ステップファザーにできること

発達障害の娘とやんちゃ息子の父によるステップファミリーの話

寂しさを抱いて生きていく

心の闇に触れるとんぼである、ごきげんよう。

 

自分の心の奥底に触れた感覚は久しぶりだ、忙しすぎたのもあって目の前の現実でいっぱいいっぱいだったのだろう。

 

さて、寂しさについて考えるしょっぱい自分語りの回。

 

◆家族の紹介

この寂しさに

子育て中の親御さん中には、子が離れていく寂しさに耐えられない人が一定数いるという。子供に執着したり、無気力になったり。

 

子供を育ててみて、人生において親離れ子離れほど寂しいものはないのではないかと疑ってる。考えるだけでそれはそれは寂しいものがある。

 

娘も息子も、自立していく姿を見るのは嬉しくもあり、それ以上に寂しくもある。外に出ていける息子は特に。

 

親と全力で遊んでいた小僧が、今では友達メインで遊ぶ。たまには親と遊んでやってもいいかと時間を作ってくれるが楽しそうではない。

 

いや、こちらも一緒に遊ぶのしんどいよ。楽しいかも正直微妙だし疲れるし、積極的に遊びたいかと言われればそうでもない。どちらかと言えば遊びたくはない。

 

それでも離れていくのは寂しいと感じるから、まあ情けないというか何というか。子供からすれば傍迷惑な話でしかない。

 

頭では子供の自立を目標としてるから、息子が自主的に家族から離れて活動を始めても止めはしない。

 

よほど家族をないがしろにするなら物申すが、いついかなる時も家族を最優先にしろとは言わん。そこまで頭おかしくはない。

 

それなのに心にずっと寂しさがあるもんだから、私から出てくる提案・選択肢は無意識にその影響を強く受けている。

 

家族の時間を作ろう、家族で何かしよう。

 

それ自体が悪いことではないが、スタートが寂しさだからおかしなことにもなる。

 

赤ちゃんを抱っこしてても、最近は嬉しさと同時に寂しさを感じる。成長が速すぎる。この子も早々に自立して私の元から去っていくことだろう。

 

何度も書く。私は寂しいんだ。寂しさで子供たちを束縛したいとは思わない。でも寂しくて苦しいんだよ、どうしたらいいんだ。

 

この寂しさに耐えて人は生きていかねばならないのか?

 

現実を直視すると、ぶわーっと涙が溢れ出してしまった。闇が深いな。

 

そういえば過去にも同じようなこと書いている。もう少しうっすらとした内容だけども、何でこんな思考になるのか幼少期を紐解いてるのが面白い。

www.rabbitonbo.com

 

原因はどうあれ、寂しさに絡め取られている内はまともな思考ができないのは間違いない。無益なフィルターである。

 

以前よりは良くはなっているものの、根本的に何とかせねばならない。

寂しさを抱えて生きていく

この寂しさ、言葉では表現し難いのだが……こんなん耐えられないだろって苦しみを伴っているからタチが悪い。

 

心が引き裂かれるというのか、無意識に回避したくなるのも頷ける。この痛みに耐えて生きていけるとはとても思えない。

 

ということで、心の問題にぶち当たった時にはBUMP OF CHICKENを聴こう。ひきこもり時代から変わらない、弱った時のBUMPである。

 

あぁ、なんかこの寂しさに寄り添ってくれる歌があったよなーと探して、見つけた。

www.youtube.com

 

久々に聞いてこんなにいい曲だったのかとボロボロ泣いた。子離れできない親御さんはぜひどうぞ。

くさすぎるので

アラフォーおっさんがBUMP聞いてポエム書いて終わりではくさすぎるので、最後に現実的な対策を書いて終わりにする。

 

つまり、寂しさをリフレーミングすればいいのではないか?

 

例えば不安と緊張を感じる時、その状態を「ワクワクしてる」と再定義(リフレーミング)することでパフォーマンスが向上するという。

 

例えば「ストレスは体に害しかない」と考える人よりも「ストレスは役に立つこともある」と考えている人の方がストレスに強く健康状態も良いという。

 

同じものでも捉え方が違うだけで現実への影響が変わってくるのだ。

 

きっと寂しさも同じだろう。感じる痛みは同じでも、それをどう捉えるかで私の行動が変わってくる。

 

寂しさは苦しみでしかなく、回避すべきものなのか?

 

いやいや、寂しさとはその人と一緒にいた時間があったからこそ感じるものである

 

それぞれ道は違えても、例え二度と会わなかったとしても、共に過ごした時間があった。確かにあの時間は存在した。

 

どうしようもない寂しさがその証明である。

 

そう考えると、こんなに愛しい感情は他にないのではないか。この寂しさがあれば、例え独りになっても大丈夫だと思えるのではないか。

 

寂しさは痛みを伴う苦痛ではない。私に寄り添い、共に歩んでくれている。

 

ということで、今後は愛しい寂しさを抱いて生きていくこととする。

 

本気で寂しさを受け入れられるのなら、子供たちとの関係にも何かしら変化が現れるだろう。

 

どちらにしろくさすぎるが、いい自分語りだったな。年末なのに何やってんだか。

 

おわり。

 

◆生活改善記録

筆記開示187日目 +5分(累計2220)7つのコラム+1(累計188)

 

ここまで読んでいただき感謝。

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