ひきこもり時に2chに入り浸っていたこともあり、私の中には嫌儲という価値観が根付いている。
ブログを見てとてもいいことを書いていても、そこに貼られたamazonリンクURLに-22がついてたら
けっ、金儲けかよ。絶対リンク踏まんわ。
と思ってしまう。
お金なんて興味がなさそうな聖人のような人のブログが広告ばりばりだったら、はぁ?と思ってしまう。
いつからかわからないが、人がお金を儲けようとしている気持ちが見え隠れしたり、実際に稼いでいる話を見ることに嫌悪感を持つようになった。
芸能人が実際のお給料とかを絶対に口に出さないのはおそらく嫉妬から叩かれるのを防ぐためだろうが、多分それと似たような話なのかもしれないね。
なんでこんなにいやなのか
はてなブログを始めていろんな人のブログを見ていくと、皆当たり前のようにAdsenseを申請したり、途中からAdsenseを貼ったりしている。
中にはAmazonの欲しいものリストを大々的に載せている人もいるし、投げ銭的なシステムを導入している人もいる。
皆私ほど、お金を稼ぐことにこのようなネガティブな意識はないのかもしれない。
まー私だって、お金が稼げるかも!ということも大きな理由の一つでブログを始めている。
ブログ開設してすぐにAdsenseを導入したし、Amazonリンクは当然のようにアフィである。
だがこれを書きながらも、嫌悪感がすごい。自分に対する、汚れているような感じ。
複雑な感情である。
肉を探すこと、お金を稼ぐこと
ここで冷静に考えてみたい。
今の時代、お金がなければ困ってしまう。私たち家族はアパートを追い出されるし、ご飯もなけりゃ服も買えないし病院もいけない。
外に放り出されたら病気になるし、夜間には誰かに襲われてしまうかもしれない。
お金は生活必需品なのである。
お金を稼ぐことは悪いことではないし、むしろ当然というか人が飯を食うくらいの当たり前の行為じゃないのかとすら思う。
お金を稼ぐことへの嫌悪感は、ただの思い込みじゃないか。刷り込みとも言うべきか。
お金は汚いもの、人を壊し家族を壊す、いやしく人生を壊しかねないもの、お金を求めない人こそが誠実だ。
そんな刷り込みがあるのだ。
お金があったら何をしたいか
5年前の私が、友人から質問されたことがある。
1億円あったら何がしたい?
その時の私の答えは、
「何がしたいかわからない。お金があっても…別に」
そんな回答だった気がする。お金があっても何も変わらないと思っていた。
でも今は違う。1億円あったらやりたいことは山ほどある。
自分の時間を金で買いたいし、お金がないと子供達に経験させられないことも多い。学校選びや引っ越しもそう。実家の猫たちの病院も。
お金は一番ではない。私はお金よりも家族を選ぶし、お金よりも命が大事である。
だが、お金がないと助けられない命もある。 お金はお金で必要なのだ。それは間違いない。
何が言いたいのか
何でこんな話を書き出したかと言えば、ブログという収入源について考えてみたからである。
今このブログは、もしもアフィリエイトとGoogleAdsenseがメインの収入源となっている。
このブログ一本で生きていこうなんて微塵も考えていないのだが、収入は多ければ多い方がいいというのが本音である。
そこで、例えばこのブログが気に入った人がAmazonのギフトカードを送れるようにするとか、欲しいものリストから何かを支援できるようにするとか。
そういうものを考えてみたのだが、どうしてもできないのである。
なぜだろう。
一つ思ったのは、”誠実さ”というのがとても大きなキーワードじゃないかと思う。
誠実さとお金
誠実さとお金はもはや反対語といってもいいくらいじゃないか。
すげーいいこと書いて、めちゃくちゃ感動する言葉書いて、そして最後にぽんとアフィリエイトリンクが出てきたらその人の言葉の信頼性が低下しかねない。
それは無意識に「結局金かい」と思ってしまうし、金を求める人に「私が」誠実さを感じないからだ。
読者にお金を求める行為は私にとっては絶対NGなのだ。
でもこれも、少し考えてみると違う気がしている。
この記事で少し書いたが、お金を儲けている人が嘘をついていることにはならない。
私はBUMP OF CHIKEN信者なのだが、彼らの言葉は本物だと思っている。
だが彼らは彼らでCDを売るし、DVDも販売してグッズもばりばり売っている。守銭奴感はないものの、普通にそれなりに販売しているのだ。
しているし、それでいいと思う。彼らの活動のためにはお金必要なのだ。むしろもっと金を稼いで余計なストレスから解放されて曲を作ってどんどん歌ってほしいとすら思う。
しかも最近は新曲がYouTubeでフルが聞けるようになっている。もはやCDを買う必要すらなくなった。
だが、私はiTunesで250円で購入することにしている。活動が続けられなくなったら私が寂しいからだ。
なんというか、そんな感じだよね。ただでも聞けるけども、ずっと継続していってほしい。
継続するにはお金は必要だろう。だからお金ははらいたいし、それで損した気持ちにもならないしむしろ感謝の気持ちというか。
おそらくブログという無料媒体の理想形も、このアーティストの活動に近いものがあるんじゃないか。
お金は活動(生活)のためにも活動を広げるためにも必要だから、必要最低限のお金はいただきながらやりたいことをやる。
みたいな、そういうスタンス。
私の生み出す記事がアーティストのそれに匹敵するとは思わんけども。
投げ銭を気軽に投げてもらえる環境
とりあえず、そうだな。
多分、ほしい物リストは導入しないが投げ銭は導入するはず。
個人的なお返しはできないけども、金にならない仕事をしている人がパトロンを探しながら生きていくのは今も昔も同じだろう。
そしてこの記事を書いて感じるのは、なんだかんだで本音を語るのが一番だということ。
お金は必要だという気持ちと、自分の思いや経験も伝えたいという思い。どっちも0か100かではない。
この複雑な感じが、人間臭さであり、人の魅力に繋がるのだろう。
もしかしたらここまで考えることではないかもしれないが、私の渾身の記事が「けっ、金儲けかよ」で一蹴されないようにできるだけ計らいたい。
じゃー金儲けやめろよって?いやいや、お金は必要なんだって。
だからあれだよ。
気軽に投げ銭ができるような環境のブログにする。
これを目標にしよう。
ここまで書いても、結局金儲けを正当化したいだけじゃねーかという心の声が聞こえる。
なかなか難しいもんだな。お金を稼ぐのも。
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