息子への怒りが薄れてきたとんぼである、ごきげんよう。
昨日書いた記事は我ながら秀逸であった。しょーもないと思われるだろうが、私の今後の人生に大きく影響を与えるターニングポイントとなるだろう。
さて、期待しない人生を深掘りしたい。
そもそもお前は自立してんのか話
息子に期待せず、自立できると信頼しよう!!と昨日偉そうに書いたけれど、そもそも息子に期待してた私も精神的に自立してないんじゃないか。
他者に期待していると他者の行動で一喜一憂することになる。自分の感情が他者次第だから、今気分が良くても次の瞬間にはどうなるかわからない。
自分で自分をコントロールできないわけだから、精神的に自立してるとは言えないのではないか。
んで昨日は息子への怒りについて、息子に期待してたのが原因だと書いた。書きながらアンガーマネジメントに似てるなと思ってた。
”こうすべき"が怒りの原因なんだーって、アンガーマネジメントそのものじゃないか。
ただ、紐解いてみるとそう単純ではなさそうだ。
期待して裏切られたら必ずしも怒りを感じるわけじゃない。悲しさであったり寂しさであったり、落胆したり不安になったり。
この人なら喜んで引き受けてくれるだろうと頼んだら断られるとか、協力してくれると思ったらスルーされたとか。
時と場合と相手によって感じ方は千差万別。
なんで手伝ってくれないんだよ!!って怒る時もあれば、嫌われてるのかな……何か悪いことしたかな……って疑心暗鬼になるかも。
なんというのかなぁ。子育てに限った話じゃなくて、すべての人間関係の土台になりそうな話なんだよな。期待しないって。
期待してなけりゃ別に相手が何を言ってもなんとも思わんじゃないか。
それなのに、この人は優しくしてくれるだろうとか、こういう状況なら頼みを聞いてくれるだろうとか、無意識に期待しちゃうから裏切られた時のダメージがでかい。
期待というか、依存と言ってもいいよね。
期待しないことは、自立した人間によるコミュニケーションのスタートラインじゃなかろうか。
というわけでまとめると、
期待とは他者への依存であり、自立とは真逆の行為である。
といったところでしょうか。
逆に言えば、相手の顔色を気にして期待に応える必要もないってことだよね。
……言いたいこと伝わってる?推敲する時間もなくて、グズグズだったら申し訳ない。
課題の分離じゃねーかw
みたいな感じで自分の頭で考えて紐解いたつもりだったのだが、よく考えてみたらこれってまんま課題の分離じゃねーかい。
まいったね。
期待しない期待しないって意識してたのだが、結局は他人の課題に首を突っ込んでるってだけの話だったのか。
課題の分離なんて何年も前からずーっと知ってたのにね。知ってただけで何もわかっていなかったんだろう。
いやしかし、トップダウン的に本から得た知識よりも、ボトムアップで実生活から得た考えの方がより有用ではないかな。忘れにくそうだし。
それに今やっとわかった。課題の分離は人間関係のベースなのだ。
悩んだ時やイライラした時、人間関係の壁にぶつかった時に有用な考えではなく、おはようからおやすみまでが課題の分離だ。
呼吸をするかのように、課題の分離をしなければならない。全集中の常中である。
その手助けに7つのコラム法あたりの自動思考キャッチトレーニングが役立つんだろうね。
ということで、課題の分離を心から理解した。また一歩アドラーに近づいたな。
では、おやすみなさい。
ここまで読んでいただき感謝。
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