ステップファザーにできること

重度知的+発達障害の娘と、二人のやんちゃ息子の父によるステップファミリーの話

子供が離れていく寂しさに耐えられない心の闇を考える会

末っ子とんぼである、ごきげんよう。

 

さまざまな経験を経て自己分析をした結果、私に巣食う心の闇の大部分は『寂しさ』なのではないか。

 

親が寂しさに蝕まれていたら、やってられないぞ。

子供たちが離れていく寂しさ

過去に、「子供が友達とオンラインゲームばかりやっていて寂しく感じる」といったコメントを頂いたことがある。

 

他のブログでもよく見かけるが、小学校高学年になってきた子供は、親と遊ぶより友人とゲームでドンパチやるのが楽しいのだろう。

 

もしうちでも、息子が同じようにゲームしてたらどう感じるかなぁ……とイメージしてみると、微妙というか、かなり嫌だな。1時間超えたら耐えられる気がしない。

 

なぜかといえば、やっぱり寂しいからだろう。

 

息子のYouTubeやゲーム全般に対する自由にさせたくない感は、寂しさからきてる。

 

ゲームに夢中で話もしない。YouTubeに夢中で挨拶すらしない。家族の時間も減り、私から離れていくのが寂しくて怖い。

 

本来であれば、ゲームの依存性や脳への悪影響、また座りすぎの弊害などなど、客観的なデータに基づいて制限をかけるべきところ。

 

それなのに、主観的に、ただただ「寂しいから」で制限をかけてきたのが、これまでなんじゃないか。

 

寂しさを感じなくても、結局制限かけるとは思うよ。やりすぎはよくないのは確かだし、昔の私みたいなMMO廃人になられても困る。

 

とにかくよくわからんのだけど、息子と接してると寂しさを感じることが多い。それが積み重なって、怒りに変わっているような。

 

離れていくのが嫌なんだよね。

 

逆に娘は今後もずっとサポートを必要とする子だ。暴力以外で寂しさは感じない。

 

離れていかない安心感はあるよね。なんだか娘の成長を阻害しそうな考えだな。よくないなぁ。

寂しさを受け入れろ

で、ここ1ヶ月以上、認知行動療法を相当やり込んでまして、過去のトラウマ系にもずばずば切り込んでいっている。

 

過去を思い返してダメージを受けるのは、自分の周りから人が離れていくのがつらかった記憶。

 

四人兄弟の末っ子だった私は、小学校のころは姉や兄、また姉の友人など、年上の人たちばかりと遊んでいた。2~4つ上とか。

 

姉達が中学生になると全然遊んでくれなくなって、みんな離れていったのが寂しかった。上の子から順に、少しずつ遊ばなくなっていく。寂しいよあれ。

 

近所で遊べる友人がいなくなっても学校で友達は作った。が、心の弱さを克服できなかった私は中3で不登校になり、高校も行かず1年ふらふら。

 

仲の良い友人は何人もいたが、みんな高校で新しい友達作ってんだぜ。高校もいかない引きこもり野郎との付き合いは続かない。

 

学校の友人達も、みんな離れていった。

 

楽しんでいる皆を見るのもつらかったし、どうせお前らも離れて行くんだろと、傷つくのが怖くて自分から連絡を閉ざしたような気もする。

 

これ書いてて、あぁ、私からも距離おいたんだっけと驚いている。正に封印してきた記憶だ。

 

10代だし、色んな感情が入り混じっていたんだろうね。恥ずかしいし、プライドもあるし、自己嫌悪もすごいし。

 

こういった過去のせいか、人が離れていくことに異常な寂しさを感じたりするのでしょう。

 

目的論で考えてみると、どうせ皆離れていくし、傷つきたくないから人と仲良くならないでおこう。深く踏み込まないでおこうという無意識。

 

それでも深く踏み込んじゃったのが、子供達だから。

 

せっかく仲良くしようとしてるんだから、絶対に逃げて行くんじゃねーぞ!!

 

離れていく寂しさを許容できないために、怒りに変わってしまっている……という自己分析。

 

とにかく、寂しかったんだろうなぁ。つらかったなぁ、我ながらよく頑張ってきたなぁ。

トラウマ解消するとんぼ

寂しい気持ちを、これまで見てみぬふりをしてきたように思う。

 

当時は恥ずかしくてねぇ。特に中学生のころなんて、認めたくないじゃない。

 

仲の良かった友人達が消えていっても、強がって感情にフタをするしかないじゃないか。私は大丈夫だって、全然問題ないって。

 

いやいや、そんなことない。

 

めちゃくちゃ寂しかったから。

 

親友とも呼べる友人達が、別の新しい友達とか作ってどっか行っちゃうんだぜ。ありえないだろ、こんな寂しいことない。

 

何も感じてないみたいに格好つけやがって。寂しかったら寂しいって言えよ。大したことないだろお前のプライドなんか。

 

というわけで、ずーーーっっと感じてきた寂しさを認め、自分を癒しているのが最近のとんぼの動き。

 

一旦認めれば、心は結構軽くなるもので。

 

息子が挨拶を無視するとか、雑な返事してくるとか、遊びを拒否られるとか、文句をつけられるとか。

 

細かいところで感じていた寂しさも、なんとか乗り越えていけそうな気配。

 

もう少し続ければ、ゲームやYouTubeへの寂しさからくる怒りもクリアできるでしょう。

 

子供が自立して離れて行くのは寂しいけども、私の承認欲求を満たすことが子育てのゴールじゃないからな。

 

あー寂しいねぇ。

 

ここまで読んでいただき感謝。

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