いまだに娘の攻撃がやまずに困っているとんぼである、ごきげんよう。
寝る前の向精神薬が効いているのか少しずつ笑顔が増えてきた娘。学校やデイでも調子がいいと言われることが増えている。
でも攻撃はゼロにはならない。さっきも息子を攻撃してた。この対応をがらっと切り替えてみる話。
先生の話ぶりから考える
娘が小学校1年生になる時に、特別支援学校のオリエンテーションで聞いた話を今でも覚えている。
小学校高学年になって、体も大きくなった子がパニック状態になると怪我のリスクが高まる。他害もそうだし、自傷もあるかもしれない。
注意せざるをえないこともあれば、強制的に静止しないといけないこともある。そんな場面で暴れてしまうのは、ある意味避けて通れない道といえる。
生徒がパニック状態に陥った時、先生は安全確保をするという。状態によって臨機応変に、抱きしめたり、手を掴んだり。
落ち着いて話を聞ける状態になるまで、何十分でも安全を確保し続けるという。体の大きい子だと、かなり大変だと笑いながら話してくれていた記憶。
はぁーそんな世界があるのかと軽いショックを受けていたわけだが、先日あった娘の面談で話を聞いていると、娘がまさにそんな状態の子だった。
先生が注意すると大人しく聞いてくれることもあれば、暴れ回ったり、ひっくり返ったりすることもあると。
そんな時、まずは安全確保を最優先にしているという。物をどけて、手や頭を怪我しないように抑えて、パニックが落ち着いたら話をすると。
3年前に聞いた話が、そのまま娘に当てはまっている。
体も大きいから、腕振り回して壁にぶつけて自分で怪我するし、私の腕を殴ってきて、腕時計に当たって打撲跡ができるとか、頭も振り回す。
安全確保しなけりゃ、大変なことになるんだなぁと改めて思い知らされたわけであります。
……当たり前なんですが、叩かれすぎて麻痺し、娘の安全確保なんて考えてなかったのです。
学校の対応にあわせる
娘は決まり切った流れがあったり、対応を統一すると安心すると思われるため、学校がやっている対応に丸ごと乗っかってみることにした。
まずは娘が誰かを叩いた時、できれば叩く前にその手を止める。
叩く時には何かしらの理由がある。一緒に遊びたいのに遊べないから叩くパターンもあれば、何かしら嫌なことがあって叩いたり、強制されて叩いたり。
その時その時で適切な言葉が出てこないから、その代わりとして手がでてしまう。
なので、手を止めつつ、娘の言いたかった言葉を探って共感しつつ、適切な言葉を伝えてみる……というもの。
「こういう時は、”一緒にあそぼう”って言うんだよ」
的な。
これでわかってくれる時もあるけれど、ほとんどは手を止めた時に泣いて怒って暴れ出す。
今までは叩かれた息子が逃げ出したり、多すぎるからとスルーしたこともあったり、それが正解なんだと間違った学習をしてしまっている。
というか、なんでも暴力で解決できると完全に学習している。
これを少しずつ修正する。
暴力では解決しないし、落ち着くまで腕も離さないし、全身で暴れるようならはかいじめにする。
そんで落ち着いたら、話をする。
この対応をやってみる。今までもやったことあったんだけど、これ続かないんだよね。
注意する頻度が多すぎて、その度にパニックになられたらしんどすぎる。あと、手を止めてパニックを落ち着けている姿が、周りから見てすごく心証が悪い。
今回も、妻から何度も言われている。
「やりすぎなんじゃないの?」
「もういいんじゃないの?」
「それ逆効果なんじゃないの?」
そら心も折れるわ。実際娘も泣いて暴れるから、この対応を続けるモチベーションは消え去ってしまう。
手を離した娘は、妻にかけよって行って抱っこされて落ち着いたりして。
結局これで、泣いて暴れりゃ助けてもらえるって学習してるんじゃないのか?暴れ疲れて落ち着くまで、徹底的にやった方がいいんじゃないのか?
と、今回はそこまで妻と話をして、叩こうとしたらその都度手を掴んで、話を聞いてくれるまでずっと安全確保してる。
暴れず聞いてくれることも、あるんだけどね。
長い目で見て
先生が今回こんなことを言っていた。
「暴力はゼロにはできないだろうが、減らすことはできる」
うーむ。確かにそうなんだろうが、専門家である支援学校の先生に、ゼロにはできないって思われちゃってるのが普通にショックだった。
思っている以上に深刻だってことよね。頻度も多すぎるし、体もでかいし、痛いし。
要は暴力では何も解決しないし、何もいいことがないってことを再学習して今までの間違った解決方法を上書きしてくれたらいいわけだから、できそうな気はするんだけど。
続けられるかどうかは、こっちのメンタル次第だな。
ここまで読んでいただき感謝。
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