ステップファザーにできること

発達障害の娘とやんちゃ息子の父によるステップファミリーの話

赤ちゃんを笑わせようとしてスベることが愛着に繋がる話

平和な話を書きたいとんぼである、ごきげんよう。

 

心身ともにつらい時期はブログを書くのがとてもきつい。放っておくと暗い話ばかり書いてしまうので、意識して明るい話を書いてみる。

 

……つもりだったけど、途中でルートを間違えたかも。

 

◆家族の紹介

赤ちゃんの前で失敗しよう

9ヶ月目の赤ちゃんと毎日過ごしている昨今。

 

赤ちゃんは万全の状態だとよく笑う。くだらないことでも声出して笑うし、いないいないばあでも笑うし絵本でも笑う。ぬいぐるみの顔見るだけで笑う。

 

笑う赤ちゃんはかわいいのでもっと笑わせたい!と思うでしょう?だから笑わせようと色々やるんだけども、まったく笑わないことも多い。

 

なんやねんこいつ、って顔しながらじーっと見てきたり、ぷいっと反対側を向いてしまうこともある。

 

よく笑う赤ちゃんと言えど、いないいないばあを100回繰り返して100回笑うわけじゃない。当たり前だけども赤ちゃんも飽きてしまうのだ。

 

それでも笑わせたいとあの手この手を使って必死にあやす。しかし必死になればなるほどに笑わなくなる。

 

つまり、クソすべってる。スベリちらかしている。

 

おどけてみたり、全力変顔してみたり、変な歌うたってみたり。どれもこれもすべるすべる、びっくりするくらいに無反応。

 

ここまで笑わないもんかね。しかも嫌そうな顔をされると普通に傷つく。

 

まー眠たいとかお腹すいてるとかしつこいとか、赤ちゃんには赤ちゃんの事情があるから。そりゃこちらの思い通りにいくわけもないのだが。

いい経験だよ

親になったからと言って、人間的なレベルが急激に上がるわけではない。子供たちと向き合ってぶつかって少しずつ共に学んでいくことも多い。

 

だから本来最初にやってくる赤ちゃん時代はとても重要だなと思って。

 

子供は親の思い通りにはいかないし、勝手な押し付けほどうざったいものはないと気づける。子供には子供の事情があるのだ。

 

しかし、例えば突然15歳の女の子の父親になった場合、少し発言を間違えただけで「うざっ、きもっ」と一蹴され、二度と関係修復ができないこともあるだろう。

 

それがどうだ、赤ちゃんの頃の記憶はほとんど残らないというんだ。思い切って失敗できるじゃないか。

 

全力の変顔を試すこともできるし、よくわからない替え歌を歌うこともできる。

 

恥ずかしげもなく色々と試して滑り倒して、この子はどういうことが好きで、こういうのは嫌いで、こういう場合は放っておいた方がいいのだなと擦り合わせしていく。

 

普通に傷つくこともあるけれど、相手は赤ちゃんだから。世界でここまで優しい客はいない。嫌な顔されて傷ついても赤ちゃんはどうせ忘れるのだ。

 

スベっては修正して、楽しませようとしては失敗して、時に笑って癒されて。

 

この子が言葉を操る頃には、親子の間に言葉では言い表せない関係性が構築されているのだろう。ちょっとやそっとで壊れない安心感というのか。

 

これを愛着と呼ぶのかもしれない。

愛着とは双方向のもの

比較対象として、3歳から同居を始めた息子(現在小4)がきつかったんだよ。

 

成長した今も「ん?」と思うことはそりゃあるけれど、小さい時はほんと怖かった。(娘は特殊なのでまた別)

 

いつもは楽しそうに笑ってる息子が全然笑わないだけで大きなショックを受けてた。

 

産まれた時から見てる赤ちゃん相手でスベるのと、家族になって間もない3歳相手にスベるのとでは全然意味が違う。

 

こちとらどうやって仲良くやるかに必死だし、取り返し方もわからない。何で笑わないのかもわからない。いつも笑うのに。

 

ちょっとしたことで「嫌われているのでは?」と常に不安だったように思う。

 

これも、赤ちゃんの頃から接してたら当たり前のように適応できたのでしょう。過去に書いたこれに似た話か。

www.rabbitonbo.com

 

あまり深く考えたことなかったが、子供と親がお互いに愛着を抱くことで健全な親子関係が成立するものなんだろう。二人の間にある双方向の安心感こそが愛着か。

 

私は息子(+娘)との間に愛着がなかったから不安に包まれていた。おそらく子供たちもそうだろう。ちょっとやそっとで壊れる関係だった。

 

子供と同じ時を過ごして、何度も向き合って、何度も失敗して、そしてクソすべって。こうやって少しずつ二人の愛着を育くんでいく。

 

愛着とは一方通行のものではなかったのだ。知ってたような、知らなかったような。

今後を考える

しんどいからクソ記事書いてお茶を濁すつもりが、意外に面白い結論に達してしまった。

 

私は私のやるべきこと(家事・仕事)だけやれば十分では?子供たちの心のケアは母である妻がやったほうが良いのでは?

 

そう思ってた。

 

子供たちの中に私への愛着があるならそりゃいいことだし、愛情を与えたいとは思っていた。しかし私の中の愛着まで育てようなどとは微塵も思ったことはない。

 

今さらだし、だから何って話かな?いや、でも結構違うかも。お互いが安心できる存在となったら、我が家は安心安全のホームになる。

 

子供たちにとっても、もちろん私にとっても。

 

……私は息子がいると今でも緊張するからね。娘がいると別の意味で緊張するし。

 

頭がまわらんので全然まとまらんかった。思いつきで書き進めるもんじゃないわ、おわり。

 

◆生活改善記録

筆記開示181日目 +5分(累計2190)7つのコラム+1(累計182)

 

ここまで読んでいただき感謝。

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