地味に複雑な家庭で育ったとんぼである、ごきげんよう。
昨夜、妻と昔話をしていると不思議なことに気づいた。幼いころから20年一緒に住んでいたおじさんに対して、当時の私の愛情がなさすぎるのだ。
なんでだろう、そんな考察の回。
一緒に住んでた大叔父
うちの実家は私が生まれた年に建てられたもの。そして実家が建てられた時から、祖父の弟も一緒に暮らすことになった。
大叔父(おおおじ)と言うらしいのだが、幼い頃から目が見えず、下半身麻痺のおじいちゃん。
障がいはあれど、基本的な生活は自立。母がやっていたサポートは朝昼晩の食事を提供することくらい。ぱくぱく食べて、魚の骨もきれいに残していた。
好きなことやって、毎日楽しそう。私も別に嫌いじゃなかったと思う。
私が20歳になる少し前、このおじいちゃんは体調を壊して入院を繰り返し、そのまま亡くなってしまった。
自宅で少し介護したし、入院中にも何度も顔を出したけど……当時の私は亡くなった大叔父に対して一切の悲しみを感じなかった。
若さもあったが、私にとって大叔父は「家族」という認識ではなかったようだ。
あくまでも「一緒に住んでいるだけのおじいちゃん」だ。うーん、なんででしょう?長年一緒に住んでいたのに?
家庭内で分断されている
家族に対して異常な執着を見せる私なのだが、なぜだか大叔父にだけはその愛情が注がれていない。
なぜだろうかと考えたところ、父と母のやり方の問題じゃないかという結論に至った。
大叔父には大叔父専用の部屋があり、母が三食決まった時間に部屋に配膳していた。
そのため、大叔父と一緒にご飯を食べることはなかった。それに我々が大きくなってからは食事時間もずれる。食事の内容も別々。
母が大叔父に夕食を提供したあとに、父が家族にお土産を持ってきて、大叔父に内緒でそれを食べることも多かった。ひどいな。
同居をしたのが大叔父が60を超えた年なので、大叔父からしても家族として暮らすのは難しかったのかもしれない。
でも、多分だけど、毎日同じテーブルを囲んで一緒にご飯を食べていれば、もっと会話も多かったろうし、少なくとも子供の私は大叔父を家族として認識したはずなのだ。
一線を引いたのは大叔父じゃなくて、父と母なんじゃないか。
一緒にご飯を食べることって重要ですよね
他者と仲良くなるには「帰属意識」が重要な要素らしい。帰属意識とは、自分たちがその集団の一員であるという意識のこと。
私は大叔父を「同じ家族の一員」として見られなかった。いろいろな理由が考えられるが、食事の影響力は強かったのではないか。
- 大叔父とは食卓を囲まない
- 大叔父だけが違う時間に食べる
- 大叔父にだけ内緒で別のものを食べる
これでは家族として見られないのも仕方ない。
同じ時間に同じ食卓を囲んで同じ料理を食べることで生まれるコミュニケーションって、超重要なんだと思う。
ちなみに、今の私の夕食といえば……
- 私と家族は食卓を囲まない
- 私だけが違う時間に食べる
- 私だけ家族とは別のものを食べる
……ま、まぁ、一緒に何かをやることが重要であって、食事だけですべてが決まるわけではないとは思うけどさ。
今後は家族とご飯を食べられるように、スケジュールを調整してみたい。
そんな今は亡き大叔父から学ぶ話。もっと自分から接しておけばよかったと、今は後悔してたりする。
ここまで読んでいただき感謝。
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