ひきこもり系ステップファザーのとんぼである、ごきげんよう。
最近はメンタルの維持を最優先にしており、気づけば自宅にしがみつくひきこもり生活が続いている。調べたら、最後に友人と遊びに行ったのがこれ。6月のことらしい。
◆楽しい話だけをしようと心がけた友人との焼肉が心底楽しかった話
やっべ、もう年が明けちゃったよ。
喋る人が限定される
友人とご飯や映画に定期的に行っていたのに、昨年は数える程度しか行っていない。あ、リアルに数えられそう。4回くらい?
引っ越してから移動がネックなことも当然あるけども、それよりも個人的な事情で誰とも会っていない。遊びに行こうと思えば、今日でも明日でもいけるだろうに。
私を縛りつける思いは一つだけ。
「今は遊んでる場合じゃない」
そう判断しているのである。少し会わないくらいで縁が切れるわけじゃないのだが、問題は話す人が限定されることだ。
ほぼ毎日話す人が以下の人たち。
・妻
・娘と息子
・義母
・子供達の学校の先生
これ。もーずっと毎日、この人たちとしか話していない。半年以上、同じ顔ぶれとしか会話をしていないのだ。
大丈夫かこれ。刺激が少なすぎて、脳みそが萎縮していないか。
先日は妻のおじさんと妻なしで話す機会があって、そこそこにパニックしたぞ。あまり馴染みのないおじさんなのも原因だが、
何より家族や先生以外とがっつり話すのが久しぶりだったからな!
いつも同じ人としか話す機会がないの。いろいろな刺激を得られる人たちと話す機会を、自分で潰してきたの。仕方ないよね、そういう人生を選んだのは自分だから。
遊びにいくには準備が必要だ
もう遊びに行かないわけじゃない。遊びには行きたいし、友人たちと近況を報告しあい、話をすることで得られるものはとても多い。
まだ時期尚早というだけだ。
◆休むと全てがダメになると錯覚し自己嫌悪に陥るため休めない思考の話
この記事でも紹介している、最近気づいた自分の特性。それは異常な完璧主義。習慣が1日でも途切れることを、過剰に恐れている。
休んでしまうと、それだけですべてが終わったと自分を責めてしまう。事前に休日だと決めていても、それでも自分を責めてしまう。
無知なのもあるし、事前の計画が拙いせいもあるだろう。少しずつ自己嫌悪は減少してきているものの、それでもやっぱり自分を責めてしまう。休めないし、休みたくない。
この状況だと、遊びにいったら確実に自己嫌悪に陥る。せっかく友人たちと楽しい時間を過ごしても落ち着かないだろうし、日課ができなかった自分を責めるだろう。
これじゃきつい。
だからまずは、1週間に1度、日曜日だけは日中の日課をゼロにしていきたい。羽を伸ばして、休める日を作って、また月曜日から日課を再開する。
このパターンをほぼストレスを感じずにできるようになったら、また声をかけてみようか。
日曜日に楽しい時間を過ごして、夜には帰り、ゆっくり休んで月曜日に備える。これが理想ですね。
自己嫌悪するならどこにも行かない
ある書籍で紹介されていたことで、誰かから誘われた時の基本的な考え方があった。
その誘いにのった時、自分がどういう気分になるか考えるといいという。そしてもし自己嫌悪になるようであれば、絶対に行かない方がいいと。
少し私の場合とは毛色が違うのだが、まぁ友人との時間を過ごして自己嫌悪になるのは同じこと。休めない・休みたくない現状ではどこにもいけない。
これまでこの完璧主義をほとんど気にしていなかったのは本当に恐ろしい。何かイレギュラーが発生するたびに、心が折られていってたんだろうね。
意識して少しずつ休める人になっていきたい。