ステップファザーにできること

重度知的+発達障害の娘と、二人のやんちゃ息子の父によるステップファミリーの話

私の体をストレスで動けなくした結婚初期の日常を思い出す

久々に昔を懐かしみたいとんぼである、ごきげんよう。

 

あと2ヶ月で結婚5年になる今、なんとなく過去を振り返ってみたら、結婚したばっかりの時は相当な荒業をしてたなぁと一人で笑ってしまった。

 

そこで軽く結婚初期に何がきつかったのか書いてみたい。

誤算だらけの結婚初期

妻の特性を知らず

適材適所という言葉があるので悪口ではないのだが、妻は細かい作業に時間がかかる。丁寧だし、綺麗だし、でも時間がかかる。

 

結婚前はシングルマザーで成り立ってたんだから、私も妻の家事に乗っかるつもりだった。

 

でもフタを開ければ、なかなかに厳しい現実が待っていた。

 

妻が洗濯や掃除に料理をすると、そこそこに時間がかかる。さらに妻は子供達を放置して自分の作業に熱中する癖がある。

 

その間の子供たちの相手するのは私しかいない。

 

一緒に暮らし始めたばかりの子供たち二人を任されても困る。しかも妻の家事が全然終わらん。いつ寝られるか検討もつかない。

 

聞けば結婚前はいつも22~23時に寝てたとか。

 

そんな長いこと子供たちの相手とかやってられん!!こんなんなら私が家事をやるわ!!

 

となって、それから家事を少しずつ(怒りながら)奪っていった経緯がある。21時過ぎてから家中の掃除機を始める妻と何度も喧嘩したよ。

 

なんでこんな時間から掃除するの!?子供たち寝かせるのが先だろ!!

 

ルンバが来るまで、ほとんど毎日掃除で喧嘩してた。

 

とにかく早く寝かせたいからと、子供たちのおたより張も私が書いてた記憶。懐かしい。

 

ま、まぁ22時まで子供たちの相手するよりはね。何もかも適当に終わらせて20時に寝てもらった方が圧倒的に楽だった。

 

私が洗濯物干してる後ろで、家族が食事してる場面が鮮明に頭に残ってる。嫌だったんだろう、頑張ってた。

娘との登校がきつい

結婚当時の娘は幼稚園児。

 

3月末から家族として一緒に住み始めたのに、4月の上旬から娘と手を繋いで、徒歩で幼稚園まで送ることに決まった。

 

妻が仕事で娘は送迎できなかった。仕方なかったとはいえ、我ながらよくできたわ。まじで。娘との信頼関係なんてあるわけないのに、毎朝20分かけて二人で歩く。

 

大通りの赤信号でそのまま行こうとする娘を止めたら、信号前で寝っ転がってギャン泣きとか。どうやって対処したか覚えてない。

 

1年が過ぎて、支援学校になってからは車送迎になった。でも学校が始まるのが遅くなり、毎朝9時まで二人きり。

 

毎朝ランドセルを投げられ、靴を投げられ、弁当を投げられ。

 

子育て慣れてないやつによくまあそんなことができるな。ひどいわ。

夕方もきつい

朝は娘の送迎だけだったが、夕方は息子(当時3歳)のお迎えもあった。まず17時に自宅に娘が帰ってきて、そのあとに車で息子を保育園に迎えにいく。

 

帰ってきたら3人で風呂に入る。娘のシャンプーやら息子のシャンプーやら、二人とも何もかも全介助。着替えもドライヤーも何もかも。

 

服を見てもどっちの着替えかすら判断できない私に、よくもまあ(略)

 

いや無理だろ、今でもきついよこんなんさせられたら。あれをよく乗り越えられたもんだ。狭い脱衣室でよく喧嘩してたわ。

 

妻が仕事で帰らない日もあって、3人で過ごす日も多かった。

 

しかしほとんど記憶がないのは、よほど必死だったんだろうね。

仕事もきつい

フリーランスとして金を稼ぐぞ!!という目標があったために、結婚直前に仕事をやめていた私。

 

仕事時間がいっぱいあると思うじゃないか。そんなことないわけだ。

 

まず送迎やら家事で時間取られるよね。息子の保育園も、まずは慣らし保育ですと11時に帰らされて衝撃を受けるっしょ。

 

娘のてんかん発作がひどくなって、今歩いて送迎したばかりなのに速攻で呼び出しくらうでしょ。さらには救急搬送+入院しまくりっしょ。

 

妻も仕事をそんなに簡単に休めないからと、娘の療育や病院受診に私がいくようになって、土日に自分の時間があるわけもない。

 

自宅でお金を稼ぐと決めて仕事をやめたのに、何もかもうまくいかないし時間も足りない。とにかくストレスもすごかった。ずっと怒ってた。

 

仕方がないので朝4時に起きてたわけだけど……気づいたら体が動かなかった。

 

結婚1~2年目辺りに、妻が「お金稼げないならそろそろ働いてほしい」と圧をかけてきたのを覚えてる。

 

確かに当初そんな約束もしたが、この惨状を見てよくまあそんなことが言えるなと思った懐かしい記憶。

だいぶマシになった現在

結婚から2年後に妻の実家近くに引っ越したことにより、今はばぁばのサポートが全力で受けられる。これはとても大きい。

 

また私の価値観を変えざるをえなかった。外で働く妻は、家事など一切やらなくてもよい。家のことはすべて私がやるのが正解だと心の底から思えるのに数年かかってる。

 

料理も習慣になった。私しか料理しないので、妻はキッチンに立ってもどこに何があるかもわからない状態である。むしろそれでいい。

 

今では朝は子供たちと3人で過ごしてるし、それも慣れた。

 

子供たちも成長して、息子のフォローする機会は激減。妻も仕事調整して、娘のサポートができるような体制に変えてくれた。

 

勉強に勉強を重ねて、ストレスがいかに体を壊し、頭をおかしくさせるかも知った。1年目と今では、知識の量がまったく違う。

 

だって当時、私のストレスは大したことないと本気で思ってた。体が動かなくなっても、眼精疲労や腸内環境のせいかなと思ってた。

 

とにかく認識が甘かった。甘く見てた。

 

豆腐メンタルのくせに、発達障害児+健常児のコンビを養子にした上で、初めての主婦業やりつつフリーランスとして歩き出すとか頭がおかしかった。

 

今はすべてクリアしたのかと言われればまったくそんなことはないが、元気に生きてるだけで奇跡と言ってもいい。

 

乗り越えてきた自分を褒め称えたい。もちろん妻も適応するのに苦労したはずで、本当に感謝している。

 

色々あったけど、今でも仲良くやれてて嬉しいね。そんな結婚初期の奮闘話。

 

以下は過去に書いたお気に入り記事。初期の感じがわかるのでぜひどうぞ。

www.rabbitonbo.com

 

ここまで読んでいただき感謝。

↓のウサギをポチすると、さらにとんぼが喜びます。

にほんブログ村 子育てブログ 障がい児育児へ