親切にはまるとんぼである、ごきげんよう。
先日、PTA活動が親切として素晴らしいという魅力的な記事を書いた。
おかげさまでまったく反響がない記事なのだが、この反響のなさこそが親切の本質に近い。
そうなのだ、たとえ家族から何も言われなくても、親切のメリットは得られる。貢献してる実感を抱いて、メンタルが強化され幸せになれるはずなのだ。
料理ってすごくめんどうくさい
我が家の料理担当大臣は私である。結婚して3年、毎日のように料理をしている。今もカレーを作りながらこれを書いている。
一人暮らしの時は袋ラーメンとシスコーンと卵かけご飯で生活していたのに、毎日料理をするなんて夢のような出来事である。
何度かこのブログでも紹介しているが、今の私は野菜ばかり食べる人。とにかく野菜を毎日1kgほど食べている。煮て茹でて塩をふって、食べる。
これとか。
健康オタクなのでむしろ野菜だけで幸せを噛み締めているわけだが、家族がいるとなかなかね。満足はしてくれないわけだ。
一応子供たちが好きな料理も週1で作るし、とんぼ特製野菜煮以外にもサバ焼いたり味噌汁とか目玉焼きとか出したりする。
ただやっぱりどうしても面倒くささを感じてしまう。私が食べる以外の料理なんてコスパが悪すぎて作りたくないと思ってしまう。
このように自分のことだけ考えていては、料理の面倒くささから解放されることはなさそうだ。
この問題を解決するためには、人に貢献している意識が必要だ。つまりこれも、親切だと思うわけです。
短時間で家族に貢献できる料理
親切を極めると聖人になれるのではないかと感じるほどに、他者に貢献している実感が湧くならなんでもできる気がする。
一度他者に貢献した時の実感を得ると、もう少しだけ親切にしてみようかなと思うようになる。それもあって、最近は、家族に少しだけいい食事を出すようにしている。
時間がなかったらさすがにやんないけど、余裕があるなら一品おかずを追加するとか、味付けを変えてみるとか。
さらに買い物の時に、普段はあまり食べない料理の材料を買ってみたりした。すぐに作れる麻婆とか、そばに乗せるお肉とか。
しょーもないけど、ご飯にふりかけをかけてみるとか。これくらいでも「貢献感」が得られる。
子供たちが跳んで喜ぶとか、満面の笑みで「おいしかったよ!!ごちそうさま!!」と言ってくれるわけではない。正直反応なんてほとんどない。
しかし私のバイブル『嫌われる勇気の』の哲人が(確か)こんな感じのことを言っている。
貢献感は思い込みみたいなもんだと。相手がどう感じるかは相手の課題であり、決められることではない。ならば、自分が貢献してると感じているのなら、それでいいのだと。
親切ってそういうことよね。
貢献しているなら無駄な時間が激減する
育児や家事をやっていると、どうしてもやらなきゃいけないことがある。
それをイヤイヤやっているのか。子供たちや家族の役に立っていると前向きにやるのかでは、まったく世界が変わってくる。
まーね、正直子供たちに時間を取られすぎたらストレスマックスになるわけだけど、日常的な些細なことなら、自分の人生を保ちつつ貢献感を得ることもできるはず。
高齢の母による無駄に長い話も聞けば、母のストレス解消になるかもしれない。仕事から帰ってきた妻の仕事の話を聞けば、それもストレス解消になるかもしれない。
娘の病院につきそうことは娘のためになるし、日曜日に子供たちと遊ぶことは子供たちのためになるのだ。
こうやって、誰かの役に立っているという実感さえあるなら、今までと違って色々とできることも増えてくる……はず。
単純に、料理はめちゃくちゃわかりやすいので、あなたも今日はご飯の上に梅干しでもちょこんとおいてみてはいかがでしょうか。
好きな本
ここまで読んでいただき感謝。
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