今の私の人生がつまらなさすぎて死にそうになっているとんぼである。ごきげんよう。
このような心境の時は、何かしら元気をもらえそうな漫画や映画を見ると回復のきっかけになったりする。
そこでHuluでTOPに表示されていた「92歳のパリジェンヌ」を見た感想を書いていこう。ネタバレ含むので注意されたし。
92歳のパリジェンヌのあらすじ
見たことがない人のために簡単にあらすじを書いておく。
92歳のおばあちゃんであるマドレーヌ。歳を取るごとに、だんだんできることが少なくなっていくことを気にしている。
そしてもう運転もできない。体も重くてコートをすら重く感じる。歩くのも一苦労。
気力があるうちに死にたい。病院で生きながらえることは絶対にしたくない。
そう決断したマドレーヌは、尊厳死を選ぶ。
自らの誕生日パーティーにて、愛する子供達の家族がいる前で「二ヶ月後に死ぬ」ことを告白するのだ。
それからの家族の葛藤や行動、またはマドレーヌの思いを描くヒューマン映画である。実話をモデルにしているらしい。
家族一人一人の思想がある
この映画で感じたのはやはり、人それぞれに確固たる信念があるということ。
マドレーヌの思いは一つ。本当に何もできなくなって、他人の世話になるくらいなら死にたい。
娘と息子は違う。何があっても、本人が何を望んだとしても、生きて欲しい。愛する人には長く、ずっとずっとそばにいて欲しい。
結局、娘はマドレーヌの望むことを優先して積極的に手を貸すようになる。だが、受け入れたからといって悲しみが消えるわけではない。
一方息子は母の死を絶対に受け入れられない。尊厳死という選択も受け入れられないし、施設に入れてオムツでも何でもしながらでも生きていて欲しいという。
一部、息子が激昂してマドレーヌに怒鳴り散らすシーンがある。
愛する母を怒鳴り散らして威嚇してでも、母の意見を変えさせたい息子。
どっちが悪いとかじゃないんだけども、悲しいシーンである。
死を選択肢に入れる人生観
私の思想では、死ぬことも自由に選べていいと考えている。
本人が正気ならば、正常な判断ができるならば、と条件をつけたいが、死ぬしかないこともあるかもしれない。
ただ様々な選択肢を選べる状態で「死ぬことがいい」と考えに考えた結果選択するなら、その選択を尊重したい。
死に方を選べない人なんて大勢いる。自分で死ぬこともできずに、苦しんでいる人もいる。
例えば以前に働いていた介護施設は、職員もみな努力してよりよい施設にしていこうという頑張っている施設だった。
私だって勉強したし、本気で利用者の人たちが余生を楽しめる幸せな場所になったらいいと思っていた。
でも、私には無理だった。
もう目が見えない100歳を超えるおばあちゃんをよく覚えている。定期的に情緒が不安定になり、奇声をあげたり大声をあげたりする。
夜勤の時にどうしてもこのおばあちゃんが眠らなかったので、車椅子に座ってもらって夜の間ずっと一緒にいたことがある。
その時に大声で言っていたよ。
「もう殺してくれ」
「なんで私が嫌がることをするんだおまえたちは」
「ころしてくれ」
元気な時は話ができるおばあちゃんだが、「もう自分が誰かもわからない、ここがどこかもわからない」って言ってたのも覚えている。
このおばあちゃんが不幸であるとか。幸せであるとか。それは私が決めることではないが。
自分が誰かもわからない。ここがどこかもわからない。何がなんだかわからず不安で、怖くて、隣で声をかけてくれる人間が誰かもわからない。逃げることも死ぬこともできない。
常に、誰もがそうなる可能性がある。自分の生き様、死に様を考えてみるのは悪いことではないんじゃないか。
家族が望むことを全力でサポートしたい
この映画を見て思い出すのは他にもある。それは、末期ガンだった父の最期を自宅で看取ったことだ。
マドレーヌの息子と同じように、我が姉も父を自宅で看取ることに大反対。「病院があるのになんでわざわざ!?」と怒っていたな。
父の望みを叶えたいと押し切って連れ帰り、そして父は自宅にて息を引き取った。
あれが正解だったかなんて今考えてもわからんし、父親が幸せだったかもわからない。
幸せだったらいいなぁってなもんだよね。
幸せかどうかなんて、本人以外誰にもわからない。自分が選んだ道を信じて、最大限できることをやるしかない。
マドレーヌは死を選んで幸せだったのか?もっと他にできることはあったのではないか?施設で楽しい時間を過ごせたのではないか?
後悔することばかりかもしれないが、後悔しない死なんてあるのかなぁ。
以上、適当に選んだ割に集中して最後まで見てしまった映画の紹介である。2019年5月13日現在、Huluで見られるので気になる方はどうぞ。