クリスマスが終わって今後を考えるとんぼである、ごきげんよう。
面白くないクリスマスを経て新たな発見もありまして。そんな中頂いたコメントに反論の余地もないというかまったくもって同意見というか。
諸事情ありコメント公開はせず返信も求められてないかもしれないが、この記事をもって返信とさせていただきたい。
サンタを信じ込ませる弊害
我が家のクリスマス、子供たちにはサンタがいる前提で話をしている。これがよろしくないのではないかとのお声をいただいた。
この件は夫婦の足並みを揃える必要があり、基本的に妻の意向が強い。子供の頃に妻の両親がしたことをなぞっているようだ。
妻の弟は中学生までサンタを信じていたと義母から聞いて、それはどうなんだと冗談混じりに笑ってはいた。
ちなみに私はサンタの存在を数年前から消したい派。妻を徹底的に説得するほどの熱意はない。
エイプリルフールの日、息子(小4)にピカチュウは南アフリカに実在すると教えたり、逃走中のハンターは本物のサイボーグだと教えたことはあったけど。
こんなすぐバレるくだらないウソと比べて、サンタ存在説はガチすぎて毛色が違う。
だからこそ、息子が大きくなってきてかなりきつい。子供騙し感がほんとつらい。
今年はさらにきつかった。クリスマスプレゼントの話が始まったら意識して距離をおいていた。その場にいるのがつらいレベル。
罪悪感というか共感性羞恥心というか、うううううとなる。なんだろうね、この感覚。
だから息子が何が欲しいか聞くのはすべて妻任せ。もう無理。どんな顔して話せばいいかわからんのだよ。
私が話したら、サンタは5000~6000円のものしか持って来られないよとか、円安だし物価も上がってるからねぇとか、サンタもポイント還元率考えるはずだよ、とか。
クソみたいな裏の笑いに走らないとサンタの話はできない。
今年は息子がゲームソフトではなくゲームが複数買えるカタログチケットが欲しいと言い出してね。
明らかな予算オーバーだったので、サンタは金券的なものは持ってこない、サンタなめんなと妻に伝えてもらって乗り越えた。
妻がどう伝えたかは知らないが、もはや自分でも何言ってるかわからん。
また昨日書いた通り、プレゼント関連の話をしたくても持ってきたのがサンタとなると本当にめんどくさい。サンタが存在するから話がややこしくなる。
まーそんなこんなで、妻も今年でさすがに懲りた様子。サンタは存在しないことで手を打ってくれるようだ。諦めてくれてよかったよ。
ということでサンタはなしになりましたので、ご報告までに。
クリスマスパーティーを考える
親の頑張りを後に知る
またクリスマスパーティーについて、別々の方から別々の意見を頂いた。
一つはクリスマスパーティーの親の頑張りは子供たちの糧になるだろうと、子供はいずれ親のやってくれたことが当たり前じゃなかったと知るだろうと。
確かに、理解してくれるなら喜ばしいことだ。放任主義で育った私ですら、子育て中に親のありがたみを知る機会は随所にある。
似たような場面で、何を食べたかはよく覚えていないし喧嘩もあったけれど、あの時の親もこんな気分だったんだろうとなぞることは多い。
親は親なりに頑張ってたと、私が欲していたものとは違ったけれど親の仕事を全うしようとしてくれていたと気づく子育ての旅路、的な。
今後もできることはやっておきたい。
形式にこだわりすぎ
そしてもう一つは、形式にこだわりすぎてズレている感があると。
おそらく盛り上がらなかったパーティーのことも含んでの話だと思うのだが、これもわかる。というか今回、なんか違うなと肌身で感じてた。
言い訳をさせてもらえば、よくわからんのだよね。子供時代にクリスマスパーティーやったことないし、誕生日パーティーもやったことがない。
そんな中で、今は子供ができたから(別に損はしないので)クリスマスパーティーをやってるけれど。
ほんと、ようわからん。一体何をすればいいのか。オリジナルのパーティーを企画するほどのエネルギーもない。
でもこれが一般的な親の仕事だろうと、CMのイメージだったり、適当にネットで調べて出てくるような料理をメインで作ることになる。
正直あまりイベントも好きじゃない。めんどくさい。ただ子供たちが喜ぶからやってるだけで、義務感も強い。だからこそベタベタのパーティーを開く。
コメントの言葉をお借りすれば、すべてが形式的。形式的な料理に型式的なケーキ。形式的なパーティーである。
これでいいんだろ?こんなん求めてたんだろ?って感じかなぁ。
だから盛り上がらないんでしょうね。押しつけ感も強い。わかる。
理想はなんぞや
といった二つの意見を考慮した結果、
クリスマス当日はワクワクして楽しい時間でかつ、将来的な子供たちの財産になる日になればいい。
というのが私の出した暫定的な答えとなる。
そもそも何でパーティーやってんのかと言えば、子供たちが喜ぶ姿を想定をしてるからである。ほんとそれしかない。
子供たちが喜ぶと聞いてます。だからやってます。ほんとこれだけ。
形式的なパーティーがダメってわけではないとは思うんだ。これまでは素直に喜んでくれていたし、物珍しさもあったのだろう。
しかし彼らも年齢を重ねた結果、何もかもが想定内のパーティーでしかなくなった説。
学校・学童・デイ・部活、様々な場所で子供たちはやたらとパーティーをしてる。
毎月お誕生日会があったり期末にはお楽しみ会があるしハロウィンにクリスマス、BBQ大会もあれば結婚式にも参加したり。
多分ケーキなんて娘も息子も一生分食べてる。私の子供時代とはまったく事情が違う。ケーキをありがたがる時代ではない。
それでも誕生日やクリスマスはケーキが定番だ!と毎回脳死でケーキ買ってみたり、クリスマスはグラタンにチキンでしょう?とど定番を作ってみたり。
そういう定番から離れて家族が喜ぶものを考えれば、多少は盛り上がる可能性を秘めている。
単純に今思いついたところで言えば、まるで未知のものならいいでは?と。
例えばチキンあるよ、グラタンあるよって言われても私だって全然テンション上がらない。でも北京ダックあるよって言われたら、それはちょっとテンション上がるよね。
そこそこ大変な思いして料理もするし金も使うわけだから、むしろこういう時くらいしか体験できない未知のものに挑戦するのも選択肢の一つなのかなと。
例えば世界三大珍味を使った料理にしてみようとか、超高級霜降り肉を食べてみるとか、マンガ肉とか息子は喜びそう。予算の考慮する必要はあるが未知の外食でもいい。
そういう会だったら、大人になってもクリスマス楽しかったなーと忘れないインパクトもあるし、親も子供も今よりはわくわくすると思われる。
誕生日もあるし、子供の意見も聞いて検討したい。
向き合いたい
などなど、コメントの返信としてはどうなんだ感ありつつ、地獄のクリスマスを経て思うところもあり長々と書いてみた。
とても興味深いご助言でした、ありがとうございました。
では、最後にこれからどうするかを書いて終わりにする。
まず一つ。
子供たちよりも、優先して妻と向き合いたい。ここから逃げてるのが根本的な問題かと思われる。
妻と息子はよく似てる。そして妻は大人で、私の配偶者で、私のほぼすべてを知っている分、息子以上に話し合いが難しい。
あとは少なからず負い目もある。私だって改善点が山ほどある。
怒った妻がほんと怖いんだよなぁ。しかしいつまでも逃げられないし、お互いに耳が痛くて傷つくことも覚悟して、まずは話し合う時間を作りたい。
二つ。
家族の幸せの時間とは何なのか、改めて考え直した方がいいように思う。
幼少期の家庭環境の影響で、家族が一緒に何かをする時間をとても高く見積もっている。そんな時間がほとんどなかったから。
だからパーティーもするし、家族で映画の時間も作ってる。これがいいんだろ?って思ってる。映画は比較的楽なのもあるが。
ただこれも形式的なもので、本当にこれが我が家の幸せの時間かと言われれば疑問である。そもそも真剣に考えたこともない。
家族の在り方も家族の幸せも、我が家の答えがあるのではないか。一般論に固執せずに我が家の幸せを追求した方が良いのではないか。
正直、うちの家族全員集めてみんなで同じ映画を見ようとか、トチ狂っとるよなと思わなくもない。
とは言え家族がバラバラすぎると私みたいになるんで、バランスを考えつつ我が家に適した時間の過ごし方を考えてみたい。
以上、上記の二つについてはまた後日改めて書く予定。
うん、こうやって振り返って見るとなんやかんやでクリスマス盛り上がったな、やってよかった。
おしまい。
ここまで読んでいただき感謝。
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