ステップファザーにできること

発達障害の娘とやんちゃ息子の父になった話

息子が喜ぶ姿が絶対に許せない心理は一体何なのか考察する

引越ししてから毎日山を登っているからか、とにかく疲れがたまっているとんぼである。ごきげんよう。

 

最近は息子に対して、あらゆる行動にイライラしてしまっている。疲れのせいか?とも思ったが、以前から気になっていることがあるのだ。

 

それは、息子が喜ぶのが許せない。

 

そんな気持ち、わかる人いるだろうか。なんだろう、むかつくんだよね。息子が喜んでいると。

 

何なんだろうと思いつつも向き合いたくないとスルーしてきたが、今回ちょっと向き合ってみたい。

喜ばせるのは好きなお父さん

息子が喜ぶのが許せないとはいうが、その怒りには条件があるようだ。

 

まず、私はサプライズ大好き人間である。誕生日があったら「何も準備してないよ」と言いながらこっそり料理を作り、ケーキを冷蔵庫に隠しておくタイプの人間だ。

 

それは相手に喜んでほしいからなのか、また自分に感謝してほしいからなのか、その辺も微妙だが、とにかく相手が喜んだら嬉しく思う。

 

クリスマスだってプレゼントをせっせと夜から準備したし、先日も一緒に動物園に行ったし、別に子供達が楽しむことは嫌いじゃない。

 

そうなんだよ。子供達を私が喜ばせるのは別にいいんだけど、息子が喜ぶことに怒りを感じるのはまた別だ。

 

喜びではない、何か別の条件があるのだ。

息子がテレビを見るのが許せない

このブログでは度々、息子がテレビを好き放題に見るのが許せないと書いている。

 

今では月水金を息子の日とし、夕方に1時間ほど息子が好き放題YouTubeを見ているのであまり気にならなくなった。

 

だが最近の春休みで、どうしても既存のルールが当てはまらない。月水金以外にもテレビを見たいと息子がアピールしてくるのである。昨日もそうだった。

 

「金曜日はおばあちゃんのおうちにいてテレビ見れなかったから、今日見たい」

 

見せてもいいんだよ。時間もあるし、他の誰も一切テレビを見ていない。見せたら息子が喜ぶのもわかっている。

 

でも絶対に見せない。 

 

そう一瞬で判断した私は、頑なに拒否。そしたら息子は泣き出して、ずっと泣いていた。

 

しょーもないと思うでしょう?でもこれ、結構私にとっては大きな壁なのだ。

 

お前が好きな時間に好きなようにテレビは絶対見せない!!月水金以外は死んでも見せない!!!

 

私の心はそう決めているようである。なぜだろう?

 

今日も今日とて、家族四人で帰って来たのは19時ごろだ。

 

ちょっと時間があまったら、息子がテレビ見ようと言い出す!それだけは絶対に阻止せねばならない!絶対に見せない!

 

と焦った私は、急いでご飯を準備して20時前には寝かせられるように準備をした。

 

異常だろこれ。何がそんなに嫌なんだ?息子のことが嫌いなのか?

答えはおそらく……

少し風呂に入りながら考えたのだが、なんとなく答えがわかった。多分それは、

 

支配したいから

 

じゃないかな。

 

私が提供する遊びやプレゼントとかで息子が喜んだり遊んだりするのは、全然構わない。私の手のひらの上だしさ。

 

でも、息子がYouTubeを好きなように見てしまったら、それはもう私の手の届かないところにいってしまう。

 

YouTubeにしても何にしても、ネットは広すぎる。私の管理下におけるような規模じゃない。

 

何を見るかわからないし、何が出てくるかもわからない。そんな世界で、我が物顔で息子が自由に振る舞うのが許せないんだと思う。

 

何よりテレビのリモコンで幼児でも好きなように好きなものが見れてしまうのだ。5歳児が。全てを手に入れたかのように。

 

それは許されない。私が管理できる、私が支配できる環境に置いておきたい。

 

ネットに限った話じゃない。現実でも同じだ。息子が我が物顔で自由に振る舞うのは私にはどうしても許せない。

 

悲しいかな、現時点での私はこのレベルである。

これからどうするか

いやはや、子供達の自立をゴールとしているという私がこのザマだ。

 

子供達の自由を縛り、私が許可したものだけを許し、常に手のひらの上で遊ばせたい。私を超えてはいけないし、自由にしてもいけない。お前たちはカゴの中でピーピー鳴いておけ。

 

それが私の本音というわけだ。面白いねぇ、人間って。

 

何でもかんでも全てOKにするわけではないとしても、私の目指すゴールは自立だ。このままではダメなのだ。

 

そこで、毎度のことながら「これからどうするか」を考えて終わりにしよう。

 

子供達と二年間過ごしてきたが、現実問題として子供達を一人の人間として対等に接し、自立を促すというのがどれだけ難しいか痛感している。

 

でもさ、以前の私ならこの子供達を支配したいという無意識に気づくこともできなかっただろうし、気づいても向き合うことはしなかっただろう。

 

観測さえできれば干渉できる。干渉できるなら、制御もできる。

 

これはある知的地球外生命体の名言であるが、人の感情も同じようなものだ。

 

この無意識を観測できたのであれば自身で干渉できるし、干渉できるなら制御もできる。そのトレーニングとして毎日セブンコラムを書いているのだから。

 

というわけで、息子が自由にして喜んでてイラッとしたら自分に問いかけよう。

 

「息子を支配しようとしてないか?」

「このイライラは息子が自由を謳歌しているからではないのか?」

 

もう少しいい問いかけがありそうだが、まあすぐに慣れる。なにせ息子を支配しようとする考えがくだらない思考だって、自分でわかっているからね!