今朝も娘の攻撃に耐え切ったとんぼである、ごきげんよう。
少し新しい考えを取り入れて子供達へのイライラを力に変えつつあるのだが、その前になんで私がこんなに娘に叩かれるとむかつくのか。
筆記開示にて分析するとわかったことがあるので紹介していく。
とにかくむかつくという話
今まで散々娘に叩かれている話を書いてきた。もうすぐ8歳で20kgオーバーの娘だから、力も強いし体も重い。
パチパチ軽く手を振り回すぐらいならまだいい。でも他にもあるんだよ。思いっきり叩かれたり後ろから押されたり体当たりされたり足を踏まれたり皿を投げられたりペンを投げられたり。
普通の子育てしてたらまず経験できないことが毎日のようにあるのだ。激レア体験だな、うらやましくないですか?
そして叩かれた私がどういう感情を抱くかといえば、怒りである。誤解を恐れずに書くと、殺意に近い怒りを覚えているようだ。
今までは、この怒りを見ないふりをしてきた。
いつもは穏やかな娘だから問題ない
こういう障害を持っている子だから仕方ない
私の対応がおかしかった、別の方法を考えよう
このように何とか流してやってきたのだが、実際はどす黒い怒りがうずまいている。
私はそこまでされるようなことをしたか!?
こう思ってしまうんだよ。わかっていても、攻撃されたらむかつくもんはむかつく。
攻撃だけじゃない。朝に靴下渡したら無表情で遠くに投げて知らん顔。カバンを渡したら地面に叩きつけて無視して歩いていく。ご飯を出したら皿ごと投げられる。
ぜひ世界中の人に体験してほしいぞ。私に技術さえあれば、VRで娘の攻撃が体験できるゲームを作りたいくらいだ。
心の声を言語化する
さて、今回は別にむかつく話をしたいわけじゃないんだ。むかついてむかついて仕方がない私の心の声を分析してみた結果の気づきが本題である。
一言でいえば「むかつく」であるが、じゃあ何がそんなにむかつくのか。娘の暴力に対する私の心の声はこうだ。
なんで今叩かれたんだ?私が何かしたか!?
なんでこれくらいで叩かれないといけないんだ?!
なんでなんでなんでなんで!
うむ。つまり、私は娘の行動が理解不能なのだ。まったく意味がわからない。
なぜさっきまで笑っていたのに今叩いてきたのか。なぜ今朝、カバンを持ちたがらずに私を叩いてきたのか。なぜ手を出すほどのことじゃないのに手が出るのか。
やっと気づいた。私は娘のことをわかっているようで、何もわかっていない。わかっているという根拠のない自信があるだけだ。
ただ数年一緒に住んだから、毎日接しているからわかった気になっていた。私が一番詳しいだろうと、対応に苦慮しながらも上手くやれているという自負すらあった。
そんなことはない。無知に等しい。さらに無知であることを私が認識していない。
少なくとも、自分が子供の頃を思い出せば感情が理解できる息子とは違うのだ。娘は言葉を上手く使えないし、考え方も感じ方も私とまるで違う。物理的に違うと言ってもいい。
こういう子だからの一点張りではもはや無理である。耐えられないし対策のしようもない。私は無知で勉強不足だった、この一言に尽きる。
知的謙遜を手に入れようの会
知的謙遜とやらを高めると人は成長できるらしい。知識に関して、自分にはまだ知らないことがあると、何を知ってて何を知らないのかちゃんと理解できていることが重要なんだと。
この知的謙遜の能力が低すぎるのだ。自分が知ってることも知らないことも把握してないくせに、無駄に自信だけがある。
これでは前に進めないので、娘に関しての知識を精査して勉強していきたい。障害関係の本なんて山ほどあるのに、今まで数冊しか読んでないんだぜ。甘えてるわ。
くそが、家庭内暴力ごときで私を殺せると思うなよ!!