ステップファザーにできること

発達障害の娘とやんちゃ息子の父によるステップファミリーの話

私の人生の中でもっとも重要なのが「家族」であると久々に思い出す会

たまには超個人的な話をしてみたいとんぼである、ごきげんよう。

 

次々に襲いくる普通の日々によって、私にとって重要なことはなんなのか忘れてしまう。一体何が私を動かすのか、何をもってこれまでの選択を決めてきたのか。

 

それを久しぶりに思い出したので、なんとなく吐き出していく自分語り会とする。

父に恩返しをしたかった話

私が33年生きてきた中で一番後悔したこと。涙を流しながら、自分を恥じたこと。それは、父の余命宣告を受けた日である。

 

父が末期の大腸ガンで、余命2~3年であると告げられた。もう治ることもない、父はあと数年で死んでしまうという。

 

ひどいもんだった。当時の私は長いひきこもりから脱出したとはいえ、短時間のバイトで適当にふらふら惰性で生きていた。何もできず、何も返せず、父に迷惑ばかりかけている。

 

それなのに父が死んでしまう。何ということだ。こんなの許されない。私は何もしてない。何も返していないのに、父が死んでしまう。

 

ショックを受けて泣きじゃくった記憶がある。25歳くらいか。

 

それから父が誇れる息子になろうと、好きなように自由に納得できる人生を送ることこそが恩返しであると考えて少し行動が変わった。

 

これがあったから今の私があるといってもいい。それ以前の私なら、おそらく妻とは結婚していないだろう。

 

自分自身に納得できるかどうか。これは死ぬまで続く戦いだ。

猫が悪性リンパ腫になった話

私が拾ってきた子猫がいた。とてもかわいがっていて、毎日ネズミのおもちゃで遊んで楽しかった。その猫が、5歳の時に悪性リンパ腫になった。

 

元気がないと病院に連れて行った時には手遅れで、手の施しようがないという。何の治療もできず、死を待つしかないという。

 

悲しい。死んで欲しくない。寂しい。

 

医者のいう通り、その猫は病気発覚から数日で亡くなってしまった。身近な存在の死を経験したのが初めてだったから、死のどうしようもなさを思い知らされて悲しみで気が狂いそうだった。

 

でも、当時。少しほっとした自分がいることにも気づいていた。もう少し早く病気が見つかってたら、抗がん剤等による治療に入っていたかもしれないからだ。

 

おそらく月に十数万レベルで出るかもしれない。そりゃ金は出す。出せるならいくらでも出すが、現実はかなりきつくなるだろう。働いたお金をすべてつぎ込むことになるかもしれない。

 

こいつを助けるためなら金なんていらんと言いたいのに、言えない自分がいることが嫌で嫌でたまらなかった。

 

家族を助けたいだけなのに、お金という障害があってそれを気にしている自分に吐き気がする。自分の無力さが腹立たしい。

 

この辺から、お金を儲けることにこだわり始めた気がする。以前は好きなもの買えれば何でもよかったんだが。

 

そして学歴も何もない私が、人と同じようなことをやっても収入はたかが知れている。なら、人と違うことをやらないといけない。お金はいくらあっても足りないのだ。

 

だからまぁ、自宅で翻訳だブログだーといった、今の生活になった要因はここにもあったりする。

家族の死に目に会いたい話

最後はまぁあれだ。ここ数年で猫も犬も亡くなって、父も他界した。死んでしまったんよ。もう二度と会えないんだよ。

 

家族が死ぬ時って、絶対にそばにいたいと思うんだ。人生何があるかわからないから、もしかしたら間に合わないかもしれないけど、仕事だからという理由で死に目に会えないのは絶対に嫌なのだ。

 

病院受診に仕事だから付き合えないとか、亡くなるなら仕事が暇な時であってほしいとか、まだ元気そうだから今日は仕事にいっても大丈夫だろうとか。

 

そういうの、嫌なのだ。誰かに気を使って、何かに気を使って、家族の死に目に会えないなんて絶対にごめんだ。

 

周りの目なんて気にする必要ないってわかってるんだけど、今の私には無理なんだよ。どうしたって気を使う。あぁ、休まないといけないのかって思ってしまう。

 

そんな自分が嫌いだし、そんな生き方はしたくない。自分が変わるのはもちろんだが、自宅でいくらでも調整可能な仕事を選ぶのがベストだ。それ以外に選択肢が存在しない。

 

これが大前提だったんだね。忘れていたよ。

何が一番大事なのか

別に家族に感謝してほしいわけじゃない。見返りを欲しているわけでもない。

 

ただ、私は好きなのだ。家族が好きだから、家族が自由にのびのびと生きられるように、手を貸せることは全力で手を貸したい。それだけで、私は満足して死ねると思う。

 

やりたいことがあるのに仕事のせいでできないとか、お金がないせいで治療や病院受診が制限されるとか、環境のせいで理不尽な死を迎えるとか。

 

ありえない。仕事や環境、お金ごときが私の邪魔をするなんて許せない。それすら乗り越えられない自分を絶対に許さない。

 

この怒りこそが、生きる指針とも言える。

 

そんなわけで、私の邪魔をするお金も仕事も環境も、すべて自らの力でねじ伏せてやろうと考えた結果、今の私がいる。

 

自宅で自由な時間に調整可能な仕事をしていつでも家族を助けられる金を稼ぎ、子供達の病院受診や急な病気にも付き合える環境で、日々の遊びの時間を作る。

 

これらを実現しようと頑張って、うつ病になっているのである。

 

わろすw

 

まーこういうことをたまに思い出すのは大事だよ。何で私は自宅での仕事・収入・子供達と遊ぶことにここまでこだわるのか。

 

それは全て、家族が好きだからという一点に尽きる。どうせ死ぬんだから、クソみたいなことに邪魔されないで笑って過ごしてくれ。