偉そうなとんぼである、ごきげんよう。
長年妻に対しての不満があり、最近はそれが加速してていてね。ある種諦めにも似た心境で、私が変わるしかないと覚悟していた。
偉そうなこと言えた立場ではないし、妻は頑張っている。だからあまりに詰めるのはかわいそうでもあったのだが。
変わる気がない妻が姉に似てる
まず大前提として、妻は必死に頑張っている。仕事はもちろん子供たちのことも一生懸命やってくれるし、今は妊婦だからさらにつらい状況だ。
これ以上追い詰めすぎるのは良くない。かわいそうだ。
ではあるのだが、最近さらに怒りっぽくなって、子供たちだけじゃなく私にも当たり始めた妻を見てると思うのだ。
私の姉に似てるなぁと。
悪かないんだよ。姉は好きだし悪かないんだけど、変わる気がないと自ら口にする姉を見てるとこの先大丈夫なのかな?と心配してた。
んで妻も似てる。
妻は綺麗好きで、家を汚されるのが絶対に我慢ならない。家が汚されるとぶちぎれて怒鳴るし怒る。絶対に許さない。
あと障がいをもつ娘に配慮しない息子にもよく怒っている。
今まで何度も娘の特性やこだわりについては息子に話してる。だから理解してるはずなのに娘が嫌がることをやる(ソファに寝っ転がるとか)からイライラしてる。
まぁそうあまりカリカリするなと、息子も疲れているんだろうと言ってはみるものの、妻は譲らない。
また他人のせいにする傾向も顕著である。
あの子たちが汚すから悪い。何度も言ってるのに何で息子は言うことを聞かないんだ。私はあの子たちのこういうところが絶対に許せない。
とかさ。
私は変わる気はない。お前たちが変わって解決しろとずっと言っている。
そして子供たちに怒った夜には切り替えて、ごめんねと、ママが悪かったとハグして1日を終えるんだけど。また翌日には同じことで怒っている。
妻と喧嘩した息子の言葉がはっきりと記憶に残っている。
ママは変わるって言ってたくせに!!前と変わらない!!ママはどうするの!?
私から見て変わる気がないなぁと感じてたように、息子から見ても変わる気がないママと映っていたのだろう。
息子の「ママはどうするの?」発言に対して妻は「別にいいでしょ」と開き直るか、完全無視してさらに火に油といった流れ。
反省はするんだけど長年ずっと同じ調子だもんで、私も何か言うのをやめてしまった。つまり妻に期待するのをやめた。
私が変わればいいのだ。他人に期待するな。人は一人なのだから、これ以上何も言うまい。
そう思っていたんだけど、色々とあってお互いの本音をぶつけあってみようとなり、すべてをぶちまけた。
面白くない
単純に面白くない。何を言っても誰かのせいで、自分を変える気がない。
私が夜に寝ずにあれこれ作業してるから、心配で妻も寝られないと言う。私が妻の理想通りの生活をしないから、私のせいで妻の生活にも支障がでていると。
……放っておいてくれ。
いやまじで、私のことは私が何とかする。何とかしようと頑張っている。助けが欲しかったお願いするよ、私一人じゃ無理だから助けてくれって。
そんなこと一言も言っていないのに、勝手に心配して勝手に怒ってる。
私自身の問題なのに首を突っ込んできて怒り、そのイライラで子供たちにも八つ当たりして、その怒りを何とかしたほうがいいと言ったら「とんぼのせい」だという。
私にどうしろというの。あなたの怒りはあなたの問題でしょう。私は私で自分の問題に対処するから、あなたはあなたで自分の問題に対処してくれ。
でも妻はいう。すべてはあなたのせいだから、あなたが変わるしかないんだと。
それじゃあ自分の人生は自分でコントロールできませんって言ってるようなもんじゃないか。他人に左右される人生は面白いのか?
他にも子供たちが家を汚すから悪い。言うこと聞かないから悪い。周りが自分の思い通りに動いてくれないから悪い……etc
どんな妻でも愛していこうと決めているし最期まで一緒にいようとは思っているけれど、面白くはないよ。
妻が変わる気がなさそうだから私は私でやれることをやろうとしてきたけれど、果たしてこれは一蓮托生の夫婦なのか??と疑問も出てくる。
もちろん仕事も頑張ってるし子育ても頑張ってるし妊婦だし、妻が頑張っていることを否定はしない。
そういうことじゃなくて。変わる気がないことを正当化してるのが気に入らない。面白くない。
……といったことをはっきり言ってみた。私が誰かにここまでハッキリと物申すことは人生で初めてだろう。
頑張っているのはわかるし、働いてくれている引け目もあるんだ。私自身が大した人間じゃないから、普通ならこんなこと言わない。
何で言ってしまったんだろう。夫婦として、結構崖っぷちだったのかもしれん。
妻、変わり始める
気に入らない!!とフタをしていた思いが溢れ出してがーっと文句言っちゃって、妻はしょんぼりしてた。
これまでは"そのままでいい"と言われていたから甘んじていただけで、変えていきたいと言ってくれた。
なんと"そのままでいい"と私が何度も言ってたようだ。
面白くはないし気に入らないけれども、私は私にできることをやるだけだから妻はそのままでもいいよという意味だと思われる。
うーん。
思うに……変わること、成長することの中には、捨てることが含まれている。
自分の大事な何かを捨てること。言い換えれば、自分より大事なものを見つけること。
それが親ではないかと思うわけです。
それが唯一の正解だとは言わないが、そうでないと我が家の子育てやっていけないでしょう?
そして妻は、今までは「絶対にこれだけは子供たちにぶちぎれてでも譲らない」と言っていたものも考え直してみるらしい。
わかりやすいもので言えば、清潔かな。
娘が汚い足でベッドにのぼったら絶対に許さなかった。
娘に怒鳴って引きずり下ろしてまで、ベッドの清潔を保つほうが大事か??そうじゃないだろう。
確かに嫌だけれども、手放すことはできるじゃないか。最悪、後で洗えばいいわけだ。
とか、とにかく妻は、今後は今まで変える気がなかったことを変えてみようと、苦しいけれどやってみようと試みてくれるそうな。
自分を捨てるのは苦しいよね。苦しいよ。
我が家は妻で回っている
そりゃ私だってこんなこと言いたくなかったけれど。我が家は妻で回っている。
子供たちの母親への愛情は強いだろうし、我が家はステップファミリーなのだから、血のつながった母である妻の役割はとても重い。
私だけニコニコして受け入れても、妻が怒っていたら帳消しである。実際、妻が怒ってる時の我が家はお通夜状態になる。
妻が変わらなくても何とかしようとフォローを頑張ってる。でも本音を言えば、妻が変わってくれるのが一番手っ取り早い。妻が笑ってこそ子供たちが笑ってくれる。
絶対に譲れない価値観を守り続けてイライラし続けるよりも、子供たちにあわせて価値観を組み替えてくれた方が妻も楽になると思われる。
それに、大事なものを捨てる必要はないのだ。
子供たちを家族を笑顔にした上で、自分の大事なものを守ればいい。優先順位を少し変えるだけ。自分の大事なものを守るために、自分の行動を変えるだけ。
それしかないじゃないか。自分が変わるしかないのだ。
どうなるかわからないが、産休という仕事から解放された今の妻なら変わる気がする。
信頼したい。
余談:口論は大事か
といった経験を経て、夫婦なのだから腹の底をぶつけ合うのは大事かもしれないと思い始めた。
今までは軽く話して、あとは自分で何とかしよう派だったのだが。
いや、怒る妻が怖かったというのが大きいか。私が傷つきたくないから、妻に本音をぶつけることをしなかった。
これが愛情かと言えば微妙だから、今後ははっきりと物申すスタイルでいきたい。
今日も今日とて、発達年齢が2歳半の娘の幸せとはなんぞや??ということで、1時間くらい激しい口論をかわした。
途中で逃げずに詰めるのも時には大事かもしれませんね。
ここまで読んでいただき感謝。
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