娘の対応で必死なとんぼである、ごきげんよう。
妻なしで一人でがっつり娘の対応がかなりきついんだが、それはそれとしてあっという間にその時がきたので簡単に報告の会とする。
赤ちゃん、産まれる
本日3月7日、無事に赤ちゃんが産まれた。母子共に健康状態は今のところ問題ないようで元気だとのこと。
3000gの赤ちゃんで、身長が低め(147cm)の妻にはややサイズが大きかったようだ。
分娩台に上がって2~3時間で産まれているので安産かと思いきや、やはり死ぬほどきつかったという。肋骨が折れたかもと言ってた。
また産まれたばかりの赤ちゃんは泣かなかったそう。
呼吸はしてるものの、一気に出てきすぎたとか何とかで肺に羊水が溜まったまま。色も黒ずんでてすぐに酸素ボンベをつけられたそうな。
現代の医学がなければ死産だったのか?大丈夫なのかそれはと心配になりつつも、30分で無事に状態は安定し、簡易検査でも問題がないとのこと。
その後に撮られた写真や動画でも全然大丈夫そうだった。妻の血の色が濃すぎる気はしたが、我が父の面影もあり。変な感じ。
とりあえずは無事に産まれてくれたということで、ほっとしている。
鼻がでかいからもぐらと名付けたい。
拭えない他人事感
何もかもが伝え聞いた話でまったく臨場感がないのは、現場にいなかったからである。
妊婦にとってコロナのリスクが高すぎるからか、出産の立ち会いは禁止。病院まで送ったら玄関でさようなら、あとは妻一人での闘いとなる。
しかも軽い陣痛が始まっていた妻は実家にお泊まり。夜間に痛みが激しくなった時に送迎したのも義母。私は娘と一緒にいた。
連絡のLINEはくるから頑張れと送るよ。でも目の前にいない夫の頑張れLINEにどれほどの意味があるのか。
赤ちゃんが泣かなくて大変だったというが、その現場にはいない。何もかも解決したあとに産まれたよと写真が送られてきただけ。
五日後に退院するまでは抱っこどころか会うことすらできない。
申し訳ないが、これで実感が沸く人いんのかな。
妻に頑張ったね!お疲れ様!とねぎらいの言葉をかけてあげながらも、自分の言葉の薄っぺらさに気づいてしまう。
できれば出産に立ち会って、痛みに耐えている妻を見たかった。せめて苦しみと恐怖と、産まれた安堵と喜びを一緒に感じたかったよ。
現実は、娘の対応を必死にやってたら、今病院に着いたよとLINEがあり、陣痛がさらにひどくなってきたとLINEがあり、その次は産まれたよとの報告だった。
さすがになぁ。出産の大変さに共感を示そうにも、マジで何もしてない。試合に出られないくせに見学も不参加だから、申し訳なさすら出てくる。
それに産まれたばかりの赤ちゃんを抱っこして、溢れて止まらない愛情を感じたかったのに。写真と動画では何も溢れてこない。微笑くらいか。
うーむ。早く退院してほしい。もぐら抱っこしたい。
やれることはやったが
といった感じで、自分の赤ちゃんが産まれたのに取り残されている父親の話であった。
妻にお疲れ様と何度も言いたい。それくらいしかできることがないよ今の私には。いや、今からでもYouTubeで出産動画を見た方がいいかもしれないな。そうしよう。
他、何かやったっけ。妻のお腹を娘から守ることには全力を出した気はする。
あ、運動したり胸を刺激すると陣痛が早まるとのことで、昨日妻には胸を揉みしだきながらガニ股でスクワットしてもらった。誰もいない公園で。
二人でアホだ、くだらねーとゲラゲラ笑ってたが、意外に効果があったっぽい。だってすぐ産まれたもんね。あなどれんな。
とりあえず私の勝負はこれからですね。子供3人集まった時のパワーに殺されないように精進したい。こっからがリアルな死闘だぜ、いいね、面白くなってきた。
ではでは、妻と赤ちゃんにねぎらいと感謝の意を示しつつ……一人で乾杯して寝る。
また明日。
ここまで読んでいただき感謝。
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