心境が変化したと判断したとんぼである、ごきげんよう。
息子のベタベタコミュニケーションが気持ち悪いなと長いこと悩んできたが、最近心境の変化がありそうな気配がする。
息子が近づいてきても以前より緊張しなくなった。
じゃあちょっと抱っこしてみようか、そんな話。
甘える行為への心境の変化
抱っこする話の前に、最近気づいたことをいくつかを記す。
まず一つ。親に甘えてはいけない、我慢すべきだという心の闇があることを認識した。
幼少期からの根深い問題ではあるものの、論理的に考えるとなぜ親に甘えてはいけないのかまったく意味がわからない。
動物界では親に甘えられない子供の生存確率は大幅に下がるのではないか。それは人間も同じようなもんじゃないか。
甘える行為は子供の基本的な生存戦略の一つである。
逆に私の"甘えてはいけない"という考えは、特殊な環境で育ったことで構築された汎用性の低い処世術でしかない。通常の子育てに当てはめる類のものではないだろう。
甘えるのは人として普通のことだ。むしろ甘えた方がいい。それが人類に刻まれた生存本能ならば。
二つ。赤ちゃんが産まれたことが私の思想に大きな変革をもたらし始めている。
赤ちゃんは疲れた時、眠い時、お腹がすいた時、寂しい時、とにかく泣いて抱っこをしろとアピールしてくる。抱っこをしたら落ち着く。
ただこれ、甘えてるようには見えない。
赤ちゃんを見ていると、ぱっと見では愛情を求めてる感がない。どちらかといえば必死さが際立つ。悲しみ・寂しさ・不安に押しつぶされそうなのだ。
抱っこしてくれないと死んでしまう!!
甘えたいとかじゃなくて、助けてくれ!!って感じ。だから抱っこする。抱っこしてたら安心して寝る。
何というか、赤ちゃんには抱っこが必要なんだよなと見てて思う。
三つ、息子(小4)にも抱っこが必要な可能性に気づく。
これまで、息子のベタベタスキンシップが不要な物だと認識していた。"親に甘えるな"の思想ももちろんあるが、そもそも甘える必要ないだろ?と思ってた。
しかしこれもよくよく考えてみると、初めて出会った時の息子はまだ1~2歳で、当時の私はすでにこう結論づけていた。
「お前に抱っこは必要ない(甘えるな)」
それでも息子が抱っこを求めてきたり、手を繋ぎたがるからイヤイヤやってきただけ。必要ないけどやりたいというなら仕方がないと、渋々やってきただけ。
一応それなりに抱っこもしてはきたが早々に限界がきた。体が大きくなってくると嫌悪感も倍増してもう無理。絶対抱っこ要らんだろ、気持ち悪い。
まーおそらく抱っこが足りなかったのかな?息子との父子愛着(というのか)が形成されていない可能性もある。
子供は親との愛着が形成されて、安心できる存在があることを確信して初めて外の世界に冒険できると聞く。
妻との愛着は形成されているだろうが、私との愛着が形成されていない。だから私にやたらとくっつきたがるのかもしれない。
つまりは赤ちゃんと同じように、息子も必死に助けてくれと叫んでいるのではないか。この子にも抱っこやその他のスキンシップが必要なのではないか。
といった三つの気づきを得た結果、
もしかして納得した今なら息子を抱っこできるんじゃないか??
ということで試してみたの。
息子を抱っこしてみる
昨晩の寝る前、息子との距離が近くても普段より嫌悪感が少なかったので抱っこを試してみることにした。
よし、抱っこしてみるか!と突然声をかけると、息子も「いいよ!」と言ってくれたので抱っこ。
まるで赤ちゃんを縦抱きするような格好で抱っこ。重たいしずれ落ちるが、息子はぎゅーっと私にしがみついていた。
……うーむ、まあ、何とか、これなら。
以前よりは背筋が凍るような感覚はない。気持ち悪いとかひいいいいいといった感情は湧いてこない。淡々と抱っこ。
何だろう、赤ちゃんを抱っこしてる時と同じ感覚というの?必要だから抱っこしてるだけみたいな、フラットな感じ。
とりあえずもう一つチャレンジとして
「大好きだよー!!」
と言ってぎゅーっと抱きしめてみる。うん、少し気持ち悪い。
重たいので30秒ほど抱っこして終わり。
後に妻から聞いたら、息子はとても喜んでいて安心してすぐに寝たそうだ。
そうですか。
再現性があるかどうか
嫌悪感がゼロだったかといえばそんなことはないが、とりあえず抱っこはできた。
試しに抱っこしてみようと考えられただけでも、一歩前進したと言ってもいいでしょう。
問題は再現性があるかってことだ。昨晩は確かにクリアできたけれど、一週間後もできるかと言われれば自信はない。
また自分から抱っこを提案するのではなく、息子からアピールしてきたら相当厳しいかも。後ろから抱きつかれるのも無理な気がする。
想像しただけで寒気がする。ほんとに考えただけで寒気がするんだよ。
でもその寒気も、
「いや、この子にはこれが必要なんだ」
と冷静に考えると少し落ち着く。なんだろう、体が水に包まれるような、ぶわあああっとなった感情の熱がすっとひいていく感覚はある。
上でも書いた通り、赤ちゃんを抱っこしてる時の感覚に近い。凪というか、ただ必要だからくっついてるという感覚。
作業としての抱っこというとあれだけど、赤ちゃん抱っこしてる時に愛情表現とかそんな細かいことを常に考えてないじゃないか。
泣くから抱っこしてるとか、眠そうだから抱っこしてるとか、危ないから抱っこしてるとか、必要性に迫られて抱っこしてる時も多い。
その時の感覚に近づけるのがいいのかも。そしてその抱っこも愛着を形成するんだもんね、子供はくっついてるだけで安心するんでしょう?
もしかしたら息子とのベタベタコミュニケーションの落とし所がここなのかもしれん。
抱っこなんてご飯食べさせるみたいなもんで、別に特別な愛情表現でも何でもないのではないか。親の感覚としては"子供に必要だからやる"程度でちょうどいいのではないか。
「おなかがすいたの?あらあら、じゃあご飯つくろうね」
「寂しいの?あらあら、じゃあ抱っこしようね」
抱っこって意外とこの程度のもんなのに、特別視しすぎなのかもしれん。
といった仮説。
ステップファミリーに赤ちゃんがどういう影響を及ぼすか心配してたが、親として得るものが多い。親として成長することで娘と息子にも還元できる。
娘と息子を思って3人目(実子)は作らない方がいいのではないか、と考えたこともあるけども。何も悪いことばかりではないな、ありがたや。
追記:後日、ついにベタベタを乗りこえてしまったと確信したやつ
◆生活改善記録
筆記開示140日目 +5分(累計1955分)7つのコラム+1(累計140)
食事制限 47日目 +1(累計42)
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