ステップファザーにできること

発達障害の娘とやんちゃ息子の父によるステップファミリーの話

自分(とんぼ)が発達障害ではないかと疑う会

この記事書きたくないとんぼである、ごきげんよう。

 

めちゃくちゃ忙しい日なのに、あっさり書けるネタが思いつかん。こんな重たいの書きたくない。

 

というわけで、重たいネタをあっさりと書いてみる。

 

◆家族の紹介

フェアじゃないので

最近は"息子が発達障がいではないか?"との疑惑を持ち始めて、息子を改めて分析中。

 

そもそも娘が知的の遅れを伴う発達障がいと言われているので、発達障がいに詳しいと思うじゃないか。

 

それがまったくそんなことはない。

 

娘の場合は重度の知的が入っているため、話が通じないとか人の気持ちがわからない、忘れ物が多いといった発達障がい特有の特徴がよくわからない。

 

ASDやらADHDやらLDなど、名前と大まかな特徴しか知らないのが現状である。

 

それでも息子を見ているとその傾向が強いなーと感じまして、深く調べていってるんだけども。

 

調べれば調べていくほどに、

 

あれ、私も発達障がいじゃね?

 

そんな疑惑が出てくる。

 

いやね、人類皆発達障がいという考え方に賛同してるので、私もあなたもグレーだと考えることもできる。完璧な人間は存在しない。

 

ただなんというか、自分のやばさは自覚してるんだよ。

 

今でこそ気をつけて父ちゃんを頑張っているけれども、10代の頃はとんでもない共感性ゼロ人間だった。20代になってももちろん酷かった。

 

掃除も苦手だし、実家の時は何もかもすべて母親がやってくれていた。一人暮らしをする度にゴミ屋敷に住んでた。

 

過集中は経験したことないが、物事に集中できずにうわああとなることはあった。社会復帰してからも特定の人物から明らかに嫌われることがあった。

 

さすがに理由はわかるが……わからないものもある。いきなり嫌われて理由がわからんかった。

 

中学から不登校のひきこもりコースだし、こだわりも強いし、怒ると周りの目を気にしない冷ややかな人間になるし。

 

……息子を疑う前に、自分を疑った方がいいんじゃないかなーと思うよね。そうでなければフェアじゃない。

 

一応、30代後半にもなればかなり改善してはいる。

 

まぁ、結構な努力をしてるんだけども。

ノイズもある

息子を分析する際に大きなノイズがある。それが娘の存在だ。理不尽な暴力を振るう娘と共存することにより、息子に多大な影響があったことは間違い無いだろう。

 

息子が支援学級の子にやたら厳しいのは、娘がいたからこそなのかもしれない。

 

私もそうで、幼少期に親が忙しかったことあって、コミュニケーションの適切な指導者がいなかった影響が大きい。

 

さらに10年くらいひきこもった経験が暗い影を落とし、後天的な社会不適合人間が出来上がったという説もある。

 

あとはHSPなのはほぼ間違いなく、うつ病も併発してる。

 

ノイズだらけでもはやよくわからん。

 

とりあえず私も発達障がいのグレーってことで落ち着きたいのだが、ここで一つ問題が。

とんぼ、差別主義者だった

私も発達障がいかもしれん!!と思い立ち、妻にしつこく聞いてみた。私は発達障がいではないか?と、どう思う??と。

 

すると妻がいうのだ。

 

「自分で思うならそうなんじゃない?そういう傾向あると思うよ!」

 

……

 

……

 

これがまた、意外や意外にショックを受けまして。

 

娘の障がいも受け入れているし、息子が障がいであったとしても受け入れていこうと考えている私がだよ、自分が障がいかもと言われて受け入れようとは思えないのである。

 

まともだと思ってた自分が発達障がいだなんて……

 

とまぁ、面白いくらいに差別主義者であった。

 

人は誰しも対等であると口では言いながら、本当のところは差別主義者かい。まいったね。

 

この考えでは発達障がいである自分を受け入れられないし、将来的に病気や認知症、怪我による障がいになった時に地獄を見るだろう。

 

何より子供たちとの関係性にも悪影響がある。

 

この機会に考えを改めなければならない。

障がいは劣等性なのか

医学的にいえば障がいは劣等性なのかもしれない。多くの人が持ち合わせている機能が欠けているのだから。

 

ただ人として何かが劣っているかといえば、そうではないじゃないか。

 

目の前の娘の脳機能が欠けていたとしても、娘の存在価値が揺らぐわけではない。娘は娘である。

 

息子もそうだ。障がいの有無で人の価値は変わらない。

 

これが私の人生観である。

 

そう考えると、別に私が障がい者であっても別に問題なさそうだな。困ってないし。

 

障がい者という肩書きがついたとして、それで私の何かが変わるわけじゃなし。補助金もらえるならむしろ嬉しいまである。

 

生きづらいなら一つずつ課題を見つけて、自分なりの解決策を探る以外に道はないし。

 

自分がうつ病だと認識した時も嬉しかったし、HSPだと認識した時も嬉しかった。なぜ嬉しかったかといえば、その発見によって新たな解決策が産まれるからである。

 

うつ病だと認識しなければ認知行動療法なんてやらないし、HSPだと認識しなければ伊達メガネかけないし。

 

もし発達障がいだとするならば、それはそれで新たな解決策が産まれるはず。今よりもより生きやすい世界を構築できるはず。

 

うーむ、今までと特に何も変わらんな。いや、それが1人でできるならそれはもはや障がいではないのか?

 

まぁ所詮は人間が決めた定義に過ぎない。今は発達障がいと呼ばれているだけで、時代が違えば神様と呼ばれている可能性もある。

 

無益なレッテルを貼らずに、目の前の家族や自分が幸せに生きる方法を考えていけば問題ないのかもね。

 

……といった感じで、かなりあっさりとではあるが終わりにしたい。デリケートな話題なので傷ついた人がいたら申し訳ない。

 

しかし生まれて初めてかなぁ、自分が障がい者じゃないかと本気で疑ってみたのは。見えている世界が根本からひっくり返るような恐怖感があるね。

 

認知行動療法39日目

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