昨日は息子の振る舞いによって大きく傷ついたとんぼである、ごきげんよう。
子供達や妻からの拒絶を感じて傷つくことは多い。先日も息子から何度か拒絶されたと感じて、寝室で音楽を聴きながら泣いていた。心を癒しながら涙していた。
ちょっとした言動や行動で、心が大きく傷ついてしまうのである。これは私の思考が偏っているからなのだけど、もう一つ問題がある。
その拒絶は拒絶じゃないが
上で書いた拒絶体験は、厳密に言えば拒絶ではなかった。ただ”拒絶された”と私が感じただけにすぎず、息子としてはそんなつもりはなかったろう。
些細なことで勝手に一人で大きく傷ついて涙しているだけなのだ。これは考え方がおかしいので、少しずつ修正していくしかない。
一つ、ここで考えてみたい。
これがもし、本当の拒絶だったら?
恐ろしいもんで、ガチの拒絶を受け入れられるほどのメンタルは育っていない。おそらく、傷ついて、多くの時間をかけなければダークサイドから戻ってこられなくなるだろう。
今回言いたいのは、拒絶に限らず、どうしようもないこともあるよねということ。
これまで子供達に理想を押し付けてきたと今、痛感している。ルールを決めたら守るものだし、人には優しくするものだとわかってくれていると。
そして、この子たちを健康に愛情たっぷりの人物にしたいと。
自分の中で無意識に決めた正解ルートがあるのだろう。子供達はこうあるべきだ、こうして欲しい、こんな人であって欲しい。
その思いつが強すぎて、子供達がルールを破ったり意にそぐわない行動をとると、異常な怒りに襲われるのである。子供達に直接怒りをぶつけることはあまりないけどさ。
いやー、毒親だよなーと思い知らされているわけですね。
子供達を支配したい
で、最近息子とのやりとりで傷つくことが多く、その度にメンタルがガガンと落ちていくのに困っている。本当に困っているのだ。
昨夜も寝る直前にちょっとしたことで怒りが芽生えてしまった。一度こういうのがあるとそう簡単に解消できるわけもなく、今日も日課はこなしたもののぐだぐだ。
以前より軽減されているが、うつ状態になるんだよ。ここから立ち上がるのが相当にしんどい、こんなんが週に何度もあったら耐えられない。
他にも色々と怒りが湧いてくる事案(クリスマスプレゼントのゲームなど)があって、一体私はどうしたらいいのかと頭を抱えていた。
ぐるぐるぐるぐる考えて、ようやっとたどり着いた一つの答えである。
私は子供達の現在や未来を支配しようとしている。
確か以前にもこんなことを書いた気がするね、また戻ってきた。結局同じことだ、私は子供達を操作し、支配し、思い通りにしたくてたまらない。
私の許容範囲から外れることを決して許さない。もし一歩でも外れたら、激しい怒りに包まれるのである。
この状態では子供達の成長にも悪影響だろうし、何より私のメンタルがもたない。だってこの子たちが私の思い通りに育つわけないもの。
数十年前とは時代も環境もまるで違う。周りにはスマホにゲームにインターネットと娯楽もあふれている。
私の経験を頼りに思い通りに動かそうなんて思ったらそりゃ心労するわ。動くわけないし、恐怖政治しかないんじゃないの?
変えられないものを意識する
必要なのは、変えられないことを受け入れること。変えられないことを諦めること。変えられないことを手放すこと。
今の私が変えようとしている変えられないもの、それは自分以外の他者である。子供達、妻、周りの人たち。彼らの思想や行動は私には変えられない。
変えられないものを思い通りにしたくて怒り狂っているというのが現状だ。非常に滑稽である。
息子がゲームしすぎて将来的に廃人になるかもしれない。高校生になったら部屋で大音量で音楽聴きながらスマホで遊んでるかもしれない。登校拒否、ひきこもりになるかもしれない。
そのどれも、今の私は絶対に受け入れられない。理想と程遠いからだ。でもこれを受け入れられなきゃ、先に進めない。
妻も子供たちも、思い通りに変えることなんてそもそも無理なのだ。諦めるしかない。変えられるのは、自分だけだ。
これを強く意識しながら、毎日過ごしていきたい。ニーバーの祈りを定期的に唱えてみようか。