ステップファザーにできること

発達障害の娘とやんちゃ息子の父によるステップファミリーの話

寂しさと孤独の違いに気づく話

一つの解に辿り着いたとんぼである、ごきげんよう。

 

似てるようで似てない感情を見つけた。

 

そうだ。寂しさと孤独は違うものだったのだ。

 

◆家族の紹介

寂しさと孤独を考える

昨日、荒れ狂う娘の対応を必死にやってもまったく報われず、心が苦しんでいる話を書いた。

www.rabbitonbo.com

 

これ、最近のマイブームである寂しさの一種だろうと思い込んだ。家族にないがしろにされていて、認めてくれない感。バラバラになってる感。

 

寂しさなら乗り越えつつある感情だったので、リフレーミングを試みるもほとんど効果なし。苦しすぎてほんと吐きそう。

 

あーこれやばいなぁと思いながらも、昨晩も娘に蹴られて背中も痛いままにドライブにも行って……しばらく考えてみると閃く。

 

寂しさと孤独って、まったく違う感情じゃないか?

 

私が家族(主に息子)に対して寂しさを感じるケースは、家族が離れていくという共通点がある。

 

言わば今まで家族一緒に仲良く行動してたのに、皆がそれぞれ好きに動くのが嫌だった。寂しかった。

 

しかし今回感じた孤独はどうだろう。

 

なんというかこれは……家族がバラバラになるというより、一人で戦ってるイメージなんだよね。一人で必死に皆を守るために戦ってる。

 

それなのに守ってるはずの人たちから感謝をされることもなく、むしろそれが当然のような態度を取られる。

 

誰かに守られて成立してる平和なのに、それを忘れて自分の欲を満たすことしか考えていないことに腹を立てている。

 

例えがわかりにくいな。

 

仮に夜に家族で映画を見るとして、途中で娘がギャーギャー暴れて、赤ちゃん泣いたら対応するじゃないか。

 

それはそれは心労するが、映画が終わるまでは頑張ろうと必死に時間を稼ぐ。もはや息子しか見ていないが楽しんでるならそれでいい。

 

やっと映画が終わった!よし、一応はスタッフロールを最後まで見たらテレビを消して寝よう!

 

と思ったら、スタッフロールが終わっても息子はリモコンをポチポチしてテレビは消さない。明日は何見ようかな、俺が見たいのないかなとぽちぽち。消してと言っても無視。

 

これねぇ、現場にいないとわからないと思う。死ぬほどうざい。

 

実際のところ、息子に「娘(や赤ちゃん)の対応が大変だからもうやめろ」なんて言わないわけよ。別に次に見たいやつ探すくらい大した話ではないのよ。

 

でもこちらの人生賭けて守ってるやつが、へらへら欲望を貪り尽くしていたらむかついてしまう。

 

あぁ、これはまどマギのさやかちゃんみたいな感じだね。

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大好きな幼馴染の怪我を治すために人間やめたさやかちゃん。

 

しかし怪我が治った幼なじみは別の女の子と付き合ってイチャコラし始めた。

 

好きな人の幸せのためなら……と決意したはずなのに心は耐えられず、さやかちゃんは闇に堕ちて魔女になった。

 

何でこうなってしまったんだろう。

報われない孤独を受け入れる

別に感謝してほしいわけじゃない。労ってほしいわけでもないし、私の思い通りに動いてほしいわけでもない。

 

それなのにどれだけ必死に守り続けても報われることがない現状に息が苦しくなる。

 

「もっと感謝し、労い、讃えろ!!私を大切にしろ!助けられていることを自覚して空気読んで動け!!」と伝えることは私の教育方針から外れているから何も言えない。

 

何も言えないから黙々と家族を守り続ける。家族が笑顔で過ごせるならそれでいい。そのために貢献できているのなら、それで十分なはずなのだ。

 

でも心はそれを許さない。さやかちゃんと同じで報われることのない現実に耐えられない。

 

私はこんなに頑張っているのに。なぜ私だけが。なぜここまでやってるのにわかってくれないのか。

 

孤独としか言いようがない。しかし家族に強要はできない。

 

そうだ、つまりこれは家族との戦いではない。いかに孤独を受け入れるかの戦いだったのだ。

 

だって現実はただただ孤独だよ。

夜に娘と二人きりで寝ている私がどれほどの強さで蹴られているかわかるだろうか。ブログではただ蹴られたと書くが、その強さはどんどん増している。

 

今では常に背中が痛い。アザになっているのではと疑うレベルだ。

 

夜間に娘がむくっと起きた時に、どれほどの恐怖を感じるかわかるだろうか。うっすら暗闇の中で、頭や顔やお腹に突然攻撃が飛んでくるかもしれない。

 

緊張を強いられる夜が過ぎて、日が昇る前に娘が起きだした絶望がわかるだろうか。大声出して家中を練り歩く娘を放置できないからドライブに連れて行くしかない。

 

何時間もドライブしてる間、自宅では妻や息子・赤ちゃんがゆったりと寝てる。そんで私が準備した朝食を食べている。

 

……わかるだろうか。

 

果たして、この頑張りは報われるものなのか。そもそも報われるとは何なのか。それに見返りなんて求めるもんではないと頭ではわかっている。

 

結局、激しい痛みを伴いながら孤独な戦いは続く。

 

まぁ、どれも自ら望んでやっていることばかり。誰かに助けてほしいなんて思ってない。これがベストな選択だと思ってやってる。

 

それなのに孤独に耐えられず、心が嘆き苦しんでいるって話。

孤独は勇気の証

家族のために独りで戦い続けることは苦しい。

 

周りから、特に子供からは完全に理解されることもない。感謝は押し付けられないし、味方もいないかもしれない。

 

それでも孤独を感じながらも戦うことが家族にとって一番だとわかっている。家族が幸せに暮らすためには私の孤独がついて回る。

 

そんな話を妻としていると、妻も赤ちゃんがまだ数ヶ月の頃に孤独を感じたという。夜間は授乳が多くて妻がとてもしんどかった時期だ。

 

そうか。

 

おそらく誰しもが孤独を抱えて家族のために戦っているんだ。パートナーがいても仲間がいても、どうしたって独りで戦う時間はあるんだ。

 

誰かのために孤独の時間を過ごすこと、それは誰かのために戦っていることに他ならない。

 

なんで誰もわかってくれないんだとネガティブに捉えるのではなく、苦しみながらも戦い続ける自分の勇気を褒め讃えるべきではないのか。

 

孤独は勇気の証だ。他者から称賛されずとも、例え誰も認めてくれなくても、自らが正しいと思える道を突き進もうとする私は勇者だったのである。

 

それによくよく考えてみれば、世界には孤独を感じながらも戦い続ける無数の勇者がいるはずだ。報われるかどうかではないんだよ。単純に生き様がかっこいいじゃないか。

 

そんな仲間が今も頑張っていると考えると、少しは勇気がもらえると思いませんか?

 

……

 

うーん、こんな思想記事は日曜日に書くもんじゃないな。時間がなくて全然まとまらん。

 

とりあえず今後は孤独な時間を過ごす自分を褒めちぎっていこうと思います。

 

苦しみがどれほど軽減するものか。あまり期待はしてないが、これはこれでリフレーミングではあるよね。自分を好きになれそうだし。

 

ここまで読んでいただき感謝。

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