グロッキーとんぼである、ごきげんよう。
昨晩は赤ちゃんが高熱を出してその対応で寝不足である。途中で私は部屋に戻っていいと言われて、妻が朝まで見てくれた。
おかげさまでなんとか赤ちゃんは回復し、転がっている。元気である。
今日はひたすら抱っこして妻を休ませる日とする……の前に、ブログを書いておく。妻は授乳しながら女王の教室見てる。教育方針にしようとしてるのかな?
息子の読書感想文問題
息子の夏休みの宿題に、読書感想文的な宿題があった。先日書いた大げんかの原因のやつ。
作文というよりは読書カード?というのかな、一枚の半分はイラストを描くところ、半分は本の紹介や感想などを書くところ。
作文ほど長い文章を書くものではないけれども、短い文章(5行くらい?)で本の魅力を伝えよう!という趣旨の宿題っぽい。
先日、宿題をやるように言われた息子がおもむろにこの読書カードを取り出して、すごいスピードで書き始め、 1分で終わった。
内容は大体こんな感じ。
「ぼくは○○というほんをよみました、◯○が出てくるところがとてもおもしろかったです。みなさんもぜひよんでみてください。」
まぁこんなもんなのかな。読書カードって私の時代になかったので、正解はわからない。
ちなみに読書カードの宿題は2枚あって、もう一枚は大体こんな感じ。
「ぼくは○○というほんを読みました、◯○の場面がとてもおもしろかったです。みなさんもぜひてにとってみてください」
……手抜き感が強くないか?宿題として成立してるのこれ。
思えば1〜2年前から読書カードの宿題があると、息子は同じテンプレを使っている。○○を読んだ、面白かった、みなさんも読んでみて、と。
低学年ならこんなもんかーとスルーしたし宿題にケチつける気はなかったのだけども、学校で読書感想文の書き方を習っていたはず。
いや、息子が中学受験したいと言ってるのが一つ乗っかってるな。こういう場面での姿勢が気になってしまって。
面白かったなら、せめて面白かった理由は書かないとわからないんじゃないかと伝えてみた。あと、知ってる漢字は使った方が読みやすいよと。
それを受けて息子は書き直し。
出来上がったのが大体こんな感じ。
「ぼくは○○という本を読みました、◯○が出てくるところがとてもおもしろかったです。なぜかといえば、◯◯はふつう会いたくても会えないからです。みなさんもぜひ読んでみてください」
要望に応えてくれたものの、いいのかわるいのか。短い文章でここまで書けたらいいのか?
わからんが、これ以上口出しすると私の作文になりそうだったので、さっきよりは読みたくなるかもとだけ言って終わりにした。
が、その後に妻のチェックも入り、息子の中学受験を応援したい熱が強い妻からもう一回書き直しの注文が入る。
それでも改訂後もそう変わらない出来。というかこれ以上言っても良くなることはなさそう。
何だったかな。もう一つの作文で、こう書いていたんだよ。(私はスルーしたやつ)
「○○の顔がおもしろかったところがおもしろかったです」
妻が、"おもしろかった”が2回続いてるから別の言葉に変えた方がいいんじゃないのか、面白いに変わる言葉は何かないのか、と聞くんだけども。
思いつかないーわからないーといった感じで息子のやる気もゼロになったところで、テーブルに置きっぱなしの読書カードに娘がシール貼って、それをきっかけに大げんかになったというお話。
妻は、塾の宿題や漢検の勉強は本人の希望もあって見るけれども、希望していない学校の宿題にまで口を出したのがまずかったのでは?とのちに語っている。
まぁ、一番嫌いっぽいしね、読書感想文。
他の親はどうしてるんだろう
例えば算数や国語で丸つけして、間違っていたら訂正してもらうじゃないか。
わかりやすい一つの答えがあればいいんだけども、読書感想文はわかりやすい答えがない。千差万別、言ってしまえば何でもありである。
そう考えると息子の文章もありってことになる。
いやありっちゃありなんだけどね、私が口を出したところで息子のためになったかといえば疑問だし、次同じ宿題があればまた同じテンプレで書くかもしれない。
ならば何も口を出さない方がよかったのだろうか。
と少しネット上をさまよっていると、作文のサポートをしてる親御さんは一定数いるようだった。
うちの子はサポートしないと書けません、困ってます!って人とか、高学年までサポートしたらあとは自分で書けるようになりましたとか。
親が納得する完成度を目指すのも教育の一つか?
うーむ、でもまぁ最初のままでよかったのかもしれないね。
強制でやらされて作文が上達したわけでもなく、最終的に喧嘩になり、子供の課題に首を突っ込んでいるって感じになっちゃったし。
そもそも息子にやる気があったわけでもないのだから、妻が宿題をやるようにと言ったスタートが間違っていたんだろう。
……
妻が妻が、と何度も書いてる通り、妻と私の足並みが揃ってないのもかなりまずい感じがする。
今回も私のチェックと妻のチェックでOKラインが全然違うから、息子も混乱したことだろう。
距離感と足並みの話
ちなみに妻も、この大げんかを経て息子との距離感を考えているようだ。
夏休みだし一緒にいる時間が長く、そこまでモチベーションが高くない息子の勉強についていると誰だって嫌になる。無論、息子も嫌になるだろう。
息子を認められない(認めたくない?)私でも、ある程度の距離を保てばだいぶ落ち着いて対応できている。近づきすぎると自爆するから、今の私にはこれがギリだろう。
先日は息子と数時間遊んで、その中でもオセロをしまして。
"相手を馬鹿にしない"、"試合中に相手に声をかけない"といったルールを決めてのオセロ。
何となく息子と遊びたくないなーって感じる要素は色々あれど、細かいところで馬鹿にしてくる発言が嫌なのは大きい。
スルーできる時とできない時があるんだよね、体調にもよるし。
ただこれまでの経験から、息子とは遊んでも気分が悪くなるだけという印象が脳に刻まれている。
まぁ、対策さえすれば楽しい時間だったよ。普通こんなことしないだろうルールという補助輪をつけながらでも、とりあえずは息子にイライラせず遊べたので今のところは良しとする。
結局私が1個差で勝ったんだけども、のちに「パパが勝ってたね、1個差で(笑)」と小馬鹿にしてきたので注意しておいた。
「オレ、オセロめっちゃ強いよ」から始まった勝負で負けて、悔しいなら悔しいでいいのにね。
最後に
さて今度また改めて書きたいが、妻と息子の争いは私の精神にも多大なダメージを与えている。
怒鳴ってる息子を見てるとたとえ息子が何も悪くなくても嫌悪感が出てしまう。
息子が悪くなくても、妻の言葉を無視する姿を見ると嫌悪感が出てしまう。
あれやれこれやれ言われて嫌そうな態度をする姿を見ると嫌悪感が出てしまう。
妻が教育熱心になればなるほどに、息子への嫌悪感が増す。
何も言わないと主張する私だって、妻の対応を良しとしてるようなもんだから。私に責任がないわけではない。妻の号令で助かったと感じる時もあるし。
まあ何度も書くけど、夫婦の教育方針がまったく違うんだよな。
私は息子と二人で過ごす時、ほんと何も言わない。早くしろとかあれやれこれやれとか一切言わない。自分の責任だね、"私"がよほど迷惑しない限りは好きにせえよスタイル。
妻は「私が言わないとこの子たちは動かない!」との思いが強くて指示を飛ばす。私にも指示を飛ばしまくりなので、そういうスタイルなんでしょう。
どちらが正解でどちらが不正解ってことではなく、夫婦の考え方が違うのはよくないね。改めて考えてみると。
私は家族の喧嘩を見るのが一番好かんのよなぁ。かと言って家族をないがしろにする態度も好かん。
みんな仲良くできたらいいんだけども。私がないがしろにする時もあるしさ、難しいね。
認知行動療法50日目
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