破壊神マグちゃんで死ぬほど号泣したとんぼである、ごきげんよう。
号泣という言葉では表現しきれてないな。嗚咽を漏らして泣きじゃくった。最終回見て鬱になりかねん。心が揺さぶられすぎた。
ほのぼの話なので是非色んな人に読んでほしいけども、死について考える会。
死とは何かを考える
最近、死について考える機会があった。こちらの本の影響で。
死について考えすぎると気持ちが引っ張られるから程々にしといた方がいい。それでも、改めて自分の死生観を考えるいい機会になった。
死ぬってなんじゃろ。私が死んだらどうなるんだろう。愛する人が死んだ時、私はどう考えるべきなんだろう。魂はあるのか。人間は機械なのか。
深く考える間もないまま、マグちゃんを読んで、また人の死を考えさせられる。
人って、何のために生きるんだろうって思いませんか?
生き物はどうせ死ぬわけじゃないか。自分も死ねば、愛する人も死ぬ。子供たちだって先に死ぬかもしれないし、親や飼っているペットなんてほぼ確実に自分より先に死ぬ。
愛すれば愛するほどに、いなくなった時の喪失感は膨れ上がる。二度と帰ってくることはない。失われた存在は戻ってこない。
そんな大切な存在が欠けた世界で生きていく意味があるのか。いずれ、皆消えてしまうというのに、何を目的として私は生きるんだろうか。
改めて、そう自分に問うたわけであります。過去に答えが出た問題だったはずなんだけど、改めて、ね。
私よりも妻が先に死んでしまう可能性は十分にある。健康オタクの私よりも、妻の方が先に逝く可能性の方が高い気がしてる。人生何があるかわからない。
先に逝く方は気を揉む必要もないが……実際に、取り残された私はどう考えるんだろう。死ぬ間際の私は、どう感じて死んでいくのだろう。
孤独感と悲しみで絶望しながら生を終えるのか。それとも、必死に前を向いて歩み進めていくのか。
何が正解かは人それぞれであるが、愛する人のいなくなった絶望の世界でどう生きるのか。
真剣に考えてみるのは、とても意義のあることだと思うんだ。
死ぬまで生きようか
私の答えを書くのは無粋だが……そうだなぁ。
ありがたいことに我々は不死ではない。100年そこらで死んでしまう存在だ。
100年くらいなら、日々を一生懸命に生きてみてもいいのではないか。紡ぐことに意味はなくとも、紡いだ事実は残る。
泣いて笑って喧嘩して、共に過ごした時間が存在したことは揺るぎない事実だ。いずれすべては消えてしまっても、その事実は変わらない。
愛する人を失って、悲しいからいい。愛する人が存在したからこそ、この悲しみがある。
いつか大切な人と過ごした一瞬一瞬を思い出せなくなる日もくる。そこに寂しさを感じるからいい。忘れて寂しい時間があることが、存在の証明である。
幸せの時間は永遠には続かないからこそ、なんてことない平凡な日々を大切に過ごしていく。それが大事なのではないでしょうか。
とか。マグちゃんでこんなにボロ泣きするとは思わんかった。目が腫れてるわ。
よし、最後にマグちゃんリンク貼って、掃除しよう。ではね。
ここまで読んでいただき感謝。
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