日曜日とんでもなく忙しいとんぼである、ごきげんよう。
娘が深夜3時から起きてキックしまくり。5時過ぎにはベッドに寝かせておくことも困難になったため、早朝の3時間ドライブ。
それから急ぎで買い物行って、息子の日曜参観に赤ちゃん抱っこして参戦。暑いし重いし地獄。帰って昼ごはん食べたら、時間を持て余した娘と1時間の散歩。
昨日動けなかった埋め合わせに必死だぞ。
さて、思い悩んでたどり着いた結論を書く。
息子へのイライラを考える
小4になる息子に怒りを覚えて腹立たしくて我慢ならない昨今。なんでこんなやつを受け入れなきゃならないんだ?
信用できない。裏切られ続けたら信用は減っていく。信用は有限なのである。
……信用と信頼は違うというよね。
信用は条件付き。信頼は無条件。
無論、私は条件付きで息子を判断してるので信用レベル。そして条件をまったく満たさない息子を信用することができず、裏切られたと感じている。
正直なところ、裏切られ続けているのに愛情を示せるほどの聖人ではなくてね。怒り爆発。
激しい怒りが抑えきれずに態度に出てしまったために、「息子を信頼しろ、無条件で受け入れろ」と妻から怒られたわけです。
しかしそう簡単に信頼できるもんかね?
口で言うのと実際に行動するのとではまったく難易度が違うじゃないか。裏切られ続けて信頼しろなんて無理難題では?
まいったな、どうすりゃいいんだろう。
といったところだが、娘との早朝ドライブを経て一つの解にたどり着く。
何が裏切られているの
何度も裏切られたと書いているが、一体何が裏切られたというのだろう。
それは期待である。
こうすべきだろうとか、これくらいはやってくれるだろうとか、ここは共感を示すのが人として最低限のマナーじゃないのとか。
私の経験則や価値観による"こうすべき"を守らないと、裏切られたと感じ、日常の裏切りが積み重なって激しい怒りへと変貌する。
期待してるから裏切られるし、裏切られたらムカつくし、ムカつくから信頼できない。
そう考えると、信頼をするための前提条件として期待してはいけないのではないか?
"子供に期待しない"って一見すると毒親感もある。お前には何も期待してないよって傷つくだろう。
しかし子供が親の期待に応えるかどうかはコントロールできないのだ。コントロールできないからほぼ間違いなく裏切られる。裏切られたら嫌になる。
明らかにスタートが悪い。やっぱり子供に期待しちゃいけなかったんじゃない?
子供に期待してると言えば親の愛情も感じるけれど、親の思い通りになってほしいという一面もあるじゃないか。
だから期待するのはどうなんだろう。でも期待はせずに信頼はできるの?何が違うの??
とまぁ言葉遊びみたいなもんなんだけども。
私の教育指針は岸見一郎先生の説くアドラー心理学なので、教育のゴールは自立であるという前提で書くと……
なんとなくの答えとしては、期待と信頼はイコールではないということ。
親の思い通りに動くようにと願うのは期待である。しかし子供はコントロールできないし、裏切られる可能性が高い。
子供が言いなりに動いたとしても、いずれ爆発するだろう。
だから親の思い通りにならなくとも、度重なる失敗をして回り道をしていようとも、いずれは自分の足で立って前に進んでいけると信じる。
この子は自立できると信じ続ける。
……これが信頼ってやつなんだろうね、多分。
んで、信頼するためには期待しちゃいけないんだよ。期待してる親は、子供を無意識にコントロールする。親が許容できるルートを辿らないと認めることができない。
親からプレッシャーをかけられて、がんじがらめで自立どころの話じゃない。
自立した人間になるために親の期待は邪魔である。成功者とか失敗者とかそういう話ではなく、一人の人間として自立するために親の期待は邪魔である。
期待を押しつけるのではなく、この子なら自らの力で立って歩き出せるだろうと信じ続けるのだ。
というか期待しないことそのものが子供に自立を促すことになるし、裏切られた怒りも減るから信頼するメンタルの土壌作りにもなる。
……そうか!!期待しちゃいけなかったんだ!!!全部私が悪かったんだ!!
といった感じでいかがでしょう?
育児以外で味わえる?
取り止めのない話になってしまったが、晴れやかな気分である。
昨日息子が許容できずに死にかけていた私が、1日でここまで回復したなら及第点だろう。我ながら見事な答えにたどり着いたもんだ。やるな。
息子の日曜参観も何食わぬ顔で参加して、帰ってきてから普通に会話ができた。完全復活である。
はーよかった。峠を越えたな。2023年は、ひたすら期待をしないことに意識を割いていきたい。これ一本だけで大きな変化があることだろう。
息子だけじゃなくて、妻や実家の家族にも期待して裏切られてたりするからね。全体的に意識改革が必要だな。
しっかしこんなこと、子供じゃなかったら考えないよ。親や兄弟なら相手のせいにして終わりだし、同僚でも友人でも「なんだこいつ」で切って終わりである。
切りたいけど切るわけにはいかん。親として子供の人生の足を引っ張るわけにはいかん……なんとか……どうにかして乗り越えなければ……
という地獄の苦しみを経てたどり着いた暫定的な答えである。絶対に切らないと覚悟をしたら、血のつながりなんて関係ないな。
何もかも正解とは思ってないけれど、もうしばらく頑張れそう。元気出た。
余談
これは健常児の息子の話であって、重度の障がいと診断されている娘には当てはまらないのかどうかも軽く触れておきたい。
どうだろうね。人は一人では生きていけないし、多かれ少なかれ誰かのサポートが必要になる。私だってそうだ。
必要な支援の量は人ぞれぞれで、娘にとって過不足のない支援を計らうのは親の役目だろう。
そんで他者の力を借りながらも、娘ならでは自立の道を探ることが大事なのかもしれん。もちろん、娘だって自立できると信頼し続ける。期待はせん。
あとは死ぬまで信頼し続けるってことですかね。
うーん。言うのは簡単すぎるな。とりあえずスッキリした。またね。
ここまで読んでいただき感謝。
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