ステップファザーにできること

発達障害の娘とやんちゃ息子の父によるステップファミリーの話

一生懸命に生きる人が好きなのにそうなれない話

蟻駆除を始めたとんぼである、ごきげんよう。

 

庭を放置してたらでっかい蟻が巣を作りまくってとんでもないことになっている。ホームセンターで殺虫剤を買って振り撒いてきた。

 

実害はないっちゃないのだが見る度にとても嫌な気分になる。手袋の中にまで巣を造られたら限界だ、ごめんよありさん。

 

さて、誰も興味がなさそうな自分語り全開のことを久しぶりに書く。

 

こんなん書けるのは元気な時だけなんで。

 

◆家族の紹介

一生懸命に生きる人

世代的なものか性格的なものか知らないが、一生懸命に生きている人が大好きだ。

 

ダサくても惨めでも、自分が正しいと思ったことをやり続けるその姿に涙がボロボロと溢れ出す。かっこいい。

 

さて、先日書いた性格診断が面白くて、色々と気づきがあった。

www.rabbitonbo.com

 

人はそれぞれ違う性格を持っている。基本的に生まれ持ったものが違うから、別の人格になりたくてもなれない。

 

経験と知識を得ることで人は成長もする。しかし生まれ持った気質が大きく変わることはないのではないか。

 

単純なことなんだけどね。人はいくらでも変われると漠然と思ってた私にとっては割と衝撃がある。

 

なりたい自分には決してなれない。まずはそこを受け入れる必要があるのかもしれない。

 

冒頭で書いた通り、確固たる自分を持っていて一生懸命に理想を具現化しようとする人が好きだ。自分もそうありたいと強く願っている。

 

でも私はきっとそういうタイプじゃないんだよ。

 

夢に向かって周りも気にせず一直線に向かって行けるような人種ではなく、一歩引いたところから観察する人種。石橋を叩いて確認しながら少しずつ前に進んでいくような。

 

何というか、何をするにも頭でっかちの考えすぎ野郎という感じ。

 

理想的な人物像はあるが、この人のようになるためにはどういう戦略を立てていけばなれるんだろう?と考える。

 

なんかその時点でちょっと違う。考える前に走り出している人になりたいのに、どうしても間に分析が挟まってしまう。

 

どうやらそんな風に生まれついていないらしい。理屈は二の次で先に進めたらいいのに、頭で納得しないと次に進めない。

 

絶対的な理想を実現することに喜びを感じることもないし、そもそも絶対的な理想が頭の中にない。

 

分析して考察して実験して、そこに喜びを感じるような人……というのが上の性格分析での答えなんだけども。多分あってる。

 

下記のような、うつ病であると自認したことを喜んでいる記事からも読み取れる。認識し分析することさえできるのなら、うつ病ですら歓迎できてしまうのだ。

www.rabbitonbo.com

 

娘に殴られても、どうすればこの生活を続けられるのか考え続ける。結果、フルアーマーになったことが面白くて喜んでいる変態が私である。

 

この性格分析で私のすべてを決定づける気はないが、あながち間違っていない。というか認めたくなかった私がボロボロ出てきて面白い。

 

他人に興味がないのもそう。「その話は面白い」が口癖なのもそう。"その話"以外は興味がないと言ってるのと同じである。人の名前も全然覚えられない。

 

興味があることなら相当な犠牲を払ってでも突っ込んでいく。逆に興味がないことに関しては冷淡で非常識な対応をすることも多い。

 

こうありたい人物像と自分の性質が乖離しすぎてて、このままの考え方で過ごしても幸せに辿り着くことはなさそう。

 

何というか、違う人種なんだなぁと改めて気づいた話。

 

一般的な"良識ある大人"みたいなのを体現できると思い込んでいたが、それも無理そう。相手の話し振りを観察しながら愛想笑いしてるのが私の本質か。

 

ちなみに苦手なのは勝つことにこだわるタイプである。ビジネスで成功するためには勝利にこだわる必要があると認識していたが、それにもなれない。

 

訓練によってこういう人にもなれると思っていたのに。なれなくはないが、苦しい生になるだろう。無理だわ。

これからどうするか

考え方としては、自分を変えるのはまず無理だし、別に今の自分が嫌いでもない。ただ理想的な気質を持ち合わせていなかっただけ。

 

だから生まれ持った気質をどのような形で利用すれば、理想的な現実を具現化できるのか考えるのが正解ルートではないだろうか。

 

例えば他人に興味が持てないことは、保護者としての活動に支障が出ているから何とかしたい。

 

単純に他人に興味を持つのは難しいから、読書なりで興味・関心の範囲を広げて、他人そのものではなく他人が持つ何か(趣味や思考など)に興味を持つようにしたらいいかもしれない。

 

やりたくないことがあったとしても、多面的に見ることで自分にとって興味のある一面があるはずだ。自分の興味・関心を刺激できるのならばそれ相応のパワーが出るかもしれない。

 

憧れの自分を無理やり演じるのではなく、私にあったやり方で理想を具現化する。過程はまったく違うことになるが、欲する結果さえ手に入るのなら問題はない。

 

そういう生き方の方が楽しいかもしれない。どうみても天才タイプじゃないな、諦めよう。

生存率をあげる

読んだ人に通じるのか通じないのかよくわからん話になってしまった。

 

最後に、家族の中でもっとも私と合わないのが長男だと思う。子供だからというのも大きいが、基本的に思想が合わない。

 

この子が勝ちにこだわる姿にもしかしたら嫌悪感が募っているのかもしれない。勝つことの何が重要なのかさっぱりわからないのだ。

 

ただ何かの本で読んだが、家族をサバイバルを生き抜くチームだと考えると面白い。

 

同じような思考の人間が集まると即全滅のリスクがある。しかし多様性のある人たちが集まることで生存率が上がるのだ。

 

つまり長男は、私では絶対に思いつかないようなアイデアや打開策に辿り着く可能性がある人間である。そのアイデアがもしかしたら家族を救うかもしれない。

 

まあ同じ考えの人の方が一緒に過ごしやすいけど、家族全体を守り生存率を上げるという意味では思想が合わない方がプラスになりうる。

 

ちなみに妻ともあまり考え方が合わないのも素晴らしい。

 

おっと、この家族大丈夫か?と思わなくもないが。いやいや、逆に鉄壁の家族ってことなんよ。

 

はー、いい記事書いたな。おしまい。

 

ここまで読んでいただき感謝。

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