ステップファザーにできること

発達障害の娘とやんちゃ息子の父によるステップファミリーの話

【毒親】息子(小4)が何かを成し遂げても全然嬉しくない衝撃の話

衝撃の毒親とんぼである、ごきげんよう。

 

以前よりはマシになっていると思っていた完璧主義、全然改善されていない。

 

でも毒親ムーブをするつもりはないから、心の声と理性の葛藤が酷くて死にそう。そんな話。

 

◆家族の紹介

子供が何か成し遂げると

そんなに深く気にしてなかったのだが、息子が何かを成し遂げても全然嬉しくない自分に気づく。

 

というか、喜ばしい空気に包まれるはずの場面で、私だけその場にそぐわない低いテンションになってしまうからわかりやすい。

 

少し前に書いた通り、過去(4年前)に持久走大会の結果を喜ばなかったことが息子のトラウマになっているようだ。

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これでも書いてるけど、

 

3位入賞したとして、だからなんだ?努力もしてないのにしょーもないな。

 

それが当時の本音で、幼稚園児の息子には見透かされていたのでしょう。

 

あれから4年も経ってるんでね。

 

さすがに最近は息子が何か結果を残した場合、なるべく自然に頑張っていたことを認める声かけをしている。大袈裟に振る舞うことなく、ごく自然になるように気合いれて。

 

……そうなんだよ。なるべく自然になるように演技をしているのだ。

 

息子が結果を残したことが嬉しかったのなら、演技なんてする必要もない。

 

ここから毒親全開の本音を書くぞ。

 

息子が初めて受けた漢検を合格した時、何も思わなかった。むしろ漢検7級くらい受かって当然だろしょーもないって思ってた。

 

息子が部活の地区大会で活躍した上でチームが優勝しても、自主練もしてない息子が活躍できるくらいに相手が弱かったんだろうなしょーもないと思ってた。

 

地域の小さな子供マラソン大会で息子が男子一位(男女総合では二位)をとっても、近所の子供しか参加してない大会で優勝してもしょーもないなと思ってた。

 

スイミングスクールに3年通った息子が最上級の1級を取得しても、そら3年も通ってりゃそうなるわなしょーもないと思ってた。

 

といった感じで、息子が何を成し遂げようと私の心は動かない。

 

上には上がいる。適切な努力を伴っていない。こんな結果で喜ばれても困る。この程度の結果に何の意味もない。やるべきことをやってから喜べ。井の中の蛙。

 

出てくる言葉はこんなのばっかり。

 

ほんっとうに一ミリも、これっぽっちも嬉しくないから。

 

でもほら、嬉しくならない、認められないからと言って仏頂面で本音をぶちまけるのは良くないとわかっているから演技してるんだよ。

 

毒親以外の何者でもない異常さを自分でも理解してる。

 

だから、せめて上っ面だけでもいいから、少しでも息子のためになるようにポジティブな言葉を紡ぐ。

 

「練習頑張ってた成果が出ていたね」

「一生懸命走ってるの見えてたよ」

「何年も継続して頑張ってきたからね」

 

いや、でもこの辺りは本音だな。

 

頑張っていることをまったく認めていないわけではない。日々の努力、その瞬間の頑張りがあったからこその結果である。

 

だがその結果が嬉しいと思えない。私が認められない結果でドヤ顔されたりビッグマスウスを叩かれるときつい。褒めてくれオーラを出されたら耐えられない。

 

だから息子が何か結果を出したらできるだけピンポイントでさっと褒めて逃げていく、ヒットアンドアウェイスタイルの毒親である。

 

それ以上一緒にいたら結果を「しょーもない」と思ってる心が表情に出てしまうから。ベストは寝る前の暗い寝室だよね。

 

暗闇だと表情が見えないから話しやすく、話してるうちに気分も乗って盛り上がったりもする。条件を整えれば底力を発揮できるタイプの毒親である。

自分と同じ

では"なぜ嬉しくないのか?"を紐解いていく。

 

最初は息子に嫉妬してるのかもと推察した。確かにそれもあるのかもしれない。私が子供の頃にできなかったことを息子はやっているから。

 

ただそれはまた別の話で。

 

ブログでも何度も書いてる気がするが、やはり完璧主義からきてるっぽいんだ。

 

なぜなら息子だけでなく、自分に対する感想も一緒だから。

 

昨年、忙しい中で勉強してFP3級、続いてFP2級を取得した。結構勉強したし赤ちゃん抱っこしながらも耳で勉強してた。

 

合格点を余裕で上回ってクリアしたものの、正直しょーもないなと思ってる、こんなん誰でもできるわって。

 

7年前、結婚当初の地獄の日々を過ごしながらも勉強してTOEIC840点をとった。割といい数字だ。死ぬ気で頑張った。

 

が、それもしょーもないなと思ってた。全然足りてないし、こんなんでは何の仕事にも繋がらない。意味ない数字だ。

 

先日の土曜日、寝起きから昼過ぎまでひたすら赤ちゃんの相手して、さっとお昼だけ食べたら息子の塾の送迎行って買い物へ、帰宅したら夕食作って娘が帰ってきたら風呂と排泄処理、食事介助。

 

それからまた塾に息子を迎えに行って、ついでに娘とドライブ行って、その後の娘の寝かしつけに2時間かかって……やっと22時半に解放されて、残った家事やってブログ書いて認知行動療法やって寝た。

 

この日、

 

「今日も私は何もできなかった、しょーもない1日だわ、生きてる価値なし」

 

そう思ってた。家族に貢献しまくったはずなのに私の中では生きてる価値すらなかったのである。もはや病気だ。

 

自分に対してこれだから、息子が何か結果を出そうが手放しで喜ぶはずがない。頑張ったことは認めるよ。でも結果は決して嬉しいものではない。

 

どこまでも高い高い理想を掲げていて、おそらく息子が日本一、いや世界一になっても心はしょーもないと言ってるはずだ。

 

私がワールドカップやらオリンピックに一切の興味がないのも、もしかしたら似たような心理なのかもしれない。

 

世界中の誰も到達することができない遥かな高みにしか、私のゴールはないのでしょう。

かなり重い

といった理想高めの完璧主義の話。今さらだけど、かなり病的な気がして戦慄してる。

 

自分自身に対してならまあいいとしても、息子に対してもこの感じはさすがにまずいのでは?

 

子供は親の感情に敏感ともいうから普通にバレてる可能性もある。

 

だってだって嬉しくないんだもの。湧き出てこないんだよ何も。しらーっと冷めた感情だけなんだよ。こんなんで喜ばれても困るとしか思えないんだよ。

 

日々の努力してる姿なら朗らかに「頑張ってるね」と言えるのに、目に見える結果として発表されてしまうとだめなんだ。

 

結果に対して嬉しさを表現をしないといけないのが非常につらい。こんな感じだから息子への罪悪感もすごいし、毒親だなと自己嫌悪までしてる。

 

完璧主義と罪悪感と自己嫌悪、この三つがギュッと硬く結ばれている。毎日毎日苦しい。

 

決して満たされることはない。世界一になっても私が私を認めることがないように、きっとこの先も息子を認めることはない。

 

スキャンダル中の松本人志氏も多分こんな感じの闇を持ってたんじゃないかな。

 

どれだけ金を持ってても、どれだけその道で高みにいても、日本一の天才お笑い芸人と誰もが口にしても、決して満足することができなかったんだと思う。

 

足るを知る。それが私に足りないことなのかもしれない。

これからどうするか

では最後にこれからどうするかを書いて終わりにする。

 

完璧主義、罪悪感、自己嫌悪。これらとがっつり向き合うとしたら、スキーマ療法がベストかなぁと考えている。

 

自分のトラウマを分析したり、そこからくる信念(スキーマ)を矯正していく心理療法。

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パワーも使うし、スキーマ療法のためだけにそれなりの時間を確保しないといけない。再開する気もしないのだが……

 

でも多分これ優先順位高いよね。毎日毎日、完璧主義と罪悪感と自己嫌悪で死にそうなんだよ。息苦しい。

 

面倒臭いワークではあるものの、回り回って家族全体、そして私の仕事を軌道に乗せることにも繋がるのは間違いなさそう。

 

スキーマ療法をやっていた2021年の年末はこれまでで一番元気だった記憶があるので効果があったんだろう。年末年始の慌ただしさで死んだっぽいけど。

 

仕方がない、やるか。またトラウマえぐることになるとは。やる気がしない。本当にやるの?信じられない。

 

◆生活改善記録

筆記開示224日目 +15分(累計2400)7つのコラム+ 3(累計224)

 

ここまで読んでいただき感謝。

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