberという道も現代にはあるから、すべてがダメだというつもりはないのだが。
参考にした本
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