追い詰められたとんぼである、ごきげんよう。
色々と書きたいことがあるのだけど、なんかもう自分という人間がダメになった気がして困っている。その思いを吐露していく。
気分を害する人もいるかもしれないが、他者を貶めるつもりはない。私自身の、私自身に対する評価の話である。
人が亡くなっても自分のことばかり
残念ながら、義理の祖母が亡くなった。90歳を超えていたし、亡くなる直前まで自宅で気ままに過ごされていた義祖母。
お世話をしていた義母も、周りの親戚も、大往生であると。微笑ましく見送ろうという雰囲気。本人も満足してる説まである。
数えるほどしかお会いしたことがないとはいえ、正直、まだ葬儀も終わってない段階でこの話を書くつもりはなかった。
49日が終わってから、義祖母への思いを書こうと思っていたが……
なんと、葬儀に私も駆り出され、葬儀の受付係をやってくれという。やってくれというか、私と他の親戚の人でやることに勝手に決まったらしい。
いや……うーん……受付係……ねぇ、他の親戚の人と……うーん。
まじで嫌なんだが!!!
いやいや、本当にやめてくれ。コミュ障の私をよく知らない親戚の群れに放り込まないで欲しい。せっかく義祖母の冥福を祈ろうとしてたのに、受付係がいやすぎてそれどころじゃないんだが!!
受付は百歩譲っていいとしても、よく知らない親戚と私なんて水と油じゃないか!!
はぁ。
何がこんなに嫌か少し分析してみたところ、やはり私は自分を恥じているのだ。ステップファミリーで子育てもそこそこに大変でメンタルもやられているとはいえ、なぜ私は働いていないのか。
働いていないというか、色々と時間的にも余裕はあるはずなのになぜほぼ無収入なのか。
なぜ私は無収入なのか!!!(どどん!!)
こればっかり。ほとんど収入のない自分が恥ずかしくて恥ずかしくてたまらない。「男のくせに」という、ステレオタイプの価値観も大いに影響していると思われる。
仕事の有無、収入の有無で人の価値は決まらないと思うし、こんなんくだらないと思っているが、私が私を恥じてしまっているんだからどうしようもない。
困った。まさか私がここまで自分のことを恥じていたとは思わなかった。収入がないことが、これほどまでに私を苦しめているとは!!
ご覧の通り、義祖母の死を悲しむどころではない。自分が傷つきたくなさすぎて、必死である。
こういう自分も本当に嫌いである。大切な人が亡くなったのに、自分のことばっかって。ふーむ、どうしようもないな。
大した話ではない
ここまで書いたけど、誰も私の職業・収入なんて気にしていないだろう。
受付係だから、粛々と対応をすればいいのだ。ただそれだけ。「誰もお前のことを気にしちゃいない」のだ。
でもこういった親戚の集まりがある度に、私はのたうちまわって、苦しんでいる。ひきこもっていた時からあまり変わっていない。
義祖母が与えてくれた機会と捉えて、歯を食いしばって葬儀の受付係として仕事をこなし、親戚をのらりくらりとかわし、次につなげていきたい。
こんなこと言われるとは想像もしてなかったと思いますが、おばあちゃんのおかげで強制的に成長できそうです。感謝しております。
ここまで読んでいただき感謝。